吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

くじらびと

f:id:ginyu:20210919104147p:plain

 映画館の大きなスクリーン会場なのに、誰もいない。よもやの一人観客か!と絶句しそうになったところ、予告編の途中でシニア男性が一人入ってきたので、やっと観客は二人になった。

 で、これは大スクリーンで見たのが正解の、音響も素晴らしい迫力の作品だった。どうやって撮ったのかと不思議に思うほどの臨場感だ。

 インドネシアの小さな島で漁労によって生活する人口1500人のラマレラ村を、写真家の石川梵が30年にわたって取材したその成果がこの映画だ。鯨漁の舟に同乗して写真だけではなく映像を撮影し音を録る、というのは気の遠くなるような作業なのだが、小さな船に石川が乗って間近にカメラを向けて撮影しているその迫力は半端ない。ここに至るまでにはどれだけの時間がかかっただろうと想像するに余りある。カメラを抱えた他所者ははっきり言って邪魔以外の何物でもないはずだ。しかし、石川は舟に乗ることを許されている。ほとんど余地のない小さな舟なのに。30年をかけて得た信頼の賜物だろう。

 かつては完全に手漕ぎだったというその舟に、今では船外機(モーター)が付けられている。鯨を捉える方法は、昔ながらの銛(もり)を手で繰り、舟から飛び掛かって鯨の急所に刺すというものだ。1突き目が成功すれば、他の舟から銛手が出て2突き目の銛を刺し、こうして何本もの銛が鯨に刺さる。鯨は真っ赤な血を海に流しながらのたうちまわって何時間も苦しんで死ぬ。死ぬときは恐ろしい目をして涙を流すという。漁師も命がけであり、互いの命をやり取りしての壮絶な闘いをスクリーン越しに見るわたしは、ただ茫然とそして何か尊いものを見たような恍惚とした思いに浸る。

 そんな豪快で勇壮な鯨漁は、実はめったにお目にかかれないのだ。年に10頭も獲れれば村人全員が飢えずに済むという。必要以上に鯨を獲ることはない村人たちの生活は実にシンプルだ。鯨が取れないときはマンタやほかの魚を獲って、物々交換の市場で米や野菜に換える。ラマレラ村のある場所は火山灰地なので農作物が育たないのだ。

 漁を捉えるカメラはドローンも活用され、水中カメラも駆使して、迫力満点である。息を飲むほど美しい空撮の映像は絶対に映画館の大スクリーンで見てほしい。鯨の解体場面も迫力たっぷりで、その分け前の方法もまた緻密に決まっていることに驚く。

 この映画では一つの家族に密着取材を行い、特にその一家のまだ小学生のエーメンという少年にカメラが向けられる。彼は将来、ラマファ(銛を突く人)になりたいという。大きな瞳に明るい笑顔が映えるエーメンはどこかわたしの弟の幼いころにも似ていて、親近感が湧く。

 村の人々の質素でエコロジカルな生活を見ていると溜息が出そうだが、そんな生活はラマファの腕にかかっているわけで、どうしても男たちの労働にばかり目が行くことになる。漁果は村人全員で分けるのだが、女たちはどんな仕事に就いているのだろうか、と興味がそそられる。漁船も手作りで設計図もなく、森から木を伐りだしてくるところから始まって見事に組み立てられていく様子は圧巻だ。

 私が小学生のときの給食で一番好きだった鯨の竜田揚げ、また食べたい! しかしこうやって確かに残酷な殺され方をする鯨を見ていると、可哀そうになるのも無理がない。だからこそ、村人たちは必要以上に鯨を獲ることはないし、骨以外はすべて活用する。捕鯨もまた文化なのだということを痛感する見事な作品だ。絶対に映画館でみてほしい。

くじらびと 
2021
日本  Color  113分
監督:石川梵
エグゼクティブプロデューサー:広井王子
プロデューサー:石川梵
撮影:石川梵、山本直洋、宮本麗
編集:熱海鋼一、蓑輪広二
音響:帆苅幸雄
音楽:吉田大致
録音:ジュン・アマント

 

博士と狂人

https://eiga.k-img.com/images/movie/87566/photo/569234321d3689e3/640.jpg?1594347479

 イギリス版「舟を編む」(石井裕也監督、2013)。しかし趣は相当に異なる。かのオックスフォード大辞典の編纂過程を追ったものだが、この映画に描かれた事実をわたしはまったく知らなかった。すべてが驚異である。わたしが持っているのはオックスフォード英英辞典だったと思うが、これは1冊だけの簡易版だったのだな。よもや本家本元が発刊までに70年もかけていたとはつゆ知らず。

