吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

のさりの島

『のさりの島』

 人を傷つける嘘は悪いものだし、場合によっては犯罪に結びつくこともあるだろう。だが、人の心を温める嘘なら許されるかもしれない。むしろ、嘘を共有することによって人が変わることもある、そんな微かな光がほの見える物語。 

 熊本県天草地方の町に一人の若者がやってきた。彼はオレオレ詐欺をしながら放浪の旅を続けているようだ。リュック一つを背負ってたどりついた次の被害者宅は、シャッター街になってしまった商店街の中にある楽器店だ。しかし被害者となるはずのその店の老主人・艶子は、若者を孫の将太だと思い込んで家に招き入れる。若者もなんとなく引きずり込まれるように家に居ついてしまい、すっかり将太になりきる。しかも成り行きで、町おこしのイベントのスタッフの一人になってしまう、という妙な流れへと転がってく。おばあちゃんと偽孫の不思議な二人暮らしはどうなるのだろうか…。

 オレオレ詐欺の青年が「受け子」として現れたというのに、艶子は「まあ、将ちゃん、お風呂に入りなさい」と家に招き入れる。え、認知症? などと観客も青年も訝っているうちに青年は家に上がり込んで夕食を摂っているではないか。この巻頭の展開がユーモアにあふれていて、なんとも言えず温かい気持ちになってしまう。そのあとは独特のゆったりとしたリズムで物語が拡散していく。どこにたどり着くのかもよくわからない。

 この青年の過去は最後まで不明だ。氏素性のわからない人間を自宅に上げてしまう艶子は、きっと直感的に「将太」が自分の懐に入って来られる人間だと見抜いたのだろう。まるで空気の分子と一体化したようにそこに居て、時間の流れの中であらゆる幸不幸も噛みしめ血肉化してしまった、仙女のような艶子を演じた原知佐子の存在感が素晴らしい。あんな風に年老いていければどれほど心安らかだろう。

 こんな艶子ばあちゃんと日々を過ごすうちに、将太は地元ラジオ局の若きキャスター清ら(きよら)たちの町の歴史発掘プロジェクトに加わるようになる。そして見つけた艶子の若いころの写真。彼の中で少しずつ変化が起きてきている、その背中を押した件(くだん)の写真は、天草の町の歴史が人々にもたらした変化のスピンオフなのかもしれない。

 この映画にはストーリーの本筋とは関係ないような不思議な場面がしばしば登場する。柄本明が能面師を演じていて、かれは今では能面ではなく案山子を作っているのだが、その様子が独特の不気味さを与えている。かと思えば、シャッターが閉まった暗い商店街で、一人立ち尽くしてハーモニカ(ブルースハープ)を演奏している少女が巧みな演奏で哀調の曲を響かせている。ラジオキャスターのきよらが石牟礼道子の詩を朗読する。それらは天草にまつわる人々であり、町の歴史を刻んできた様々な記憶の発露なのだろう。 

 「のさり」とは、天草地方に古くからある言葉で、自分の今ある全ての境遇は天からの授かりものである、という考え方だという(公式サイトより)。起きた出来事はすべてを受け入れ、受け止める。だからこそ、実は人は変わるのだ。この映画では劇的なことは何も起こらず、ある日突然やってきた風来坊はいつかまた出ていくだろう。物語の初めと終わりとで変わったのは残された町の人々か、それとも風来坊のほうか。

 淡々とした時間の流れに身を委ねながら、「艶子ばあさんに会いたい」と思うのはわたしだけではあるまい。 

2020
日本 Color 129分
監督:山本起也
プロデューサー:小山薫堂
脚本:山本起也
撮影:鈴木一博
音楽:谷川賢作、小倉綾乃、藤本一馬
出演:藤原季節、原知佐子、杉原亜実、中田茉奈実、小倉綾乃、柄本明