1935年生まれのドキュメンタリー監督朴壽南(パク・スナム)が作った映画は1985年の「もうひとつのヒロシマ―アリランのうた」以来、2017年の最新作まで計4作ある。古い16ミリフィルム作品は劣化が進むままに放置されていた。いずれ上映できなくなる日が来ることに危機感を抱いた娘・朴麻衣(パク・マイ)とともにデジタル復元することとなった。
本作はその過程を通じて、過酷な植民地支配を受けた朝鮮人たちの「声」を蘇らせ、現在の壽南の姿を二重写しにしていく。埋もれていた記録と共に、自身の生きた歴史が語られる。
「若い人のためにわかりやすい映画を撮る? それなら私が撮る意味がない!相性悪いわね、あんたとは」と怒る母、壽南。「相性のいい人がどこに居るのよ」と娘麻衣の呟くような言葉に憤然としてそっぽを向く壽南の姿はどこかユーモラスであると共に、その生き様の厳しさと意志の強さが表出して、観ているこちらの背筋が伸びる思いがする。
朴壽南が語る自身の半生と両親の壮絶な経験、そして壽南の娘麻衣のナレーションによって、壽南の歩んだ激動の在日朝鮮人史が立ち現れてくる。関東大震災で殺されかけた父親を助けてくれたのは日本人だった。だから、「日本人には恩があるんだ、恩返しのために立派な韓国人にならなければならない」というのが父の教えだったという。
1958年に起きた小松川事件が朴壽南の社会運動家としての転機だった。18歳の在日朝鮮人が女子高生と23歳の女性を殺して死刑になった事件である。差別と極貧生活を背景とするこの事件の救援運動が取り組まれたが、1962年には死刑執行された。朴壽南はこのとき犯人の少年と多くの手紙をやりとりし、その後にベストセラー書簡集『罪と死と愛と』を上梓した。殺された少女の母は関東大震災で朝鮮人の大虐殺が行われたことを目撃している。自分の親族が加害者であったことが忘れられない。これは加害と被害が複雑にからまり、罪と赦しについて胸を打たれる貴重な証言であり、ぜひ本作で見てほしい場面の一つだ。
朴壽南が記録したのは、朝鮮人被爆者、従軍慰安婦、沖縄に動員された朝鮮人兵士たち、軍艦島で炭鉱労働を強いられた朝鮮人と中国人、見捨てられた人々だ。その中にはわたしが1979年に韓国で出会った被爆者、金分順(キム・ブンスン)さんの姿があった。懐かしい分順さんの姿、その涙に胸がいっぱいになる(⇓の写真)。
現在の朴壽南はほとんど目が見えなくなっているが、言葉は明瞭でその語りは理知的であり、記憶もはっきりしている。加害者の歴史と被害者の歴史、この対立する二つの歴史を克服すること。これが課題だと語る壽南の言葉に考え込む娘麻衣は、二つの国の狭間に生まれた。彼女の父親は日本人なのだ。
ところで、歴史学者の成田龍一は『「戦争経験」の戦後史 増補』のなかで、戦争経験を「体験/証言/記憶」という時系列に分けてその変遷を述べている。朴壽南が1980年代から始めた映像記録は、その時点で既に「記憶」になりかけていた在日の経験をかろうじて「体験/証言」として残した。そして今、その記録は語りなおされている。新たな意味を付与され、「記憶」として記録された出来事が、さらに娘麻衣によって更新された「証言」となる。麻衣ですら50代後半という年齢である。さらに若い世代にどのように記憶を伝えるのか? いつまでも被害者・加害者という図式を引きずるのか? 歴史の超克は可能だろうか。
今こそこの歴史を多くの人に知ってほしい。戦争の記憶が鮮明だった時代にはみんなが覚えていた、朝鮮人を差別したこと、虐殺したことを。だが今や、それは無かったことにされようとしている。「憎しみではなく愛を」。朴壽南の言葉は深い。圧倒される歴史の追体験がここにはある。(配信試写)
2025
VOICES OF THE SILENCED
日本 / 韓国 Color 148分
監督:朴壽南、朴麻衣
プロデューサー:朴麻衣、ムン・ジョンヒョン
編集:朴麻衣、ムン・ジョンヒョン

