吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

水俣曼荼羅

https://eiga.k-img.com/images/movie/93645/photo/e879b95b0cadbb4b/640.jpg?1634603342

 6時間を超える上映時間。途中2度の休憩をはさんで、三部作に分かれている。劇場では都合6時間半かけて見ることになる壮大なドキュメンタリーだが、まったく飽きることがない。その理由は、この作品が曼荼羅というタイトルにふさわしく大勢の登場人物たちに肉薄し、時に違和感を与えるような描写も含めて、観客を逃がさないからだ。心地よく映像や音楽が流れる作品ではない。心に棘が刺すような瞬間もあり、冷汗が出る思いにかられる場面もあり、水俣病患者の闘いに傍観者ではいられない「居心地の悪さ」をも感じてしまう。かといって、決して堅苦しい映画ではない。笑いあり、涙あり、原一男監督もインタビュアーの立場をうっかり踏み越えて登場人物の一員になってしまう愛嬌ある場面もあり、終わってみれば6時間半が過ぎていた、まだ続きが見たいと思わせるドキュメンタリーである。

 水俣病は終わっていない。そのことを伝えるために撮影が始まった本作は、15年をかけて撮影され、その間に被写体となった方々の何人かが亡くなってしまった。

 映画はタイトル画面に続いて、「水俣病関西訴訟の原告勝利」に沸く最高裁判所の玄関前という高揚した場面から始まる。2004年、国と熊本県を相手取って起こされていた、患者団体からの損害賠償請求訴訟で被告の責任が認められたのだ。続いてその判決を受けて原告団環境大臣と交渉する場面に移る。大臣が小池百合子であることに年月の流れを感じてしまった。今や東京都知事の彼女は、この頃から狸ぶりを発揮していたことがわかる。

 6時間の映画を紹介し始めたら何文字あっても足りない。まずは映画を観て、この映画に登場する個性あふれる人々との邂逅を堪能してほしい。原監督には「映画は感情を描くものだ」という信念がある。その通り、多くの患者や支援者や医者の感情がむき出しになり、観客は共感を覚えたり反感を抱いたり、ときにその喜怒哀楽に翻弄されるだろう。厳しく追及される側の役人たちに怒りを感じるか同情するか、それもまた観る者の立場によって異なるし、原監督の撮り方やインタビューの方法に異議を唱える向きもあるだろう。だが、それだけ多くの引き出しを持っていることがこの作品の最大の魅力と言える。

 恋多き女、坂本しのぶは胎児性水俣病患者で、心優しき男性に出会った瞬間に恋をして常に失恋している悲しい日々を送る。震える手で舟のペンキを塗っているのは小児性患者の生駒秀夫で、訥々とした口ぶりでしゃべるこの人の優しさと誠実さは全身からにじみ出ている。90歳を過ぎても裁判闘争を続ける不屈の闘志、川上敏行は執念の塊として屹立している。患者以外にも、水俣病の病理を解明すべく何十年も研究を続け、関西訴訟を勝利に導く学説を唱えた浴野教授と二宮教授は、ある種オタクっぽい魅力に満ちた医者・学者だ。ほかにも多くの魅力あふれる人々が登場する。と同時に、人々の描き方に製作者が気づかないジェンダーバイアスが潜んでいないだろうか。

 時に科学映画のようであり、時に恋愛映画のようでもあるこの作品の最後近く、仙女のような石牟礼道子が登場する。既に病が重いのだろう、車椅子に座り、不安定に左右に揺れる頭から絞り出すように発せられる言葉の重みにハッとさせられる。「許す」という言葉が石牟礼の口からこぼれるとき、その苦悩の意味に想いを馳せる。「怨」の旗を立てた患者たちの一揆の姿が一瞬、亡霊のように蘇る。忘れられない場面だ。

 ただ一つ残念なのは、これほど長い映画なのに労働組合が登場しないこと。原因企業であるチッソの労組は、「何もしなかったことを恥とし、水俣病と闘う」と述べた「恥宣言」で有名だが、その事実への言及がなかった。この映画が撮影された時代には既に労組は解散しており、当事者のインタビューが撮れなかったのかもしれない。あるいは、本作の本旨とは離れていたのだろうか。

 映画の公開に合わせて、『水俣曼荼羅製作ノート』という255頁の本が刊行された。映画のシナリオが完全採録されており、同書が貴重な記録となっている点も含めてお薦めしたい。原一男は同書の前書きを「こうなったら、もう、観るしかないのだ、と思ってもらいたい」という言葉で締めくくっている。そう、観るしかない。6時間半の体験は正月映画にふさわしい。じっくり腰を据えて、劇場で見てほしい。観終わったら必ず誰かと語り合いたくなるから。 (機関紙編集者クラブ「編集サービス」2021年12月号に掲載した拙稿に大幅追記)

2020
日本  Color  372分
監督:原一男
エグゼクティブプロデューサー:浪越宏治
プロデューサー:原一男、小林佐智子、長岡野亜、島野千尋
撮影:原一男
編集:秦岳志