

本作はマルグリット・デュラスの自伝小説を原作とする映画で、多くの出来事がほぼ事実であると思われる。1944年6月1日にゲシュタポに逮捕された夫ロベール・アンテルムの行方を知るためにゲシュタポ本部に日参する30歳のマルグリットの焦燥を描く。マルグリットの苦悩がありありと観客に迫り、「痛み」(原題)が伝わる映画だ。
パリ解放の場面はいくつもの映画で見たことがあるけれど、この映画のような視点は初めてだったので新鮮さがあった(「パリは燃えているか」を未見なのが残念)。つまり、レジスタンスの側に身を置きながらもナチスとフランス警察に捕らわれていなかった左翼知識人という立場。マルグリットは冷静に世間を眺めながらパリ解放を見つめている。それはある種呆然とする風景であったようだ。ドイツ軍兵士たちが鉤十字の旗をたたんで慌ててパリを脱出する様は文字通り「敗走」にふさわしい。
原作の独白を多用する、いかにも小説を映画化しましたという演出はふつうならば鬱陶しいことが多いのだが、この映画ではそれが成功している。それほどマルグリットの言葉には力がある。そして、原作を忠実に演出したためなのか、しばしばマルグリットの幻想がそのまま映像化されていて、一瞬ぎくりとする場面がある。それは、マルグリットの分身が現れる場面だ。そういう場面が何度も続くと観客も慣れてしまうが、彼女の独白につづられる幻影がまた寂しくも切ない。
マルグリットは夫の消息を知るためにゲシュタポのフランス人刑事と逢引きを重ねる。親独派の人々は間もなくドイツ軍の敗戦に終わるという噂におびえていて、マルグリットはその様子を冷笑しながら眺めている。
1944年夏に捕らわれたロベールは1945年になっても帰ってこない。もうパリが解放されて半年以上が経つというのに、ロベールはどこへ行ったのか。強制収容所は次々と連合軍によって解放されていたのに、ロベールは帰らない。
戦時下に疲れ果てていくマルグリットの愛もまた行方を失っていく。マルグリットにはレジスタンス同志の愛人がいて、その愛人との関係については映画の中ではほのめかし程度なのでよくわからないが、夫ロベールへの尽きない愛とともにその愛人へのどこか冷めた視線も描かれる。彼女は疲れている、すべてに。
戦争末期に、解放の予感と喜びとともに、一方で帰らぬ夫や子どもを待つ女たちの苦悩がありありと描かれている秀作だ。しかし、最後いきなりの展開には驚いた。本当はロベールの帰還以降も描いてほしかった。
2017
LA DOULEUR126分
フランス/ベルギー/スイス
監督:エマニュエル・フィンケル原作:マルグリット・デュラス『苦悩』脚本本:エマニュエル・フィンケル