かつて、「バグダッド・カフェ」という映画があって、名作との世評が高かったのだけれど、わたしは何度見てもこの映画は途中で爆睡してしまって最後まで見た試しがない。なので、今回のサハラのカフェもきっとそういう映画に違いない、と見る前からもう爆睡すること必定との覚悟と言うか諦めの境地であった。そんな境地でわざわざ映画館で映画を見なくても、と思うのだが、「今日は一か月半ぶりの休日なのだ。土日もずっと休みなく働き続けてきたのだから、1日ぐらい映画三昧してもよかろう」といそいそと出かけて観た映画(10月のこと)。とか言いながらじつはPCを持ち歩いていたから、空き時間にはしっかり仕事をしていたのであった(あー、どこまで行っても仕事が追いかけてくる)。
で、3本立てハシゴ映画の3本目がこれであった。もう3本目なんだから、たいてい疲れているし、寝るのはまあしょうがない。むしろけっこう起きていたほうだと自分を褒めてやりたい。
「バグダッド・カフェ」はアメリカを舞台とするドラマだったが、本作の舞台はアルジェリアのサハラ砂漠で、これはドキュメンタリー。どのあたりなのかはわからないが、ひたすら砂漠しかない場所に掘立小屋のようなコンクリート造り(?)のカフェが建っている。中には小さなテーブルが一台、椅子が3脚ほど置いてある10平米ぐらいの土間がある。日がな一日そのテーブルのそばにマリカばあさんは座っている。たまに客が来ると卵料理を出したり飲み物を提供したりする。
サハラのカフェというから、てっきり普段は誰も通らないところなんだろうと思い込んでいたわたしだが、実はひっきりなしにバスやトラックが通るのだ。だから、外はやかましい。そのうえしょっちゅう砂が舞い、強く風が吹いている。どうやって水を確保しているんだろう。電気はどこから引いているんだろう。冷蔵庫が置いてあるから電気は来ているのだろうけど。そもそもトイレはどこ? 台所や寝室は?
ひとり身のマリカばあさんはたった一人でこのカフェで暮らす。儲かっているのかいないのかよくわからないカフェだ。土偶のようなマリカの太った身体がなんだか可愛い。
あんなところに一人で住んでいて退屈しないのだろうか。本を読んだり映画を見たりしたいと思わないのだろうか。通りすがりの客人たちとのたわいのないおしゃべりにマリカの人生の断片が見える。娘が一人いたんだよ、でもね…。
達観しきっているようなマリカの瞳。もう怖いものなどなにもない。一人じゃないよ、猫も犬もいるし。
この映画は退屈なのかそうでないのかよくわからない。日本の観客にうけるのかどうかもわからない。あんな生き方もあるんだな、羨ましいのかそうでないのかもわからない。ただただ吹きすさぶ砂の中にポツンと建つ、小さなカフェ、看板もないカフェ、それがカフェだと誰が知っているのだろうと思うカフェ、そんなカフェに打ち捨てられたような老婆が一人、でも淡々とそして楽しそうに暮らしているではないか。
わたしには無理だ、お風呂もなさそうなあんな場所に住むのは無理。映画館がないのも無理。あんなところに居たら一日中昼寝しているしかなさそうだ。え、こんなカフェなのに、売ってほしいという人がいるの? 驚き桃の木山椒の木。まあ、こんな映画、誰が見るんだろう。あ、わたしが見たよ。ほかにも観客は数人いたね。マリカばあさんの人生は続く。この続きが見たくなってしまう、不思議な映画だった。
2019
143, RUE DU DESERT
アルジェリア / フランス / カタール Color 104分
監督:ハッセン・フェルハーニ
製作:ナリマン・マリ、オリヴィエ・ボワショ
撮影:ハッセン・フェルハーニ
編集:ステファニー・シカールほか