吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

きみが死んだあとで

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 巻頭、学生服姿の山崎博昭の写真パネルが大写しになる。羽田空港へと続く弁天橋の上でその大きなパネルを持っているのはこの映画の監督なのだが、そんな説明はない。雨の中を立ち尽くす学生服姿の監督は自分の上半身と山崎博昭の写真を重ねている。その写真に雨粒が垂れて涙のように見える。その橋こそ、1967年10月8日に京大生山崎博昭が機動隊との衝突によって死亡した場所である。この冒頭のカットはかなりよく練られている。

 その後、山崎博昭の生い立ち、大阪府立大手前高校での生活、友達、マルクス主義研究会、といったあの時代の理屈っぽい高校生の日常が実兄や同級生たちの証言によって蘇る。カメラは山崎博昭一家が暮らしていた下町を実兄と共に歩き、風景の移り変わりを語ると同時に、変わらない雰囲気もまた描いていく。

 やがて山崎博昭が京大生になって中核派革命的共産主義者同盟中核派)に加盟したいきさつが語られる。やたらと元中核派の活動家が登場するので、まるで中核派のプロモーションビデオのようだが、考えてみれば全員辞めたわけだから、もう少し暗い話なるのかと思いきや、彼らは懐かしい青春時代を振り返り楽しそうに愉快な表情で語っていく。わたしが「彼らは自分たちの行動について何ら反省がないのか」と訝しく感じ始めるころ、山崎博昭の死の場面が語られ、上巻が終わる。18歳の息子に死なれた母親の気持ちを思うだけでわたしは胸がふたがれ、言葉をなくす。

 少々長いと感じた上巻が終わり、下巻は俄然面白くなる。やはり人間は反省する動物であることにおいてこそ知性の輝きがあるのだ。「何をどう間違ったのか」とずっと考え続けていたという同級生で京大文学部を中退した舞踏家がいて、彼の言葉は苦い。それに引き換え中核派をさっさと脱退した同級生たちは偉い、実際彼らの表情が明るいのは、「自分たちはすぐに党派のいやらしさに気が付いた」という反省者としての自負があるのかもしれない。

 一方、1994年まで中核派幹部として活動していた赤松英一は口が重い。しばしば沈黙し、熟考しながら言葉を選んで語っていく。赤松はスターだったという下級生の女性の証言があり、赤松にオルグされた中核派がいかに多かったかが想像できる。

 下巻は山崎が死んだ後の物語となる。東大全共闘代表だった山本義隆が登場し、学生たちを支援する救援連絡センターを作った水戸喜世子が登場する。そこではその後の全共闘運動の盛り上がりと、やがて来る内ゲバの暗澹たる時代が語られ、悔悟の念が強く漂う。水戸喜世子の夫・水戸巌は反原発運動のリーダーの一人であった研究者で、1986年末に息子二人とともに剣岳で遭難死した。あの当時、3人遭難のニュースを新聞で知った衝撃を今も忘れない。「遺された喜世子さんの慟哭やいかに」と、わたしなら決して立ち直れないだろうと思ったものだ。家族の遭難死についての疑惑がこの映画で語られる。

 50年以上前の、生真面目で優等生だった学生たちが考えたこと、行動したこと、命をやりとりしたこと、それは今となっては多くの若者には遠い世界の「無意味な死」として受け止められるのかもしれない。今の若者たちにこの映画は届くだろうか? 社会運動は確かに暴力的で偏向していた、それはある局面では事実を言い当てている。しかし圧倒的な暴力を保持していたのは権力の側であり、それは労働運動や社会運動が始まった200年前から世界史の中で明らかである。歴史を知ることは今を知ることだが、その視点をこの映画はどこまで獲得できているだろう。いくつもの思考を刺激し想起させるという点でこの作品はぜひ多くの人に見てほしいと思う。見終わって誰かと語り合いたくなる作品だ。

 佐々木幹郎の詩と大友良英の音楽が印象的。

2021
日本 Color 200分
監督:代島治彦
製作:代島治彦
撮影:加藤孝信
編集:代島治彦
音楽:大友良英

グンダーマン 優しき裏切り者の歌

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  ”東ドイツボブ・ディラン”ともてはやされた労働者歌手ゲアハルト・グンダーマンが実はシュタージのスパイだった、という衝撃の告白を行った実話を描いた物語。と聞くと、「善き人のためのソナタ」(2006年)を想起させる。かの作品と異なりこちらは実話である。

