なぜ「わたしの物語」なのかと言えば、私小説ならぬ「私映像」、セルフ・ポートレート・ドキュメンタリーだから。生まれながらに股関節が無く、大腿骨も短い「障害者」である二十代の映画監督エラ・グレンディニングの「わたしの物語」は「わたしを肯定する物語」である。監督にとって初の長編ドキュメンタリー。
「みんなちがって、みんないい」と謡ったのは金子みすゞだったが、「みんなちがう」その「みんな」が「一人」しかいなかった時の絶望的な孤独感は言いようのないものだろう。グレンディニング監督は自分と同じような人に出会ったことがないので、SNSを使って探してみた。似たような障害を持つ人には確かに出会えたが、どこか違う。やはり世界中に自分と同じ障害を持つ人間はいないのか?
「すべての幸せな家庭は似ている。不幸な家庭は、それぞれ異なる理由で不幸である」と述べたのはトルストイ(『アンナ・カレーニナ』)だが、この映画でも、健常者同士はさほど違いがないが障害者の「しょうがい」は様々なバリエーションがあると気づかされる。そして、障害は不幸ではないというのが監督の主張だ。
障害者が健常者に近づこうと無理する必要はなく、健常者(=いまある社会)のほうが障害者をそのまま受け入れるべきだという考え方は、日本では1970年代に障害者解放運動の中で広まった。その動きは偶然にも世界の障害者解放運動と軌を一にしていた。1975年には国連総会で「障害者の権利宣言」が採択されている。エラがそういった歴史から学んで「ありのままの自分」を肯定する思想を獲得したのかどうかは定かではないが、この映画の主張はそのような歴史を想起させる。
手術によって障害を治療しようとする専門医をエラが「差別者だ」と断定するあたりは賛否両論ありえるだろう。「障害は個性」と言い切れるかどうかはまさに障害のありかたの数だけ答えがあるのでは。生まれ持った「障害」なら個性だろうが、中途障害者にとってはそうではない。だから障害者問題はややこしいのかもしれない。走れないより走れるほうがいいよね、歩けないより歩けるほうがいいよね、と思えるかどうかは障害者個々人が背負った成育歴や障害の程度によるのではないか。そんな様々なことをすべて包含してなおも、エラ・グレンディニングの「たった一人」の身体から発するメッセージが普遍性を持つかどうかが問われている。彼女が自らを素材に映画を作った意味はここにある。
今どきのセルフドキュメンタリーらしくスマホの自撮り動画も多用しているので、画面が狭苦しく感じところが映画的には魅力に欠けるかもしれないが、かえって彼女の心の声、自問自答が際立つ効果を生み出している。差別にめげず負けずくじけず、とても強い人だけれど思いまどうことだってある。
見終わった後、この先の彼女の人生を知りたいと思う。十年後、二十年後の彼女の姿を見てみたい。彼女の人生は始まったばかりだ。一人息子の成長と共に「わたしの物語」はこれからも続く。それは「わたしたちの物語」へと昇華するのか、それを拒否して「わたし」にこだわり続けるのか、「ふつう」とは何なのか、彼女の葛藤を受け止め共に悩み、共に楽しむことができるのか――わたしたちは。
2023
IS THERE ANYBODY OUT THERE?
イギリス Color 87分
監督:エラ・グレンディニング
製作:ジャニーン・マーモット
撮影:アンマリー・リーン=コー
音楽:エアランド・クーパー
出演:エラ・グレンディニング