 さて、時は1879年、オックスフォード大学出版会が発行する大英語辞典の編集主幹に就いたジェームズ・マレーは学歴のない、しかし独学で何か国語も習得した語学の天才であった。オックスフォードのお歴々は学閥に属さないマレーに冷ややかな視線を送るが、彼の才能には一目置かざるをえない。マレーの編集方針は、単なる辞典を作るのではなく、英語の歴史をたどる壮大なものであった。そのため、シェイクスピア時代以来のあらゆる文献に書かれた英語の例文を集めてその意味の変遷をたどるという膨大な作業が必要とされた。この難事業をマレーは世界中の英語を使用する人々のボランティアによって成し遂げようとした。今でいう「集合知」である。元祖Wikipediaか、はたまた「Yahoo!知恵袋」か。この発想が素晴らしい。時代を120年も先取りしているではないか。

 そのボランティア募集に応じて1000枚ものカードを送ってきた人物がいた。それが殺人犯として精神病院に収容されているウィリアム・マイナー医師だった。マイナーは驚異的な学識を持ち、辞典の編纂に大いなる貢献をしたのだが、妄想によって罪なき男を殺してしまった殺人犯であったため、そのことが辞典編纂にとって大きなスキャンダルとなった。

 この物語は大辞典編纂過程の苦労を描くと同時に二人の狂人・天才の苦悩を描いた重厚な作品である。とりわけ、マイナーが贖罪意識にさいなまれ、自分が殺した男の妻に赦しを乞わんと苦しむ姿に鬼気迫るものがある。マレーを演じたメル・ギブソンがずいぶん渋くなっていたのには驚いた。マイナーを演じたショーン・ペンはこういうエキセントリックな役をやらせたら本骨頂なので、ほぼ「地」でやっているんじゃないか? どっちも狂人だしどっちも天才。

 マイナー博士が収監されている場所は精神科病棟に設えられた広い書斎。特別待遇である。彼の贖罪の過程が心理サスペンスのようだ。彼に夫を殺されたイライザが訪問する場面が大変緊迫感に満ちている。イライザはマイナーを許すのだろうか? しかし「赦し」は一方的になされるものではなく、赦される相手に通じなければ無意味ではないのか? もはや狂ってしまったマイナーにはそれは理解できたのか? これが新たな悲劇か。

 マレーの妻がしっかり者で、この難事業を裏で支え、夫の窮地を救おうとする大きな役目を背負っている。19世紀の妻のイメージと異なっているのは、史実なのか現代的な解釈なのかわからないが、毅然として知的な女性にはたいそう惹かれる。

 いくつものテーマが重層し絡み合う、繰り返し見たくなる見ごたえのあるドラマだ。(レンタルDVD) 

2018
THE PROFESSOR AND THE MADMAN
イギリス / アイルランド / フランス / アイスランド Color 124分
監督:P・B・シェムラン
原作:サイモン・ウィンチェスター 『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』(早川書房刊)
脚本:トッド・コマーニキP・B・シェムラン
撮影:キャスパー・トゥクセン
音楽:ベアー・マクレアリー
出演:メル・ギブソンショーン・ペン、ナタリー・ドーマー、エディ・マーサンジェニファー・イーリー

17歳の瞳に映る世界

https://eiga.k-img.com/images/movie/92687/photo/9f462f5cc086e714/640.jpg?1615537113

 原題の「NEVER, RARELY, SOMETIMES, ALWAYS」は質問への四択回答を示す。「まったくない、めったにない、時々ある、いつもある」。その四択を選ぶように促す質問は、17歳の少女が直面するには厳しすぎる現実を表出して余りある。

 17歳の従妹同士がペンシルベニア州からニューヨークへと長距離バスでやってきたのは、妊娠中絶手術を受けるため。地元では親の許可なく手術を受けられないが、NYなら彼女たちを助けてくれるクリニックやNPOがある、という情報を得て、二人は助け合って親に内緒で家を出たのだった。大きなスーツケースを転がしながら。

 妊娠したのはオータムで、それを知って彼女と行動を共にするのは従妹のスカイラー。二人は共にスーパーのレジ打ちバイトに勤しむが、性格はかなり異なり、無口で愛想のないオータムと気さくに誰とでもしゃべるスカイラーはある意味、凸凹コンビだ。台詞の少ない映画だが、彼女たちの顔のアップが多いため、二人の視線による演技が印象的だ。スーパーの男性上司にされる気色の悪いセクハラ、高校の男子たちからの揶揄の言葉、クリニックでは中絶は罪だというビデオを見せられ、たくさんの不快と不安をその瞳に宿しながらもオータムは気の強い子なのだろう、果敢に現実に立ち向かおうとする。

