吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

大樹のうた

 第1話<第2話<第3話と面白くなるこの三部作、ついに第3話はまったく居眠りすることなく最後まで見続けることができた。劇場内が明るくなった瞬間にYが「第1話と2話は3話の<振り>やったんやな。長い前振りやなぁ」。その通り、これまでの2作はこの第3作のラストシーンのためにあったのである。

 

 舞台はカルカッタに移る。学費が尽きたオプーは大学を2年で修了することとなり、仕事を探して就活の日々。第3話はすっかり美青年に成長したオプーの新婚生活を描く。オプーの新妻が絵に描いたような、否、絵に描くよりも美しく愛らしい超絶美少女。しかし、この三部作はオプーに次々と艱難辛苦を与えることがお約束であり、これでもかとばかりに悲劇が起きる。

 オプーが美しい妻と嬉しそうにいちゃいちゃする場面はほんとうに微笑ましい。妻からの手紙を読みながらバスのなかでにやける場面なんて、実に巧みな演出だ。


 これまでになくテンポよく進んだ物語なのに、第3話の後半からはオプーの傷心の放浪の旅が始まり、ぐっと暗さを帯びる。家族の長い長い物語にはつねに死がつきまとい、流転の人生のやるせなさを描いて余りある。しかし、「大樹のうた」は、人の命の不思議さ、その脈々と受け継がれる生命の力を謳いあげて最後は感動の涙を誘う。


 いやー、実によかった。でも三部作を4時間ぐらいにまとめて一本にしたら、もっとサクサク見られるのになぁ。いや、やはりこの長さがあるからこそラストシーンの感動があるのかもしれないなぁ…。「大地のうた」がデジタルリマスターされて美しい画面が蘇ったらもう一度見直してみたい。

 映画館を後にしながらYが言った。「見に来てるのは年寄りばっかりやなぁ。中高年しか映画館で映画を見ないのと違うか。この人たちが死んだらもう映画を見る人がいなくなるのとちゃうか」

 自分が作る映画を見る観客がいないかもしれないと危機感を募らせる未来の監督であった。

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APUR SANSAR
105分、インド、1958
監督: サタジット・レイ、原作: ビブーティ・ブーション・バナージ、撮影: スプラタ・ミットラ、音楽: ラヴィ・シャンカール
出演: ショウミットロ・チャテルジー、シャルミラ・タゴール、スワパン・ムカージ、アロク・チャクラバルティ