吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ファントム・スレッド

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 功成り名を遂げた初老の男にとって、大事なのは自分の仕事であり、自分だけの時間だ。たとえ若いミューズを見つけて一緒に暮らし始めたとしても、所詮は彼女は彼の仕事(の一部)にとって大事な存在であり、あるいは息抜きにしか過ぎない。しかし女のほうはそうではない。彼女には何もない。彼への愛以外はなにもない。だから、彼に愛され、彼に見つめられ、彼から大事にされることだけが生きがい。
 そのような愛のすれ違いが如実に描かれた作品。この映画を今見るからこそ、その意味がとてもよくわかる。若いころならあほらしくて見ていられなかったようなストーリーだ。
 原題の”PHANTOM THREAD”は幻の糸、という意味だろうか。主人公ウッドコックはロンドンのオートクチュールのハウスの主人。彼の店の外観も内装もどうみてもフランス風なのだが、舞台は1950年代のイギリスである。そして、「メゾン」と言いたいところが「ハウス」になる、デザイナーの世界。「店」ではなくまさに「ハウス」と言えるような仕事場は、ウッドコックの自宅兼店舗兼作業場だ。顧客は伯爵夫人であり裕福なマダムたち。
 主要な登場人物は三人。ウッドコックと、彼に見いだされた元ウェイトレスのアルマ、そしてウッドコックの姉。アルマはその完璧なスタイルのためにウッドコックに招き入れられ、やがては一緒に暮らすようになるのだが、アルマの品のない食事作法がウッドコックの癪に障る。
 気難しいウッドコックとアルマは所詮階層が異なる人間同士。愛し合っているといってもその愛は容易に憎しみに変わる。ウッドコックの姉は人生を弟のために捧げたような人間で、独身のまま年老いてしまった厳しい女性である。
 この映画について何よりも目を見張るのはその美術。何度も人々が上り下りする「ハウス」の階段、部屋、ドア。もちろん素晴らしい衣装。これはアカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞した。主役3人の顔がしばしばアップになり、大変な緊張感を画面にもたらす。ダニエル・デイ=ルイスが高貴な佇まいと頑固なデザイナーのこだわりを厳格な演技で見せてくれる。肩が凝ってしまうほどの緊張感ある作品。
 愛のためならなんでもする、歪んだ情熱の持ち主アルマ、そしてその愛の狂気を見抜いているウッドコック。毒を食らわば皿までか。一人冷静に彼らを見つめる姉のシリルはマザコン男にとっては母の代わりでもあった。
 互いの求めるものが異なるのに、それでも愛し合い求めあうことをやめない男と女。不思議な映画の不思議なラストシーンは、そのまま二人が亡霊となっていく場面ではなかったか。
 最高に美しい映像と音楽を堪能できただけで良しとしよう。何よりもダニエル・デイ・ルイスに尽きる。(レンタルBlu-ray
ファントムスレッド
2017
PHANTOM THREAD
出演:ダニエル・デイ=ルイスレスリー・マンヴィルヴィッキー・クリープス