あまりにも素朴なその絵は幼稚園児が描くような花や人物だ。しかしその温かい色使いは人々の心を癒し、優しい気持ちにさせるものがある。それだけではなく、ハッとするような斬新な色遣いとユーモアにあふれた描写に、思わず「この絵がほしい」と思わせる力がある。その人の名はモード・ルイス(1903-1970)。彼女は幼いころにリュウマチを罹ったため、手足が不自由で身長も極端に小さかった。早くに両親を亡くし、伯母と一緒に暮らしていたが、自分が疎まれていることを悟ったモードは自立を願う。そんなときに「家政婦募集」の情報を耳にしたモードは、郊外の一軒家であるエベレットという名の魚行商人の家に歩いていく。その日から彼女の人生は新たに始まった。
そもそもこのエベレットの家というのが極端に何もないところに建っている粗末な小屋である。いったいどこなんだ、ここは。映画を観終わってからここがカナダの田舎であることを知ったのだが、もう半端ない田舎である。周囲何キロも人家がなさそうな感じがする。そんなところへ不自由な足を引きずってやってきたモードは、追い返されそうになるけれど、「雇ってほしい」と懇願してエベレットの家に住み込みの家政婦となる。エベレットは粗野で武骨な男だけれど、不自由な身体で家事があまりできないモードを罵りながらも結局彼女をそばに置き、夜はひとつのベッドで眠っている。いつしか身体を重ねるようになった二人だった。モードはエベレットに「結婚して」と何度も言う。ついに結婚した二人は既に中年の域に達する年齢だった。
身体が不自由でしゃべり方も訥々としているモードだが、絵筆は雄弁に彼女のあたたかな内面を語る。壁中至るところに絵を描き続けた彼女の「作品」を目にしたエベレットの客である一人の都会的な女性が「絵を売って」と申し出たことをきっかけに、エベレットは魚の行商のかたわら、モードの絵を売り始める。それはたった5ドルだったりせいぜい10ドルだったのだが、絵が売れたことが嬉しいモードは何枚も何枚もカードや小さな絵を描き続ける。
エベレットとモードの関係はなんだったのだろう。エベレットは最初、モードを家政婦としてしか見ていなかったのだが、そもそもモードの姿を見た瞬間にふつうなら家政婦として役に立たないことに気づく。彼ももちろんモードを追い返そうとしたわけだが、同情心からか、結局はモードを雇うことにした。そこには主従の関係があり、そのまま二人が結婚することになっても結局はエベレットは横柄な主人である。横柄なくせにモードが家事をできないから、やむなくエベレットが掃除をする。なんだか可笑しい。最後は、この二人は本当に愛し合っていたのだということがわかって切ない。
絵が売れても、電気も水道もない貧乏な小屋暮らしだったモードとエベレット、幸せとはなんなのだろう。優雅さや裕福な暮らしとは無縁で、健康にも恵まれなかったモードだが、不自由な手に絵筆を握り、絵に顔をこすりつけるようにして描いていた独特の姿は一種異様にも映るのだが、その表情は幸せに満ちていた。
静かで淡々とした映画なので、退屈と思う人は最初の10分でもう脱落しそうだが、わたしは最後まで引き込まれていた。見終わってモードの絵をネット検索して何枚か見てみた。いずれも思わず微笑みが漏れるような、素朴で楽しい絵だ。この映画もそんな彼女の作品と同じく、静かで味わい深い。(レンタルDVD)
MAUDIE
116分、カナダ/アイルランド、2016
監督:アシュリング・ウォルシュ、脚本:シェリー・ホワイト、撮影:ガイ・ゴッドフリー、音楽:マイケル・ティミンズ
出演:サリー・ホーキンス、イーサン・ホーク、カリ・マチェット、ガブリエル・ローズ