 しかし、所詮は知識も知恵もない17歳の少女なのだ。いったい彼女たちに何ができるだろう? 精一杯の勇気を振り絞って二人がやってきたのはNYの街。知り合いもいない、お金もない。ないないづくしでこの危険な町を少女二人がさまよう。映画を見ているこちらはもう心配でしょうがない。大丈夫かこの二人。あー、いわんこっちゃない、怪しい男が近づいてくるやんか! もう、ハラハラしっぱなしでさらには腹立たしくもなる。オータムの妊娠に責任を持つ男はどこにいるのか。なぜ彼女は相手の男に一言も相談しないのか。その理由はわからないが、手術を前に質問されたことに答えているうちに感情があふれてしまうオータムを見ていると、事情が想像できる。この緊迫感あふれる静かなクライマックスは特筆すべき場面だ。ここで、この映画の原題である4つの言葉が繰り返される。

 オータムのたった一人の友達である従妹のスカイラーとは女どうしの固い友情で結ばれているのだが、それでも不安にかられ、ついつい衝突もしてしまう。二人の足取りをリアルに追いかけるアップ多用のカメラは、観客を彼女たちと同一化させ、その心に共振させる。

 中絶を受けるクリニック前の道路ではカトリック教徒たちが中絶反対の抗議スタンディングを行っている、そんな様子を横目で見ながらクリニックに入っていく二人の気持ちや、カウンセラーの女性が「あなたを守りたいの、質問に答えてね」と励ます様子は、いちいちの説明がなくとも観客にストレートに響いてくる。

 この映画は多くを語らず、しかし多くを考えさせる。たった17歳で世界を背負わされた女の、悲しみと不安と心身の痛みと、そして強い意志を静かに描く。少女たちがつないだ手の感触を、観客もまたしっかり感じ取ることができるだろう。多くの人に見てほしい。「4ヶ月、3週と2日」以来の地味な傑作。

2020
NEVER RARELY SOMETIMES ALWAYS
アメリカ / イギリス Color 101分
監督:イライザ・ヒットマン
製作:アデル・ロマンスキー、サラ・マーフィ
脚本:イライザ・ヒットマン
撮影:エレーヌ・ルヴァール
音楽:ジュリア・ホルター
出演:シドニー・フラニガン、タリア・ライダー、テオドール・ペルラン、ライアン・エッゴールド、シャロン・ヴァン・エッテン

かごの中の瞳

https://eiga.k-img.com/images/movie/89467/photo/aecb54a70186d6f6/640.jpg?1535436905

 献身は支配の裏返しか。目の見えない美しい妻を支えてきた夫は、妻の目が見えるようになったことを喜べないようになっていく…。

 舞台をタイにしたのはなぜなのだろう、と思うのだが、アメリカ映画なのに物語をアジアに設定したために、映像がエキゾチックな感覚に満ちている。それも狙いなのだろうか。主役のジーナが失明から少しずつ見えるようになっていく過程を映像で表現しているのがなかなか秀逸で、目が見えるようになってどんどん解放されて変身していくジーナの姿に不穏なものを予感させる演出も優れている。

 ブレイク・ライブリーの演技力を見直した作品だ。美しいけれど地味な女性だったジーナが、手術によって視力を回復し、初めて見た夫の姿に軽い失望を感じる場面のさりげなさもいい。その後、鏡を見て自分の美しさに気づいたのか、髪を染め化粧をし、派手な服を着るようになると、少し年上で地味な夫とはどんどん距離ができるようになっていく。その過程もごく自然なことのように思える。

 妻が自分だけを頼りにして、自分とともにあった時は何も問題がなかったのだ。それなのに、それなのに、妻は自立した女になろうとしている。夫ジェームズの焦りもまた手に取るようにわかる。

 この二人が互いを愛しているという事実そのものに揺らぎがないところが悲劇なのだろう。たとえほかの男に目がくらんでも、たとえ夫との趣味や性格の違いが明らかになっていったとしても、それは決して乗り越えられない差異ではなかったであろうに。

 互いの嘘と秘密に気づきながら、その嘘を呑み込んでいくのが夫婦の愛なのか? ラストシーンは希望なのかどうか…。(Amazonプライムビデオ) 

2016
ALL I SEE IS YOU
アメリカ Color 109分
監督:マーク・フォースター
製作:マーク・フォースターほか
脚本:ショーン・コンウェイマーク・フォースター
撮影:マティアス・クーニクスヴィーザー
音楽:マルク・ストライテンフェルト
出演:ブレイク・ライヴリー ジー
ジェイソン・クラーク ジェームズ
ダニー・ヒューストン ヒューズ医師
ウェス・チャサム ダニエル
アナ・オライリー カーラ