 東西ドイツが統一した後の場面から映画は始まる。おそらく1993年ごろだろうか。グンダーマンが過去の「罪」と向き合うことを決意し、知人を訪問している場面だ。発端の一つは高名な劇作家ハイナー・ミュラーが実はシュタージのスパイであったと報道されたことであると、のちに観客にも知らされる。しかし映画の冒頭ではその場面の意味はまったく説明されない。そして画面は1975年に遡る。この“現在”と“過去”の場面の交錯がわかりにくい。若いころのグンダーマンと中年のグンダーマンがほとんど変わりないからだ。髪の長さで時の経過を見せたつもりかもしれないが、もう少し演出上の工夫がほしかった。

 グンダーマンが妻コニーとの結婚に至る恋物語も本作の重要なテーマだ。映画の冒頭では妊娠中の大きなお腹を抱えるコニーがイライラをグンダーマンにぶつけるシーンが印象的だ。遡ってその15年以上前、コニーは別の男の妻であり、第一子を出産したばかりである。このあたりの説明がほぼないのでわかりにくいのだが、グンダーマンとコニーは幼馴染で、コニーは別の男性と結婚して2子を産んでいたのだ。コニー夫妻は共にグンダーマンのバンド仲間であり、家族ぐるみのつきあいをしていたわけだが、グンダーマンはずっとコニーへの恋慕を抱いたままだった。というわけで、コニーとは略奪婚である。一歩間違えればグダグダの湿気の多い話になりそうだが、夫婦入れ替えの場面が何とも言えずユーモラスだ。

  昼間は鉱山でパワーショベルを運転し夜はステージに立つという彼の生活を支えた妻のコニーもまた、幼い子どもを抱えてストレスにつぶれそうになる。彼女の視点も興味深い。男の世界ばかりを歌ったわけではないグンダーマンは心優しい詩人であったが、家庭にあっては妻を犠牲にしていたのではないか? そして過酷なその生活が結果的に彼の寿命を縮めた。本作で何よりも印象深かったのは巨大な歯車が回転して褐炭を掘り出していく場面であり、壮大な露天掘りの風景だ。グンダーマンは最後まで炭鉱労働者だった。パワーショベルの運転手とプロ歌手としての活動。43歳での突然死は過労死だったのではなかろうか。

  そんな厳しい生活でも決して炭鉱での仕事を辞めようとしなかった彼は、その生活のなかで多くの詞を生み出した。劇中15曲もグンダーマンの曲が演奏されるので、本作は音楽映画といってもいいだろう。印象に残るメロディーはほとんどない代わりにその歌詞に大きな魅力を感じるので、彼の真骨頂は生活者・労働者詩人としての実感があふれ出た歌詞にこそあったと思える。

 党幹部が炭坑視察に来た際に、グンダーマンは現場の安全衛生について苦情を述べたり、幹部の素行を批判したりして反抗的な態度を見せている。二度も党から除名されながらシュタージのスパイとして働いていたわけだから、かなり複雑な事情、もしくは逆にきわめて杜撰なルールが適用されていたのではなかろうか。あるいは飴と鞭なのか。この映画では、共産主義者を自認し、スパイとして複雑な思いを抱いてきたはずのグンダーマンの心理を深堀りすることはない。深刻なテーマを扱っているのにユーモラスな場面も多く、ラストも明るい。実話が元になっていて、妻コニーが制作に協力しているので、あまりドラマ的な粉飾を施さなかったのかもしれない。

 ところで、これもまたアーカイブズ映画。52:28あたりからシュタージの記録を閲覧申請する場面がある。申請してから閲覧できるまでに2年ぐらい待たされると係員に告げられて嘆息するグンダーマン。その後、書庫に案内されて膨大なカードを見る。彼のことをシュタージの被害者だと思い込んでいた係員の特別の配慮だったのだが、じつは加害者であることがわかって軽蔑の目で見られる。おまけに書類は見せられないと拒絶された。

 今さらのように東ドイツとは何だったのかを問う作品であると同時に、ミュージシャンの複雑な生きざま、短い半生を描いた作品として一見の価値あり。ドイツ映画賞で6部門の優秀賞を獲得した。 

