去年、三部作を長男Y太郎と一緒にDVDで鑑賞した。ほんとは1部だけでやめようと思ったのに、おもしろすぎて止まらず、第2部まで一挙に見てしまった。数日間をおいて第3部も見たが、やはり面白いのは第2部までだ。というのも、カルロスたちが世界をまたにかけてアクションを仕掛けるのは第2部までがほとんどで、第3部になると彼らはことごとく司直の手に落ち、あとは地味な裁判闘争が始まるから。
カルロスは実在した反シオニズムのテロリスト。日本赤軍やドイツ赤軍との共同行動も多く、映画はその謎に満ちた20年間を描く。
第1部だったか、日本赤軍のメンバーが関西弁でしゃべっているシーンを見たYが思わず叫んだ。「あ、この人、知ってるわ!」。なるほど、プロの役者じゃなくて映画関係者をとりあえず起用したみたい。芝居がなんとなく下手と思ったらそういうことね。あとでYが「赤軍派が関西弁でしゃべってるという設定はおかしくないの?」と訊くので、「関西ブントなので、赤軍派が関西弁をしゃべっているのはまったくOK」と答えた。ただ、わたしも記憶力も衰えてしまっているので、事件の前後関係など歴史的事実についてはあやふやになっている。
この映画で描かれるカルロスは冷酷なテロリストであり狂信的なマルクス主義者であり、かつ自身の全裸を鏡に写して眺めているナルシストだ。そのうえ女たらしの家父長。帝国主義と闘うといいながら本人自身が権力をふるって女を抑圧するDV男である。こんなことはいくらでもある話で、既に何十年も前に駒尺喜美さんが書いているではないか。男たちは家の中に奴隷を飼いながら奴隷解放闘争の旗を振っている、と。わたしもこの映画を見ながら、「ふん、そんなもんよね、所詮は」と鼻先で冷笑しつつとっても残念な思いを持っていた。この手の左翼闘争は絶対に負けるだろうということが今ならわかる。独りよがりで、反権力闘争の内部に権力の論理を持ち込む矛盾に気づきもしない男たちの存在、人の命を虫けらのように扱う倫理観。いかに大義があろうと、この闘争は負ける。なぜなら、闘いの中に自由も共感も優しさも存在しないからだ。
この映画がエンタメ作として非常によくできている点は、まるでヤクザの出入りのようなアクションシーンが頻出すること、スケベなラテン男のカルロスのおかげでエロティックシーンに事欠かないこと(とはいえ、適度な処理)、元はテレビドラマとは思えない撮影の懲り方、といったことが挙げられる。
実録モノとしてみればたいそう面白い作品だが、これをどのように受け止めるかは観客によってかなり異なることになるだろう。
CARLOS
332分、フランス/ドイツ、2010
監督: オリヴィエ・アサイヤス、製作: ダニエル・ルコント、
製作総指揮: ラファエル・コーエン、脚本: オリヴィエ・アサイヤス、ダン・フランク、撮影: ヨリック・ル・ソー、ドニ・ルノワール
出演: エドガー・ラミレス、ファディ・アビ・サムラ、クリストフ・バック、ノラ・フォン・ヴァルトシュテッテン