 

ミッドウェイ

https://eiga.k-img.com/images/movie/92164/photo/72fc71600489454b/640.jpg?1594281085

 ローランド・エメリッヒ監督の作品だから、どうせ大がかりなCGとVFXが売りなだけでスカスカな話だろうと思って見ていた。やっぱりその通りだけれど、でも米日両方に目配りが利いた作品なので、そこは感心した。ミッドウェイ戦は真珠湾攻撃への復讐、という基本路線は従来と同じだけれど、日本人を"Jap"と呼ぶ兵士が一人も登場しないという不自然な設定にしてまで日本に気を使っているではないか、感涙ものだ。

 ひたすら戦闘シーンばかりでつないだ本作は、見終わったころにはすっかり疲れ果てて、二度と戦争はごめんだ、こんな戦闘に駆り出されるパイロットになんか絶対になりたくないと思わせるだけの恐怖と迫力がある。文字通り雨のように降ってくる銃弾をどうやってかいくぐれたのか奇跡としか思えないぐらいのすさまじさである。この映画を見て「それいくぞ、撃ちてしやまむ」と思う輩はよもやおるまい。立派な反戦映画ではないか。と同時に、この戦争の背景には一切言及されていないため、「わが軍は勇敢に戦ったぞ」と感動する靖国神社史観からは戦意高揚映画に見えるかもしれない。

 ところで、この映画はミッドウェイ海戦が情報戦であったことをしっかり描いているところが特筆すべき。日本軍の暗号がアメリカ軍に解読されていたというのは有名な事実だが、その過程が詳しく描かれるのは珍しいのではないか。ドイツ軍の暗号を解読したイギリス映画「エニグマ」が思い出される。intelligenceという単語が軍事用語であったことを改めて感じた。(レンタルDVD) 

2019
MIDWAY
アメリカ / 中国 / 香港 / カナダ Color 138分
監督:ローランド・エメリッヒ
製作:ハラルド・クローサーローランド・エメリッヒ
脚本:ウェス・トゥーク
撮影:ロビー・バウムガートナー
音楽:トーマス・ワンカー、ハラルド・クローサー
出演:エド・スクラインパトリック・ウィルソンウディ・ハレルソンルーク・エヴァンスアーロン・エッカート豊川悦司浅野忠信國村隼

ジュリア

https://m.media-amazon.com/images/I/415jzB80waL._AC_.jpg

 劇場公開された当時にわたしは映画館で本作を見たのだが、その時は列車のシーン以外はさほど感動することがなかった。それから40年以上を経て、今見たらどう思うだろうという好奇心に駆られて再見してみた。さらに原作小説も読んだ。これは原作と映画とどちらがいいかと聞かれたら、「映画」と答えざるを得ないが、しかし原作も捨てがたく淡々とした味わいがある。

 その淡々とした自伝的小説を映画にした瞬間にジンネマン特有のサスペンスに仕上がっているのがさすがだ。とりわけ列車で主人公リリアン・ヘルマンがジュリアのお金を運ぶシーンの緊迫感はえもいわれない。アカデミー賞脚色賞を獲ったのもうなずける、脚本が実にしっかりしている。それから、アップに堪える女優二人の美しさも特筆すべき。美人女優という売りではなく、緊迫感に満ちて輝く女性という与えられた役目をしっかり演じきっている二人が素晴らしい。

 ただし、わたしが疑問に思ったのは、ジュリアが親友リリアンの愛情を利用して自分たちの反ナチ活動に彼女を利用しただけではないのか、ということ。いかに正義のためとはいえ、同志でもない幼馴染を利用して危険な運び屋になってくれと依頼するとはどういうことだろう? パリからロシアに旅行に行くリリアンがわざわざドイツの町で途中下車するという不自然さ、しかもユダヤ人であるリリアンにはどれほど危険なことだろう? 1937年にユダヤ人がドイツを経由していくことの命懸けの旅を、ジュリアがろくな説明もせずに幼馴染リリアンに依頼するなんて、そんなことはわたしならできない。親友だからこそやってはならないと思う。しかし、リリアンは危険を顧みずジュリアの依頼にこたえる。

 この映画では、女性二人は親友で幼馴染であるが、それは単なる友情を超えたものを匂わせている。つまり、二人は同性愛(肉体関係があったかどうかは不明)の関係にあったということだろう。成功した劇作家になるリリアンはこの映画に登場した時点ではまだスランプに陥ってイライラしている駆け出しの作家という描かれ方だ。そのパートナーであるダシール・ハメット(「マルタの鷹」などで知られる)は包容力ある作家で、スランプのリリアンに様々なアドバイスを与えている。演じたジェイソン・ロバーズはこの役でアカデミー賞助演男優賞を獲得している。慈愛に満ちた人物を演じて、強い印象を残した。