 GUNDERMANN

 2018 ドイツ 128分

監督:アンドレアス・ドレーゼン

脚本:ライラ・シュティーラー

音楽:イェンス・クヴァント

出演:アレクサンダー・シェーア

アンナ・ウンターベルガー

ハイゼ家 百年

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 「全ての歴史は、個人に宿る」という惹句に納得の3時間38分である。祖父から始まり、父、本人、と続くハイゼ家100年間の歴史を、残された手紙、日記、写真からたどる。トーマス・ハイゼ監督自らがそれを淡々と読みあげていくだけの映画なのに、目が離せない。さらに私物だけではなく、そこに公文書のアーカイブズが加わり、ドイツ100年の苦難の歴史が驚くばかりに浮かび上がってくるのだ。

 これらの遺品が語るのは男たちの歴史だけではない。ユダヤ人であった祖母の家族の手紙からは、緊迫のホロコーストの日々がじわじわと伝わる。奔放な恋に生きた母の恋人からの手紙を読めば、その青春の日々がよみがえる。それは戦後東西ドイツ分断の歴史でもあった。その母と結婚した父は東ドイツ当局から大学教授の地位を追われ、一家は秘密警察シュタージに監視される日々を送る。

 さらに、1955年に東ドイツで生まれた監督トーマスはその作品の上映を禁止され、ベルリンの壁崩壊まで5本のドキュメンタリーは日の目を見ることがなかった。

 そういった、3世代の歴史の概略を知るだけでも、この一家がドイツ現代史をそのまま具現化するような日々を送ったことがわかるだろう。祖父の代からのインテリ一家であることもその特徴を際立たせる。

 映画は5章から成る。全編にわたり、ひたすら監督の低音のナレーションが聞こえてくるだけ。その声の背景に写る映像はモノクロの、森や田園や鉄道や廃墟や雨粒やワニ(!)。過去に監督が撮影した映像をコラージュしたものだという。読み上げられている手紙や日記の内容に関係があるのかないのか不明な印象風景が広がる。しかしよく見ればそれは詩のような美しい映像であり、実はよく選びぬかれたものが使われていることに気づく。一家の家系図などのわかりやすい説明は一切省かれているので、まずはドイツ現代史のアウトラインだけでも知っていないと、いったい何が起きているのか観客には理解できないだろう。

 映画の中で読み上げられる母の日記には、第2次世界大戦下のドレスデン空爆の悲惨な状況も書かれている。映画の雰囲気からも、アラン・レネの「二十四時間の情事」が思い出さされた。ほかにも、戦後の東西ドイツの往復のくだりでは「僕たちは希望という名の列車に乗った」を、シュタージの監視下に置かれる一家の様子からは「善き人のためのソナタ」を、といった名作映画を想起させる。

 圧巻は、祖母へあてたその家族からの手紙である。日を追うごとに強制収容の危険が迫っていることがわかる、恐怖と緊張に満ちたものだ。しかもその手紙を朗読する声とともに流れる映像は膨大な人名のリスト。それは強制収容所へと送られたユダヤ人の名簿なのだ。そのミドルネームのほとんどがSaraかIsraelであることが目に付く。これはユダヤ人を明確に識別するために、ユダヤ風ではない名前を持つ女にSara、男にはIsraelを付加することを法律で強制したことによる、ということを映画を見終わってから知った。

 この映画を見るだけではわからない様々な事象を後から調べてみたいという気持ちを起こさせる点でも、学習意欲を掻き立てる良い素材と言えよう。第69回ベルリン国際映画祭カリガリ賞受賞。218分を耐えるだけの価値はある。

2019
HEIMAT IST EIN RAUM AUS ZEIT
ドイツ / オーストリア Color 218
監督:トーマス・ハイゼ
製作:ハイノ・デカート
脚本:トーマス・ハイゼ
撮影:シュテファン・ノイベルガー

 

レ・ミゼラブル

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 2020年4月に劇場鑑賞。2021年2月25日DVDで再見。

 映画はサッカー・ワールドカップでのフランスの優勝を熱狂的に祝う人々がびっしりと街頭を埋める、圧巻のシャンゼリゼ通りから始まる。狂喜乱舞する人々の顔、顔、顔。アフリカ出身者や西アジアからの移民がなんと多いことか! 彼らは「フランス頑張れ!」「フランス万歳!」と三色旗を振りながら叫ぶ。だが、そのフランスは彼らを国民として受け入れているのだろうか?

