いまや「『君の名は』難民」と呼ばれるほど大ヒットしている新海誠のアニメと違って、こちらはスタジオジブリの作品だというのに、劇場はガラガラである。こんなにクオリティの高いアニメなのに、なぜ見向きもされないのだろう。その答えは、これが全編セリフなしの、墨絵のような素朴な絵柄の寓話だからだろうか。
フランス映画だから、主人公の男はたぶんフランス人。彼が嵐の夜に溺れてたどり着く無人島は南国の小さな場所だが、なぜか竹林が生い茂る。そんな、地域や季節が曖昧で渾然とした架空の場所で、一人の男が妻を娶る。これは無人島でサバイバルする冒険譚ではない。一人の男が一人の女と出会い、愛し合い、子どもを産み育て、災厄を乗り越え、やがて子は巣立ち、親たちは年老いて死んでいく。ただそれだけの物語だ。いや、物語ですらないような、どこにでもある、どこにでもいる、普通の家族の物語である。
けれど、言葉を失うほど透明な美しさに輝く浜辺の暮らし、何もない無人島で孤独と絶望の淵に立つ男の前に突然現れる女、眠り続ける彼女の手にそっと触れる男のためらいと優しさ。すべてが心に静かにしみていく。セリフがないのに、そして人物の表情にもほとんど細かな描き込みがないというのに、その身振りだけで観客にはすべてが理解できる、絵のクオリティの高さにも息を飲む。海と空の輝き、透明な波、清浄の湖、銀河の砂が降り注ぐ星空、どこにも混ぜ物がなく、どこにも過剰がなく、どこにも汚れがない。
大きな海亀が守り、小さな蟹が住む、小さな無人島で起きる奇跡のような夢物語。亀の化身である若い女は赤く長い髪を持つ褐色の肌をしていた。男は決して自然に逆らわない。何も壊さず、最小限の狩猟を行うのみで、無駄な殺生もしない。とてもフランス人が作ったとは思えない、東洋的な香りがする作品だ。
赤い海亀が突然現れた瞬間の美しさには目を奪われる。亀好きにもお薦め。 一片の美しい詩を読み終わったような深い満足を得て、最後に涙がぽろりとこぼれる、そんな映画だった。こんなお話にしてやられるとは、わたしも歳を取ったということだろうか。閉じられた家族だけの世界で、ただ時の流れをやり過ごすだけの物語なんて、そんな社会性のない話なのにわたしにはうらやましくて仕方がない。誰もいない世界で二人きり、じっと静かに年老いていく。それは理想の世界かもしれない。純化された愛の世界。願っても決してかなわない、だからこそそんな寓話に現世(うつしよ)をひと時忘れる。音楽も美しい、至福の81分だった。
LA TORTUE ROUGE
81分、日本/フランス/ベルギー、2016
監督・脚本:マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット、プロデューサー:鈴木敏夫、ヴァンサン・マラヴァル、音楽:ローラン・ペレズ・デル・マール
アーティスティックプロデューサー:高畑勲