吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

サイの季節

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 うつつと幻惑とのあわいも不明な、30年にわたる抑圧と虐待に翻弄された男と女の悲劇。イランで政治犯として30年間囚われた詩人の実話をもとに、ゴバディ監督がこのうえなく美しく悲しい映像で、虚ろな復讐を描く。

 
 1977年、まだパーレビ国王が権威を振るっていた時代に、若く美しい妻と幸せな新婚時代を過ごしていた詩人サヘルは、イスラム革命によってあっけなくその「地位」を剥奪される。妻に横恋慕していた運転手アクバルは革命政権下にのし上がり、その地位を利用してサヘルの美しい妻ミナをわがものとすべく、策略をめぐらす。サヘルは反イスラムの詩人としてとらえられ、30年の刑を言い渡された。妻ミナも同じく捕らえられるが、アクバルはミナへの執着を絶ちがたく、その地位を利用してミナを犯す、、、、


いくつかの実話を重ね合わせて作られたという本作は、故郷イランを追われた監督バフマン・ゴバディの望郷の思いが込められた、心を引き裂くような乾いた作品だ。「サイの季節」は主人公である詩人サヘルの作品からとられたタイトルで、映画の中で何度も彼の詩が読み上げられる。新婚時代に妻とともに訪れた田舎道に生えていた奇妙にねじれた大木の圧倒的な生命力と奇観に象徴されるように、この映画には「画」の力が横溢している。ストーリーを追おうとしても徒労に終わるだろう。そこにはどれだけのリアリティがあるのか判然としないのだから。詩人の幻想と現実とが融合したすすけた色彩の画面は、塩の湖やサイが群れる砂漠の荒涼とした風景を悲しく切なくわたしたち観客に差し出すと同時に、権力が奪ったものの大きさを静かな怒りとともに指し示す。


ひび割れた大地の厳として人を寄せ付けない絶望に触れながらも、失ったものを取り戻すべく彷徨する男はサイのざらつく屍に行く手を阻まれる。それは現実世界ではなく、彼の心をよぎる深い諦念と過去への渇望が見せた幻。映画はどんどん色彩を失っていく。やっと出所した男が、妻の足取りを追ってトルコまでやってきても、妻の姿を遠くから眺めるだけで決してその前に姿を見せることがないのは、もはや彼が妻との生活を取り戻せないあまりにも深い絶望に足をすくわれているからか。年老いた妻はそれでもなお今も美しい。かつての輝く美貌(イタリアの至宝、モニカ・ベルッチですから!)は娘に譲られ、成人した美しい娘が男の前に現れる。彼の娘なのか、「いや違う」と男は答える。しかし、彼の妻は娘に「亡き父は詩人だった」と教えている。これもまた観客をはぐらかす設定だ。この映画には何も確かな事実が描かれていないかのようだ。しかし、間違いなく詩人とその妻の身の上に起きた30年に及ぶ残虐は揺るがせられないできごとである。

 「亀も空を飛ぶ」(2004年)を見たときにタルコフスキーのような作品を作る監督だと思った、その評価はこの作品によっていっそう確実なものとなった。すべての引き裂かれた家族と故郷を失った人々への鎮魂を込めた、墨絵のように美しい映画。もう一度見たい。

FASLE KARGADAN HA
2012、 イラク/トルコ、93分 
製作・監督・脚本: バフマン・ゴバディ、撮影: トゥラジ・アスラニー、音楽: ケイハン・カルホール
出演: ベヘルーズ・ヴォスギー、モニカ・ベルッチ、イルマズ・アルドアン、ベレン・サート