 2020年一番の衝撃作だった。あまりの衝撃に、映画館を出たときには言葉を失っていた。そして年が明けてDVDがリリースされたので再見してみた。さすがにラストを知っているだけにやや冷静に見ることができたが、さりとて出口なしの状態に変わりはないのだ。

 パリ郊外の移民地区モンフェルメイユで繰り広げられる暴力と憎悪の連鎖が生む悲劇を、はたして事前に止めることができるのだろうか。差し迫る現実にリアルに共鳴する緊迫感が観客に崖っぷちの問いを突き付けるようなラストシーンには言葉を失う。映画を娯楽として消費することを許さない厳しさがこの作品には屹立しているのだ。

 映画のタイトル「レ・ミゼラブル」はビクトル・ユゴーの小説から採られている。ユゴーが描いたのは19世紀のモンフェルメイユであった。パリ東部郊外のその地は今や、移民や貧困層の集住地区となっている荒れた土地となり、「ふつうのフランス人」が近づくのを嫌がるような場所となってしまっていると、フランス在住の愚息Y太郎が言っていた。

 そんな場所に新たに赴任してきた中年の白人警官ステファンが主人公である。ステファンと組むのはこの地区出身の若き黒人警官グワダと、チーム長の白人クリスである。3人組の役割分担や性格描写が典型的といえば典型的でわかりやすく、だからこの映画の構造もわかりやすい。さらに言えば、実はそのわかりやすさが曲者で、特段に悪意のある人間ばかりでもないこの世の中で、しかし物事は悪いほうへ悪いほうへとねじれていくものだということを、この映画は皮肉にも的確に描いている。

 モンフェルメイユの町には非公式の権力構造がある。それは、黒人暴力団一派と、敬虔な黒人ムスリム、そしてロマ、という三つ巴のエスニック・コミュニティから成り、微妙な均衡を保っている。そこにさらに警官がからみ、警官としては何事もなく大きな事件が起きなければそれで良し、なのだ。

 しかし非公式な権力構造と警官の馴れ合いに馴染めない新参者のステファンは正義感を抑えることができない。一人の黒人少年がロマの人々のサーカス団からライオンの赤ちゃんを盗んだという些細な事件をきっかけに、大騒動へと転がっていくスリリングな脚本にはうなるしかない。さすがにこの町出身のラジ・リ監督が作った作品だ。この映画に描かれていることはフィクションだが、リアルな状況を反映しているという。

 最近ラジ・リ監督がヤクザな人々との闇商売にかかわった廉(かど)で逮捕されたとYが言っていた。リアルタイムで進行するフランスの状況はまったく他人事ではない。わたしたちも身近なところにある貧困と犯罪の連鎖に目をつぶっていられるような状況ではないはずだ。

2019
LES MISERABLES
フランス  Color  104分 
監督:ラジ・リ
製作:
トゥフィク・アヤディ、クリストフ・バラル
脚本:
ラジ・リ、ジョルダーノ・ジェデルリーニ、アレクシ・マナンティ
撮影:
ジュリアン・プパール
音楽:
ピンク・ノイズ
出演:
ダミアン・ボナール、アレクシ・マナンティ、ジブリル・ゾンガ、ジャンヌ・バリバール

ノマドランド

画像9 緊急事態宣言が出て映画館が休業する前に見た。劇場用パンフレットを作成していないとな。最近こういうことが増えた。「テスラ」みたいな地味な作品ならともかく、いちおう本作はアカデミー賞候補作ですぞ。残念きわまりない。で、やっぱり獲ったじゃないの、作品賞。ねぇ、今頃慌ててパンフ作ってるかな?

 さて、これぞ労働映画。Amazon季節労働者に始まってAmazonで終わる、ノマド(放浪者)の旅。アメリカでは今、こんな労働が普通になっているのか? 驚きと共に見終わった。

 時は2011年。リーマンショック後の不況により、多くの人々、特に高齢者が職業と家を失い、老後の蓄えのほとんどを費消してしまったケースが目につく。主人公である60代の女性ファーンが住むネバダ州の鉱山の町も会社が閉山・工場閉鎖してしまったため、社宅に住んでいた彼女は住む家を失くした。亡き夫は鉱山で働き、彼女も事務の仕事や臨時教師などを経験しながら企業城下町で暮らしてきた。しかしいま彼女の手元に残ったのは古いキャンピングカーだけ。ボロボロ車だが、時間と金をかけて自分で改造を加えた愛車なのだ。夫との思い出を車に積んで、彼女は放浪の季節労働者として広大なアメリカ中西部をめぐることとなる。

 ファーンが最初に就職したAmazonでは、車で野宿する人々を当たり前のように雇っているようだ。彼らの駐車場代はAmazonが払ってくれる。Amazonの配送場で働いている間は駐車料金は無料だし、シャワーなどの設備も使えるが、仕事が終わるとたちまちそこもいられなくなる。この映画はAmazonがスポンサーになっているのだろうか? その配送工場の様子が大変興味深い。

