吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う

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 原題は「破壊」とか「取り壊し」という意味だ。確かに、主人公は破壊衝動に取りつかれる。それは、彼の妻が突然死んだことが原因だった。

 この映画は全く期待せずに見始めて、しかもiPadで細切れに、しかも寝る前にベッドにiPadを持ち込んで、というえげつない見方をしたことを作品に詫びたいくらい、期待をいい意味で裏切ってくれた良品だった。

 なんということもない物語かもしれない。しかも主人公がいけすかない銀行員で、まだ若いのに瀟洒な豪邸に住んでいるとか、資本主義の権化のような生活。

 しかし資本主義の尖兵であろうが貧しい労働者階級の革命家であろうが、妻をないがしろにしている男というのはどこにでもいる。仕事が忙しい。活動が忙しい。革命運動のためには私生活は犠牲にする。まあ、理由はなんでもいいんだけど、そういう男はいくらでもふつうにころがっているだろう。たぶん、この主人公夫婦もそういうカップルだったのだろう。そして、妻が事故死してしまって初めて夫は妻に向き合うことになる。

 しかしこの物語はそこに「被害者と加害者」を逆転させるような結末を用意している。とはいえ別に大したことではない。ミステリーでもなんでもないのだ。どこにでも転がっているような話だ。だからこそ、この映画には普遍性が宿っている。

 突然の喪失に人はどう耐えるのか、どう向き合うのか。妻が死んだというのに涙すら出ない、妻に無関心であった自分自身を知らしめられ、心が壊れていく若きエリートビジネスマンをジェイク・ギレンホールが存在感たっぷりに演じた。原題の「破壊」とはよく言ったもので、主人公が破壊したくなるものは夫婦生活のすべてだった。この壊しっぷりがあまりにも爽快なので、驚くばかりだ。

 妻に突然死なれた主人公に偶然出会うことになる女性がナオミ・ワッツ。その息子がジュダ・ルイス(2001年生まれなので、当時14歳)。ジュダ・ルイスがあまりにも美しい少年なので、その後の彼のことが気になって調べてみた。どうもパッとしない作品に出ているようなのが残念。

 人が喪失から立ち直るときのこらえようもない衝動的な有り様を丁寧に描き、かつスタイリッシュな編集で魅せた作品。役者たちの演技も先が読めないスリリングな展開もよかった。(Amazonプライムビデオ)

2015
DEMOLITION
アメリカ  Color  101分
監督:ジャン=マルク・ヴァレ
製作:リアンヌ・ハルフォンほか
脚本:ブライアン・サイプ
撮影:イヴ・ベランジェ
出演:ジェイク・ギレンホールナオミ・ワッツクリス・クーパー、ジュダ・ルイス