吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2030年ごろかも。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

太陽(ティダ)の運命

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 1974年の日本復帰以来、沖縄県には現在の玉城デニーまで8人の知事が就任した。映画は8代の知事の演説場面を映し出すところから始まる。

 本作ではそのうち、第4代の大田昌秀(1990~1998年)と第7代の翁長雄志(おながたけし、2014~201 8年)に焦点を当て、沖縄県知事という、全国で最も苦しい立場に立たされる知事の苦悩を浮き彫りにしていく。

 反戦平和と反基地を訴える学者だった琉球大学教授の大田は、沖縄社会大衆党などから請われて沖縄県知事に立候補し、当選した。しかし8年間の知事時代は政府に妥協することをたびたび余儀なくされ、自らの思想信条を貫くことができない苦汁を嘗めた。

一方の翁長は自民党県議として大田知事を追及する立場であった。まったく主義主張の異なる二人であったが、実は政治の根本、思想の原点は共通していた。それは、沖縄戦で亡くなった多くの県民への鎮魂の思い、そして平和を希求する思いである。 

1925年生まれの大田は師範学校生だった45年3月、鉄血勤皇隊に動員された。戦争で亡くなった同級生たちの名が刻まれた「沖縄師範健児之塔」の前で晩年の大田が語る言葉の重みがずしりと響く。

 彼の平和への渇望とも言える思いは、その体験から来るものなのだ。自分の目の前で何人もの若者が焼き殺されていった。喪った息子の名前が刻まれた碑をじっと見つめながら座り込んでただ涙を流す母親の姿を見て胸がかきむしられる経験をした。それが平和主義者大田昌秀の原点なのだ。

「自分がなぜ生きているのか。生かされているのだ。自分が生きている意味があるとすれば、死者たちの霊を弔って二度と沖縄を戦場にさせないこと。基地があれば次の戦争で沖縄が戦場になる」と死去の前年に語る、老いた大田の眼差しがまぶしい。

 しかし現実は厳しかった。平和を求め、基地撤去を目指す大田知事は県民世論と日本政府の圧力の狭間で苦しんだ。側近や教え子らの口から、当時の大田の苦悩が語られる。

 そして、大田県政の時代に県議として舌鋒鋭く大田を徹底的に批判したのが1951年生まれの翁長であった。ところが、2014年の知事選に臨むころ、翁長は普天間基地撤去・県外移設という考えに変わっていた。大田と同じ主張、大田と同じ口ぶり。翁長の姿が大田のそれと重なっていく様子が画面に映し出されると、鳥肌が立つような感動を覚える。

 多数決で物事を決めて、沖縄県民という少数者を犠牲にする安全保障でよいのか。それが民主主義なのか。翁長はそう問いかける。そしてウチナーグチ(沖縄語)で集会参加者に訴える。「沖縄の人をないがしろにするな」と。

 国から裁判で訴えられた二人の沖縄県知事である大田と翁長。二人の生きざまを通して、私たちは民主主義とは何かを痛みと共に考えさせられる。

 任期を全うすることなく病死した翁長は日を追うごとにやせ細り、画面に映るその姿に戦慄すら覚える。死の直前まで文字通り命を賭して政府に抗い、基地の撤去を求め続けた。

 「太陽(ティダ)」とは沖縄古語で、リーダーを表す。まさにリーダー=首長としての覚悟に生きた二人の姿が、多くの証言により刻まれる。佐古忠彦監督の最高作だ。(初出は機関紙編集者クラブ「編集サービス」誌2025年4月号)

2024年 日本

129分

監督:佐古忠彦

音楽:兼松衆ほか