ダルドリー監督の映画のなかで、初めて眠気を催したもの、という意味で画期的な作品かもしれない。最後まで起きていられなくて、何度寝落ちしたかわからない。
サスペンスのはずなのに緊張感に乏しく、実話ではないだろうに実話とリンクさせた物語には疑問符がつきまくり。とはいえ、悪い作品ではないので、けなすつもりは毛頭ない。たまたまリオでオリンピックが開催されているこの時期にこの作品をDVDで見たことは意味がある。とはいっても、わたし個人は全くオリンピックを見ていなかったんだが。
まあとにかくブラジルの不正・腐敗・権力の濫用・警察の横暴と堕落は言葉にすることもできないほどひどい。これは映画「カルテル・ランド」で見たことと同じ構造だ(カルテル・ランドはメキシコだけど)。この映画ではその権力に一泡吹かせて溜飲を下げるわけだが、お話が現実離れしすぎていて、ついていけない。現実を変革する力になれるようにも思えない。つまり、現実はそんなに甘くないのだ。
この映画の圧巻は謎解きサスペンスでも権力の腐敗追及場面でもなく、なによりもゴミだらけ、まさにゴミの集積場に暮らす人々のバイタリティと汚さにある。この映画を観る日本人のほとんどがこのような場所で暮らすことなど想像もできないだろう。もちろんわたしも、こんなスラム以下のところで生活するなど考えることもできない。それがリオ・オリンピックの裏面の真実には違いないところがいっそう観る者に衝撃の現実世界を突きつける。どんなSFよりもすさまじいかもしれない、ゴミ山での生活。映画に臭いがなくてよかったよ。でもこれが、地球の裏側の真実なのだ。
ひょっとするとあと20年もすれば日本もこうなるかもしれない。このまま貧困が進み、社会的格差が進めば、あのゴミ山をあさる少年が自分の孫である可能性も否定できない。いま現在の格差と貧困を放置していいわけがない。ダルドリー監督はそれが言いたかったに違いない。同時に、あのゴミで暮らす少年たちの勇気としたたかさを描きたかった、のだろう。それにしては演出がゆるくていまいちだった。回想シーンとして挿入したビデオ動画がいっそう緊張感をそいでしまった。
アメリカ人神父として登場したマーティン・シーンについて、息子のチャーリー・シーンがインタビューに答えている記事を『キネマ旬報』で読んだ。マーティン・シーンは筋金入りの反体制派であるという。なるほど。こういう映画に出たがるわけだ。
というわけで、褒めているのかけなしているのかわからない感想になったけれど、大きく期待しないで見ればじゅうぶんよい作品なので、ぜひご覧あれ。(レンタルDVD)
TRASH
114分、イギリス/ブラジル、2014
監督: スティーヴン・ダルドリー、製作: クリス・サイキエルほか、原作: アンディ・ムリガン、脚本: リチャード・カーティス、音楽: アントニオ・ピント
出演: マーティン・シーン、ルーニー・マーラ、ヒクソン・テヴェス、エドゥアルド・ルイス、ガブリエル・ワインスタイン