 この映画のヴァネッサ・レッドグレーブは本当に美しくて驚いた。しかもたいそう力強く、存在感が画面に横溢している。彼女もこの映画で助演女優賞を獲っている。なぜジェーン・フォンダが主演賞を獲れなかったのか不思議だったのだが、この年は「アニー・ホール」のダイアン・キートンに持っていかれたのだった。なるほど。

 後年、リリアン・ヘルマンはハリウッドの赤狩りに抗して声明文を読み上げ、決して仲間の名前を当局に売らなかったことで知られている。しかし、『ジュリア』大石千鶴訳、早川書房、1989年(ハヤカワ文庫)の「文庫版訳者あとがき」によれば、実話という触れ込みのはずの「ジュリア」が実は嘘かもしれないという。ジュリアには別のモデルがいたという報道がなされたのだ。真実がなになのかはわからないが、もしこれが作り話としたら、そうまでしてリリアン・ヘルマンは自分をどのように見せたかったのだろう。彼女にとってのジュリアとはいったい誰だったのだろう。

 原作と映画と、それぞれ別のものとして二回も三回も楽しめそうである。(レンタルDVD)                                                 

1977
JULIA
アメリカ Color 118分
監督:フレッド・ジンネマン
製作:リチャード・ロス
原作:リリアン・ヘルマン
脚本:アルヴィン・サージェント
撮影:ダグラス・スローカム
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ジェーン・フォンダ ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ジェイソン・ロバーズ、マクシミリアン・シェル、 メリル・ストリープ

グレース・オブ・ゴッド 告発の時

https://eiga.k-img.com/images/movie/90710/photo/4c607326a02ab3c1/640.jpg?1590371217

 昨年7月に見た映画なので、詳細は例のごとくほぼ全部忘れている。

 聖職者が少年たちに長年性的虐待を行っていたことを告発する作品。これまでのフランソワ・オゾンの作風とまったく異なるため、従来のファンは面食らうかもしれない。それほど生真面目に撮られた社会派作品だ。つまり、社会派作品はこう撮るべしというお手本のような映画でもある。

 で、その点はちょっと肩透かしをくらった感があるが、逆に、オゾン監督がこういう作品を撮れるんだと新鮮な感動もあった。本作は実話がもとになっていて、しかも映画製作の時点で裁判が現在進行形という事情があった。同じような映画にトム・マッカーシー監督「スポットライト 世紀のスクープ」があるため、二番煎じと言えなくもないが、被害者自らが立ち上がったという点が描かれているため、これはいっそう見る者の心に刺さる。

 一生癒えない傷を負いながら信仰を捨てない主人公と、信仰を捨ててしまった者と、それぞれに価値観が異なる被害者たちの姿もあぶりだされる。何十年も前の被害を裁判に訴えることを決意して仲間を募っていく過程を丁寧に描いているのだが、その過程はそう簡単ではない。被害者たちの中でも意見の違いがあり、裁判に影響を与えそうな部分はオゾン監督が描写をかなり抑えて演出している。主演のメルヴィル・プポーが監督の演出に応えて地味ながらも見事に熱演していて、惹きこまれる。

 この映画では告発されたプレナ神父にまったく罪の意識が見られず、驚くしかない。実際の裁判でも神父は全く罪を認めなかったそうだが、映画公開後に有罪判決が下されている。映画が社会を動かし世論を作り上げたという点でまぎれもない社会派作品である。被害者の立場に立った映画であり、告発された側からすれば理不尽にも見えたのであろう、プレナ神父は本作の公開差し止め訴訟を提訴していた。

 性的被害には時効など存在しないということがよくわかる作品だ。そして、被害者もみなそれぞれに違う受け止め方をしていることがじっくりと描かれ、実に見ごたえのある作品である。しかしこれを観客が「作品」として消費してしまうことは慎みたい。被害者の悲しみに寄り添うことができるようにと、彼らの心が少しでも癒えるようにと、心から願う。 

2019
GRACE A DIEU
フランス Color 137分
監督:フランソワ・オゾン
脚本:フランソワ・オゾン
撮影:マニュエル・ダコッセ
音楽:エフゲニー・ガルペリン、サーシャ・ガルペリン
出演:メルヴィル・プポー、ドゥニ・メノーシェ、スワン・アルロー、エリック・カラヴァカ