吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

アフガン零年

 タリバン政権下のカブールに住む、ある少女の不幸で悲惨な物語。ほんの数年前まで、アフガニスタンタリバンが支配するイスラム原理主義の国だった。では今はタリバンがいなくなって幸せな国になったのだろうか……

 戦争で男手がいなくなった家庭では、女達が現金収入を求めても働く場所がない。イスラムの厳しい戒律によって家庭外労働を禁じられているからだ。母と祖母は13歳の少女の髪を切り、少年の振りをさせて、「わたしたち一家のために外で働いておくれ」といやがる娘を仕事に送り出す(「少女の髪どめ」!)。タリバンに見つかれば殺されるという恐怖にすくみながら少女は家族のために懸命に働く。まるで「おしん」の世界だ。
 予想通り、彼女には次々と難問が襲い掛かってくる。あげくの果てには、イスラム兵士の予備軍育成のために少年狩りをしているタリバンにつかまりイスラム教の「学校」に入れられてしまう。タリバンの老人が、少年達に夢精をしたあとの身の清め方を教えるために集団入浴を命じた。絶体絶命のピンチ! さて少女はこの危機をどう乗り越えるのか?! 

 イスラム世界で男達が女を道具か家畜扱いするのは「当然」として、女親たちも娘を道具扱いだ。娘を都合のいいように男に仕立てたりまた女に戻れと命じたりする。少女は黙って大きな瞳に苦渋を湛え、悲しげに唇を結んでいるだけ。彼女の顔には楽しそうな笑顔はついぞ見られない。彼女をかばってくれる心優しい少年も彼女を助けることができない……。

 ドキュメンタリータッチの映像が淡々と続くので、なんだか退屈。「少女の髪留め」のほうが叙情的でおもしろかったなぁ。などと巻頭しばらくは思ったのだが、実はこの映画、計算されつくしている。最初のうち、タリバンたちはその姿が画面に映らない。住民を脅しすかす声だけが聞こえてくる。やがてターバンを頭に巻いたタリバンたちの姿が見えたとき、観客は少女の視線で彼らを恐怖とともに見つめることになる。ほかにも、登場人物を隠すことによって伏線を張り、あとでそれをきっちり活かしていく演出が優れている。しかも、素人を抜擢して主役にすえたその演出がきめ細かく、ヒロインを演じた少女の大きな瞳がとても印象的で、観客は彼女の悲しげな瞳に釘付けにされてしまう。

 少女が井戸に吊るされるシーンといい、ラスト近くのタリバンによる公開処刑のシーンで初めて西洋人を画面に登場させるあたりといい、画像的には凝った手法が凝らされ、実にうまく伏線が使われていた。特にラストシーンは入浴シーンの伏線が活かされた場面であり、監督の巧さを示して見事だった。もちろんテーマ自体が観客の心を動かすものであるのだが、こういうラストの描き方には余韻があり、映像として優れた作品と評価できるだろう。

 こういう映画を見ると、「タリバンが居なくなってよかった」としか言いようがないのだが、そうなると、タリバンをやっつけるために皆殺しにしようという結論に短絡するのではないか? 生半可な感想や「打開策」など吹っ飛んでしまうような暗い暗い映画だ。絶望的な気分に落ち込んでしまう。わたしたちは希望をどこに探ればいいのだろう。
 このような貧しい国に一方的に空爆を加え、後は忘れ去って「次はサダム・フセインだ」とイラクへ出兵するアメリカという国のことを思い出さずにはいられない。この少女たちを救う道がアメリカと運命をともにすることにあるとは到底思えない。特典映像は必見。
 少女の大きな瞳がいつまでも心に残る。(レンタルDVD)

OSAMA
制作年 : 2003
上映時間:82分
制作国:アフガニスタン、日本、アイルランド
監督・脚本: セディク・バルマク
撮影: エブライム・ガフォリ 
出演: マリナ・ゴルバハーリ
    モハマド・アリフ・ヘラーティ
    ゾベイダ・サハール
    ハミダ・レファー