5月に神戸映画資料館で労働組合映画特集が開催された。その折に見た作品。
映画を見ながらいろんなことを考え、思考があちこちに飛ぶという楽しい経験をした。映画に映し出されるのは50年前の大阪。登場するタクシードライバーや社長がコテコテの大阪弁なのが可笑しい。今どきはあんなコテコテの大阪弁を聴くことも少ない。50年で大阪弁は確実に衰退している。
大阪総評の看板と玄関。北大阪医療生活協同組合の箕面病院の屋上で体操する患者たち。関係者が見たら超絶懐かしい場面ではないか。
監督は芸術的な撮り方をしている。低い位置から舐めるようなカメラワークがとても凝っているし、撮影中のメイキングビデオのようなシーンも挟んでいる。インタビュイーであるむち打ち患者の運転手を運転席に座らせ、インタビュアの質問をイヤフォンで聞かせて答えさせるという撮影手法も凝っている。最後のシーンは圧巻で、どうやって撮ったのかと大いに驚いた。梅田の歩道橋(と思われる場所)の上をぞろぞろと歩くむち打ち症患者の群れ。彼らは半裸で首にコルセットを巻き、鎖でつながれている。道行く人が異様な視線を向けている。すごいわ、これ。
50年前にはむち打ち症というものの存在を言下に否定する医者がいたのか。しかも阪大病院の医者である。運転手たちは自分たちが詐病を疑われ、不定愁訴をさぼり病と呼ばれ、理解されないことに苦しんでいた。その実態が描かれていく。
上映後、康浩郎監督のトーク。
「時代は繰り返す。50年経って同じようなことが起きていないか。ポストモダン的に言えば「差異と反復」である。50年前と同じように万博を開催しようとしている。かつてわたしは反万博の作品を作った」
「1968年という時代、フランスではゴダールがジガ・ヴェルトフ集団を作った。同じころ、わたしもジガ・ヴェルトフ集団を作ろうと思っていて、どっちが真似したんだか知らないが(笑)、結果的に作った集団名を「大阪自主映画センター」という」
「この映画は政治的意図を以て作ったものだ」
フロアからの質問に答えて。
Q:労働組合と企画のかかわりはどうだったのか
監督:我々は労組とはしょっちゅう喧嘩していた。作った作品を納品できないというような事態になりかけることもままあった。この作品は幸い納めることができたが。今後、過去のことを振り返るにあたって勉強していきたい。
「その質問に答えることができる資料があるんですよ~、監督。ぜひ見にいらしてくださいませ」と、イベント終了後にわたしはエル・ライブラリーの名刺を渡しておいた。
(1969/67分/16mm)
製作:ムチウチ映画製作委員会、大阪地方交通運輸労働組合協議会、近畿地方交通運輸労働組合会議
企画制作:大阪自主映画センター
制作:安西清尚
脚本:康浩郎
同協力:蓬来泰三、加藤勝美
音楽:上柴茂 出演:清水克彦
劇団道化座、集団ザ・プレイ
監督:康浩郎
製作参加:私鉄総連関西地方連絡会、大阪交通労働組合、国鉄労組大阪地方本部、全自交大阪地方連合会、全日通労組大阪支部、国鉄労組南近畿地方本部、全自運大阪地方本部、国鉄動力車労組大阪地方本部、全港湾労組関西地方本部、国鉄動力車労組天王寺地方本部、鉄道弘済会労組関西支部、自動車運転手労組大阪支部、全運輸労組近畿陸運支部、日本交通公社労組関西地区本部、国鉄共済労組天王寺支部、国鉄労組関西本部、国鉄動力車労組関西地方評議会、都市交通労組関西地方協議会、全日通労組関西地方本部、兵庫県交通運輸労働組合協議会、京都府交通運輸労働組合協議会、和歌山県交通運輸労働組合協議会,奈良県交通運輸労働組合協議会、滋賀県交通運輸労働組合協議会