吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

英国総督 最後の家

  マウントバッテン卿の名前だけは聞いたことがあるが、最後のインド総督だったとは知らなかった。しかもロマノフ王朝の親戚でかつヴィクトリア女王の孫だったのか。しかし画面に登場した瞬間からダウントンアビーの伯爵にしか見えないところがつらい。グランサム伯爵、じゃなくてマウントバッテン卿の妻については「このおばさん、どこかで見覚えがあるなぁ」とずーっと気になっていたのだが、途中でふと「スカリー捜査官じゃないの?!」と気づいてからは、彼女がスカリーかどうかが気になって気になって落ち着いて鑑賞できない(苦笑)。で、やっぱりジリアン・アンダーソンでした。あんなに老けちゃうのか。


 それはともかく、インド最後の総督となったマウントバッテン卿が、インドの独立とその後の分裂に苦悩する姿を描いた力作。妻から愛称「ディッキー」と呼ばれるマウントバッテン卿はたいそう好人物であり、妻エドウィナも「リベラルを通り越して左翼だ」と夫から言われるほどのリベラル派として描かれている。夫婦は時に政治的意見を異にしつつ対立しつつも力を合わせてインド独立のために力を尽くす。これは史実と違うようでもあり、実際には妻エドウィナはネルーと不倫していたとか夫のディッキーにも愛人がいたとかいろいろ言われているようだ。だが、この映画では夫妻は助け合ってインドの民のために尽くしている。
 インドがどのように分断独立したかを描く本作では、その苦悩の象徴を一組の恋人たちが背負うことで悲恋を浮きたたせている。マウントバッテン卿の使用人であるヒンドゥー教徒の青年とムスリムの若き美女との恋は互いの宗教の壁に阻まれて、成就できない。彼らの愛情の行方が観客の心を揺さぶる。
 総督たるマウントバッテン卿はインド各地で起きる終わりなき暴動に心を痛める。そして、周囲のイギリス人為政者たちに「分断独立しかない」と説得され、インド人ムスリムムハンマド・アリー・ジンナー(のち、独立パキスタン初代総督)にもパキスタンとしての領土分割を強要される。さんざん悩み苦しむマウントバッテン卿が知らないことが一つあった。実は今では首相の地位を退いたチャーチルが首相時代にインド分割の青写真を作っていたのだ。その秘密文書をつきつけられてマウントバッテン卿は怒り心頭に達する。
 この映画で描かれていることがどこまで史実に忠実なのかはよくわからない。そして、主人公がマウントバッテン卿夫妻であることに、「支配する側の苦悩」が表出しているところが中途半端かもしれない。たとえば、ガンディーですら脇役でしかない本作では、彼が暗殺される場面も出てこない。そして結局のところ、インド人どうしの虐殺の悲劇を生んだのは宗教対立が原因なのか、それを利用してインドを300年支配したイギリスのせいなのか、混沌の中で答えは見えず、マウントバッテン卿はイギリス本国にも裏切られた正義の人として描かれている。彼の苦悩は決して偽物ではなかったと思うのだが、大きな歴史の流れの中では一個人の思いなど吹き飛んでしまう。その痛みが伝わってきた。
 映画の最後に本作の監督がこの時代を生き抜いた女性の孫であることを知らされた瞬間に、わたしは涙した。

VICEROY'S HOUSE
106分、イギリス、2017
監督:グリンダ・チャーダ、製作:ディーパック・ナヤールほか、原作:ラリー・コリンズドミニク・ラピエール、ナレンドラ・シン・サリラ、脚本:ポール・マエダ・バージェス、グリンダ・チャーダ、モイラ・バフィーニ、音楽:A・R・ラフマーン
出演:ヒュー・ボネヴィル、ジリアン・アンダーソン、マニーシュ・ダヤール、フーマ・クレシー、マイケル・ガンボン、タンヴィール・ガーニ、オム・プリ、ニーラジ・カビ、サイモン・キャロウ、デヴィッド・ヘイマン、リリー・トラヴァーズ