 Amazonでの仕事が終わったら、この先は転々とするだけ。キャンプ場の清掃員とか、果樹園での農業労働者とか、高齢の彼女にとってはつらい肉体労働ばかりだ。しかし、行く先々で一緒になる仲間もいる。この界隈ではすでにノマド労働者のコミュニティが確立しているかのようだ。そんな彼女は「家がないの?(Homeless?)」と素朴に質問した少女に答える。「いいえ、住む家がないだけ(Houseless)」。そう、ファーんにとってはキャンピングカーが家であり、決してホームレスではないのだ。

 いろんな場所を転々とするうちに、何人もの労働者たちと再会するファーン。いつしか彼女を慕う男性も現れる。しかし、彼女はノマドを続けるのだ。それが誇りであるかのように。

 この映画が描くことは二つ。一つは、格差社会の中で底辺の臨時労働者として自助努力を強いられる高齢者の姿への静かな怒り。もう一つは、そんな彼ら彼女らが自立した労働者としての誇りを失わない姿。言い換えれば、この映画が描く価値観は社会主義者が奉じる福祉国家か、それともリバタリアンが最上の美徳と奉じる徹底した自由と個人主義か、という二択の世界だ。ただ、それが必ずしも二者択一ではないと思われるところがこの映画の優れているところではないだろうか。

 このような理屈めいたことはともかく、何よりも印象に残るのは、ファーンたちの労働の現場であり、同時に雄大アメリカの風景だ。アカデミー賞撮影賞にノミネートされただけのことはある、すばらしいカメラの仕事ぶりに感嘆する。雄大な風景だけではなく、夕暮れの流れゆく雲の美しさ、沈みゆく陽光、いずれもその光の淡いが声をなくすほど美しい。そしてラストシーン。ファーンが戻ってくるかつての自宅(社宅)があった場所の荒涼たる風景のあまりの寂しさと厳しさに息を飲む。こんな場所で何十年も住んでいたのだ。これでは人生観も変わるだろう。こんな砂漠の真ん中の何もないところがHomeだったのか。ここが彼女にとっては幸せな住処だったのか?

 この映画に登場する本物のノマドな人々があまりにも自然で、映画と現実の区別もなく存在感を融解するという高等な技でそのままの姿を映画世界に刻み付けているのに対して、プロの役者であるデヴィッド・ストラザーンが浮いている。フランシス・マクドーマンドは女優にも見えないぐらいに本物のノマド労働者に見えた。さすがである。ここまで女優に見えないって褒めていいのか悪いのか?(笑) 

 この雄大な映画を自宅のモニターで見るなどとは、あるいはスマホで見るなんて言うのはまったく別の作品を見るに等しい。絶対に映画館の大スクリーンで見てほしい。

2020

NOMADLAND
アメリカ Color 108分

監督:クロエ・ジャオ

製作:フランシス・マクドーマンドほか

原作:ジェシカ・ブルーダー 『ノマド:漂流する高齢労働者たち』(春秋社刊)

脚本:クロエ・ジャオ

撮影:ジョシュア・ジェームズ・リチャーズ

音楽:ルドヴィコ・エイナウディ

出演:フランシス・マクドーマンドデヴィッド・ストラザーン、リンダ・メイ、ボブ・ウェルズ

クロール -凶暴領域-

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 ブレイク・ライブリーが超絶強い女を演じた「ロスト・バケーション」と基本構造が同じ映画。ブレイク・ライヴリーに比べてヒロインがかなり地味なのではあるが、鮫の襲撃とちがって鰐の襲撃というのもなかなかに恐ろしい。

 フロリダ地方にハリケーンがやってきて、避難を呼びかけられているのにそれを無視する住民たちが鰐さんに食われるというお話。やはり、自分勝手な行動は身を亡ぼすという教訓ですな。

  主役が女性ということが今日的であり、さらに彼女が父を助けるために命懸けとなるという設定も今日的かも。かつては父が娘を助けるというのがヒーローものだったからね。あと、ヒロインが水泳選手というのがもちろん物語のキモであり。

 それにしても、ヒロインが洪水の中からなんとか脱出しようとあれこれと知恵を絞っている場面は感動的なんだが、なんでそんなに手近にいろんな救出グッズが浮かんでいるんだ? こういうのはテレビゲームだとたぶんお金を払わないと入手できないアイテムだぞ。

