吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台

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 騙された、と口あんぐりの呆れた結末。「予想外の結末があなたを待っている」とか「ラスト20分の感動」とかの惹句に煽られたのがいかんのか、感動の方向がまったく違ったことに呆然。映画を見終わった後のわたしの感情は激しく揺れ動き、驚きから怒りへ、そして感嘆へと変わっていった。そして、これは「他者」を見つめる目を内省させられる映画でもあるのだ、と気づくに至った今。なぜこの結末に「怒り」を感じたのか、そこにこそ小市民の安寧の罠が横たわっていると私は自覚したのであった。

 物語は、囚人たちが社会復帰のプログラムの一環としてサミュエル・ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」を上演するというもの。素人の彼らがいつしか技を磨き、やがて栄誉ある大劇場での公演のオファーを受けるまでの紆余曲折を描く。このようなプロットを書けば、素晴らしい感動の結末が予想されるではないか。一癖も二癖もある囚人たちがどうやって演技の巧者になるのか? 彼らはいかに刑務所外の公演をこなせるようになるのか? いろいろと興味は尽きない。

 この物語は実話を元にしている。実際にはフランスではなくスウェーデンの刑務所での出来事だ。欧州の刑務所や囚人の待遇など、わたしには知らないことが多すぎる。そしてこの映画を鑑賞するにあたって決定的に不足している情報が「ゴドーを待ちながら」そのものであること。この演劇をわたしはいまだかつて見たことがない。だから、肝心の演劇の面白さを味わえないのが実に残念だ。

 さて物語は、売れない中年の舞台俳優エチエンヌが刑務所の囚人たちの演技指導に雇われるところから始まる。フランスの刑務所事情はよくわからないのだが、とにかく彼らを善導するための一助として演劇という手法を思いついた刑務所役人や政府高官たちは、エチエンヌの指導に期待する。エチエンヌ自身の劣等感や不満が爆発しそうになりながらも、彼は文字も読めない者もいる囚人たちに根気よく付き合い、彼らの演技指導を行う。刑務所から外に出て公演をこなしていく囚人たちはどんどん技を磨き、ついには大臣も鑑賞する大劇場での公演をオファーされることとなる。果たして彼らの公演は無事に成功するのだろうか……!

 この映画を見終わって2週間以上経ったとき、ようやくこの映画から受けた衝撃を文字にすることができるようになった。わたしは無意識のうちに彼らに「囚人」というラベル(この場合はスティグマ)だけを貼り付けて理解していたのではないか。彼らが囚人になる以前の人生、一人一人の生きざま、苦しさ、楽しみ、そういった当たり前の生活があったことを一切捨象してしまっていたことに今さら気づいた。彼らのうちの一人は文字を読むことすらできなかった人物だ。そんな囚人が台本を読んで理解して演技する。これは奇跡のようなことだ。しかし、それが彼らの本当の望みだったのか? 囚人を演技によって矯正しようとした人たち(そしてその物語を鑑賞している私たち)は、知らずしらずのうちに彼らの行動や希望や未来を自分たちの価値観に当てはめようとしたのではなかろうか。だからこそ、ラスト20分間に衝撃を受けたのだ。

 役者エチエンヌ自身が不遇をかこつ身であり、そういう意味ではあまり「囚人」と変わらないのかもしれない。もちろんエチエンヌは囚人ではないから自由があるのだが。そんな彼が演出家としての腕を問われる場面に遭遇する。なんとか囚人たちを指導し、それなりの演技ができるようにまで育てた。彼とても内面ではたいそう誇りに思うものがあったはずだ。だからこそ、ラストの長広舌の感動的な演説が生きてくる。

 エチエンヌ畢竟の演説。これを聞くためにこの映画はあった、と言っても過言ではない。騙されたと思ってまずは本作を観てほしい。

2020
UN TRIOMPHE
フランス  Color  105分
監督:エマニュエル・クールコル
製作:マルク・ボルデュール、ロベール・ゲディギャン
原案:ヤン・ヨンソン
脚本:エマニュエル・クールコル
共同脚本:ティエリー・ドゥ・カルボニエーレ、カレド・アマラ
撮影:ヤン・マリトー
音楽:フレッド・アヴリル
出演:カド・メラッド、ダヴィド・アヤラ、ラミネ・シソコ、ソフィアン・カメス、
ピエール・ロタン、ワビレ・ナビエ、アレクサンドル・メドヴェージェフ、サイード・ベンフナファ