群馬県にある、行列のできるラーメン屋の店主が急死した。遺された息子真人(まさと)が本作の主人公で、彼は日本人の父と中国系シンガポール人の母との間に生まれ、十歳で母を亡くし、二十数年後の今また父を亡くしてしまった。
かくしてルーツを求める真人の旅が始まる。十歳まで両親と共に住んでいたシンガポールへと赴き、母の親戚を探し訪ねていくのだ。手掛かりは母が残した中国語の日記。旅の案内人は現地の日本人ブロガーの美樹。母の思い出をたどり、幼い頃に食べた叔父の作るバクテー(骨付き豚肉の煮込み)を求める真人は、やがて母と祖母との悲しい記憶へとたどり着くことになる。
主役の斎藤工の演技が素晴らしい。酔いつぶれて机によだれを垂らして眠っているシーンの芸の細かいところなど、これは監督の演出力でもあるが、彼はセリフ回しも自然で、かつしっかりセリフが聞き取れる。日本とシンガポールの間に生まれた人間としての複雑な思いを寡黙な表情から伝える、という難易度の高い演技を見せてくれる。
美樹を演じた年齢不詳の松田聖子は美味しい役をもらったものだ。これは役得と言えよう。長らく海外で暮らして母子家庭の母となり、趣味でグルメガイドを書く人気ブロガーとなった今、昼間はカジュアルないでたちで真人に安い料理屋を案内してくれるガイド、夜はバーのカウンターに立つ色っぽいママさん、という役柄。
そして映画の魅力の半分以上が熱々のシンガポール料理の数々だ。真人が追い求めるバクテーといい、蟹の炒め物、スパイス、スープ、そして異国での和食に至るまで、手間暇かけた心づくしの料理のオンパレードに、お腹が空いてたまらなくなる。
日本とシンガポールの歴史は戦争を抜きには語れない。2017年に開館した国立戦争博物館では日本軍によって残殺された人々の記録が展示されていて、真人もそこを訪れる。母と祖母の不和もこの戦争が原因なのだ。日本とシンガポールに引き裂かれた真人の心は、そして固くなってしまった祖母の心は、彼の作る料理によってほぐすことができるのだろうか。
89分という尺に手際よく現在と過去の回想を配置した手練れの演出を感じさせる本作は、予定調和的な物語だけれど、やはり食べ物には人の心を癒す力があると痛感させる素晴らしい作品。なぜデートはディナーなのか。なぜ学会の後には必ず懇親会があるのか。美味しい食事を共にすることで人は心がほぐれ、垣根が取り払われるのだ。
フランシス・レイの曲のような抒情的な音楽も美しく、心が洗われる。
映画を見終わった瞬間にバクテーが食べられる店を検索したことは言うまでもない。
ところで本作はミュージアム映画・アーカイブズ映画でもある。真人が訪れる戦争博物館はシンガポール国立公文書館が運営する、日本占領下のシンガポールの記録を展示する施設である。日本帝国統治下のシンガポールの呼称であった「昭南」をその名に冠したミュージアムにしようと政府が発表したところ、市民の反対にあって撤回されたといういきさつがある。
シンガポールに行く機会があればぜひ訪れたい場所の一つだ。