吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

わたしたちに許された特別な時間の終わり

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 アーティストというのは食べられるようになるまで時間がかかる。音楽家なら結果が出るまでまだ短い時間かもしれないが、映画監督なんて、初作品が40歳代とかふつうだし。そうなると、そこまでどうやって食べてたんですか? という疑問が沸く。

 このドキュメンタリーの主人公増田壮太は17歳でアマチュアバンドのコンテストで優勝し、メジャーデビューを夢見て音楽活動を続けていたが、結局、芽が出ないままに27歳で自殺してしまった。たまたまその彼を追うカメラを回していた友人の太田信吾が、その死後に実写フィルムとフィクションを織り交ぜて作ったのが本作である。

 死んでしまった増田壮太が生きているときに語る言葉が胸に刺さる。親の脛をかじって実家にいるような人間は負けたんだ、と彼は語る。人生を勝ち負けで考えてしまう彼の発想はどこから来たのか? いや、むしろこれが日本社会の大多数の考え方なのだろう。なにしろ企業は勝ち抜くことしか考えない。自由競争をしないようにするなら、カルテルだとか談合だとかを結ぶしかないが、それは犯罪とみなされる。しかしむやみに競争をあおった結果が過労死に行き着き、格差社会に行き着いたのではないのか?

 増田壮太の死んだ年齢がわが子と近いことを思うに心が張り裂けそうだ。葬儀で遺影を抱える父親の姿がたまらない。結果を出せと追及することがわが子を追い詰め、死なせるのではないか。増田壮太の親が息子を追い詰めたのかどうかはわからない。むしろ、そんなことはしていないというのが両親の認識だったようだ。

 「10年も同じことやってて売れないってことは才能ないんだ」と言う絶望的な壮太の言葉。たった4人しか客がいないライブ会場で自虐的にギターを弾き歌を歌う壮太、その悲しみが画面から伝わる。と同時に、カメラを回している監督自身がだらしない人間であることもあからさまにされている。被写体である増田壮太に根性がないといって罵倒されているのである。

 しかし、壮太の歌声は美しいし、メロディーも心に響くものだ。これがわたしたちの世代には受けるかもしれないが、今の若い世代には売れないのかもしれない。見た目も愛らしい壮太がアコースティックギターで奏でる音楽というのは時代遅れなのだろうか。

 本作には前向きになれないような若者ばかりが登場して、見ているのもつらい。努力が報われないとか、努力していることも感じられないといったグダグダの若者たちの暗いドキュメント映像は見ていてしんどいし、ここから何か教訓とか共感がくみ取れるのかどうかはよくわからない。ただ、成功しなければ負け犬だという発想だけはやめてほしい。親としてはそれだけを言いたい。わが子が何も大成しなくても、そんなことはどうでもいい。ただ生きていてほしい。それだけだ。

 ちなみにこの映画のタイトルは岡田利規の同名タイトルの小説から取られている。大江健三郎賞を受賞した彼の作品をぜひ読んでみたいものだ。

 この映画の視聴権は、ミニシアター・エイドに3万円を寄付した見返りとして1年間限定でネットで見られる作品集から選んだ。なんと、1年近く1作も見ないままで、もうそろそろ期限がくる。結局、ほとんど全然見られないままだった。自宅で配信動画を見たいとはあまり思わない。やはり映画館で見たいよー。(サンクスシアターにてネット視聴) 

2013
日本 Color 119分

監督:太田信吾
製作:太田信吾
脚本:太田信吾
撮影:太田信吾
編集:太田信吾