 それはともかく、相変わらず定番の設定は不道徳な人間からまずは餌食になるということ。で、当然にも泥棒さんたちから順次お約束のように鰐に食われていきます。で、あとは可哀そうに、主人公たちを助けに来た人たちも無残に切り刻まれます。なんと、さらに…(以下、ネタバレなので自粛)。というわけで、主人公たちも無傷ではいられない恐るべきバトルが繰り広げられる。

 しかしこれ、ハッピーエンドですか? ほんまに? (Amazonプライムビデオ)

2019
CRAWL
アメリカ Color 87分
監督:アレクサンドル・アジャ
脚本:マイケル・ラスムッセン、ショーン・ラスムッセン
撮影:マキシム・アレクサンドル
音楽:マックス・アルジ
出演:カヤ・スコデラーリオ、バリー・ペッパー、モーフィッド・クラーク、ロス・アンダーソン

男と女 人生最良の日々

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 50年の時を超える続編! なんというおしゃれな映画だろう。なんという心を揺さぶる物語だろう。愛し合った記憶、二度と戻らない時間、もはや死以外に未来はない二人に再び愛の灯を微かに、しかし間違いなくともしていくその邂逅はなんという幸福感に満ちているのだろう。

 生涯愛し続けた人が目の前にいるのに、もはやそのことにも気づかないジャン=ルイ。アンヌはそんな彼をやさしく見つめる。「これほど愛されていたなんて」と感動にひたる彼女の幸せそうな笑顔。

 どれほどアンヌを愛していたか、滔々と語るジャン=ルイの記憶は斑に空隙を作り、あるときは鮮明にその物語が浮かび上がるが、またある時は遠い空に薄く流れる雲のようでもある。目の前にいるその美しい老女がアンヌだと知っているようでもあり、そしてまた誰だかわからなくなる。そんなふうにして、いずれは本当に何もかも分からなくなっていくのだろう。

 人生の最後を海辺の施設で車椅子に乗って過ごすジャン=ルイは、その海辺がかつて二人の愛を確かめたその海であることがわかっているのだろうか。浜辺で互いの子どもたちと一緒にじゃれ合う、50年前の思い出がジャン=ルイの現在の姿にかぶさる。アンンヌのあまりにも美しいその顔がアップになり、若々しく爽やかなジャン=ルイの笑顔が現在の死を間近にした老人の生気のない顔とまじりあう。

 ここでは時間の隔たりが一瞬にして意味を失い、過去は現在に、現在は過去と一体となって、もはや未来も過去の中にあることを示す。

 この映画に出会えたことを天に感謝したい。よくぞスタッフもキャストもここまで長生きしてくれていたものだ。そして、この映画に流れるなんともいえないユーモアが素晴らしい。モニカ・ベルッチが登場したときには思わず笑ってしまったが、彼女が自身のヒット曲を口ずさむシーンの茶目っ気は、日本人にはわかりにくい。ヨーロッパの観客ならこの場面を面白がることができるのに。わたしは息子Y太郎に指摘されてわかったが、「こういう点がヨーロッパ映画の楽しみ方として日本の観客は損している」とな。最後のパリ市内の疾走シーンもクロード・ルルーシュの別の短編から転用したもので、これは実際に時速200キロ近い速度で走って信号無視を繰り返したものとして話題になった作品だという。しかも現在ではYoutubeで見られて、短編ながらおおっと思わせる結末がついている。ルルーシュの自己作品への愛情と執着がこういう短編を挟むところにも見て取れる。人生の最後に過去のきらめきをすべて盛り込んでいるところに、この作品内部の物語構造と同時にこれを製作したスタッフたちのメイキング構造の面白さがうかがえる。 

 映像、音楽、役者たち、そして物語そのもの、すべてが言葉を失うほど美しい奇跡の映画。息子の解説のおかげで個人的にはいっそうお得感がついた作品だった。(レンタルDVD)

2019
LES PLUS BELLES ANNÉES D'UNE VIE
フランス Color 90分
監督:クロード・ルルーシュ
製作:サミュエル・ハディダ
ヴィクター・ハディダ
クロード・ルルーシュ
脚本:クロード・ルルーシュヴァレリー・ペラン
撮影:ロベール・アラズラキ
音楽:フランシス・レイ、カロジェロ
出演:アヌーク・エーメ、ジャン=ルイ・トランティニャンモニカ・ベルッチマリアンヌ・ドニクール、スアド・アミドゥ、アントワーヌ・シレ