吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

うんこと死体の復権

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 タイトルからしてちょっとビビッていたのだが、巻頭いきなりおじさんがノグソ(野糞)するシーンに度肝を抜かれた。おじさんだけではない。うら若き乙女も野糞するのである。しかもその糞を1週間後ぐらいに掘り起こして、どれだけ虫さんたちが分解したかを科学的に検証する……。

 いやもう、すごい映画です。おまけに自分の糞土を食べたりして。巻頭、緑深い林が映り、鳥のさえずりが聞こえてくるのでほっとしたのもつかの間、いきなりノグソおじさんの姿が…。

 「うんこと死体を巡る旅にご一緒しましょう」というナレーションに、思わず「そんな旅に出たくないわ」と突っ込みかけた私であるが、確かにウンコも死体も自然の循環の中で動物や虫たちによって分解され、肥料になり、様々な動植物のエネルギー源になるのだ。大切なことではないか!

 と、優等生ぶって「日ごろ環境問題に関心を持っているなら、この映画も見なくては」などと義務感にかられている自分を発見してちょっとうんざりしたり。

 心おきなく野糞をするために、山まで購入してしまったノグソ人生一筋のおじさんの名前は伊沢正名(まさな)。彼は元写真家であり、菌類の撮影を専門としていた。しかし今や「糞土師(ふんどし)」を名乗る、うんこを愛するおじさんである。糞を分解する虫や糞から生えてくるキノコを観察し、糞そのものを研究し、土に還っていく過程を愛おしんでいる。

 トイレットペーパーを使ったら山じゅうトレペだらけになるのではと心配したが、大丈夫、トレペがわりに葉っぱを使うのである。そのために、トレペ以上に柔らかな肌触りの葉を栽培している。実に気持ちよさそうで、私も使ってみたくなった。

 次に登場するのは、玉川上水で小学生を相手に虫や小動物などの生態について解説している高槻成紀(せいき)。野生動物保全生態学を専攻する学者である。ここでもやはり糞がたくさん登場し、たとえば狸の糞に植物の種が含まれているおかげで新たな芽吹きが生まれる、という循環が示される。

 そして三人目は死体に魅せられた絵本作家、舘野鴻(たての・ひろし)。動物の死体が腐敗していく様子を観察し、蛆や死出虫(シデムシ)が湧いていく様子を熱心に眺めている。彼は死体に群がる虫たちの様子を徹底した細密画で再現する。彼の筆にかかると、それらが不思議なぐらいに美しい。

 この三人に共通するのは、うんこを見つけては嬉しそうに近寄っていき、それらに触れ観察し、生き物の奇跡の循環をそれぞれの言葉で表現していることだ。

 大切なことをすっかり忘れてしまっている私たちが、この映画から気づかされることは余りにも多い。ただし、閲覧注意のうんこの大写しであるから、覚悟して見てほしい。

 そうそう、監督のことを言い忘れてはいけない。探検家として勇名を馳せている関野吉晴である。若い頃はアマゾン川を下り、五十代からは「新グレートジャーニー」活動を行って、私たちの先祖がどのようにして日本列島にやってきたのか、その過程を再現している。鉄器も自分で作ってその鉄器で舟を作り、インドネシアから三年かけて航海したという。世の中にはすごい人たちがいるものだ。

 とにかくインパクトの強すぎる映画なので閲覧注意ではあるが、うんこの大写しにもだんだん慣れてくる。持続可能な循環社会を既に失ってしまったわたしたちに取り戻せるものが果たしてあるのだろうか。(機関紙編集者クラブ「編集サービス」誌に掲載した記事に加筆)

2024
日本  Color  106分
監督:関野吉晴
プロデューサー:前田亜紀、大島新
撮影:松井孝行、船木光