吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

グンダーマン 優しき裏切り者の歌

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  ”東ドイツボブ・ディラン”ともてはやされた労働者歌手ゲアハルト・グンダーマンが実はシュタージのスパイだった、という衝撃の告白を行った実話を描いた物語。と聞くと、「善き人のためのソナタ」(2006年)を想起させる。かの作品と異なりこちらは実話である。

 東西ドイツが統一した後の場面から映画は始まる。おそらく1993年ごろだろうか。グンダーマンが過去の「罪」と向き合うことを決意し、知人を訪問している場面だ。発端の一つは高名な劇作家ハイナー・ミュラーが実はシュタージのスパイであったと報道されたことであると、のちに観客にも知らされる。しかし映画の冒頭ではその場面の意味はまったく説明されない。そして画面は1975年に遡る。この“現在”と“過去”の場面の交錯がわかりにくい。若いころのグンダーマンと中年のグンダーマンがほとんど変わりないからだ。髪の長さで時の経過を見せたつもりかもしれないが、もう少し演出上の工夫がほしかった。

 グンダーマンが妻コニーとの結婚に至る恋物語も本作の重要なテーマだ。映画の冒頭では妊娠中の大きなお腹を抱えるコニーがイライラをグンダーマンにぶつけるシーンが印象的だ。遡ってその15年以上前、コニーは別の男の妻であり、第一子を出産したばかりである。このあたりの説明がほぼないのでわかりにくいのだが、グンダーマンとコニーは幼馴染で、コニーは別の男性と結婚して2子を産んでいたのだ。コニー夫妻は共にグンダーマンのバンド仲間であり、家族ぐるみのつきあいをしていたわけだが、グンダーマンはずっとコニーへの恋慕を抱いたままだった。というわけで、コニーとは略奪婚である。一歩間違えればグダグダの湿気の多い話になりそうだが、夫婦入れ替えの場面が何とも言えずユーモラスだ。

  昼間は鉱山でパワーショベルを運転し夜はステージに立つという彼の生活を支えた妻のコニーもまた、幼い子どもを抱えてストレスにつぶれそうになる。彼女の視点も興味深い。男の世界ばかりを歌ったわけではないグンダーマンは心優しい詩人であったが、家庭にあっては妻を犠牲にしていたのではないか? そして過酷なその生活が結果的に彼の寿命を縮めた。本作で何よりも印象深かったのは巨大な歯車が回転して褐炭を掘り出していく場面であり、壮大な露天掘りの風景だ。グンダーマンは最後まで炭鉱労働者だった。パワーショベルの運転手とプロ歌手としての活動。43歳での突然死は過労死だったのではなかろうか。

  そんな厳しい生活でも決して炭鉱での仕事を辞めようとしなかった彼は、その生活のなかで多くの詞を生み出した。劇中15曲もグンダーマンの曲が演奏されるので、本作は音楽映画といってもいいだろう。印象に残るメロディーはほとんどない代わりにその歌詞に大きな魅力を感じるので、彼の真骨頂は生活者・労働者詩人としての実感があふれ出た歌詞にこそあったと思える。

 党幹部が炭坑視察に来た際に、グンダーマンは現場の安全衛生について苦情を述べたり、幹部の素行を批判したりして反抗的な態度を見せている。二度も党から除名されながらシュタージのスパイとして働いていたわけだから、かなり複雑な事情、もしくは逆にきわめて杜撰なルールが適用されていたのではなかろうか。あるいは飴と鞭なのか。この映画では、共産主義者を自認し、スパイとして複雑な思いを抱いてきたはずのグンダーマンの心理を深堀りすることはない。深刻なテーマを扱っているのにユーモラスな場面も多く、ラストも明るい。実話が元になっていて、妻コニーが制作に協力しているので、あまりドラマ的な粉飾を施さなかったのかもしれない。

 ところで、これもまたアーカイブズ映画。52:28あたりからシュタージの記録を閲覧申請する場面がある。申請してから閲覧できるまでに2年ぐらい待たされると係員に告げられて嘆息するグンダーマン。その後、書庫に案内されて膨大なカードを見る。彼のことをシュタージの被害者だと思い込んでいた係員の特別の配慮だったのだが、じつは加害者であることがわかって軽蔑の目で見られる。おまけに書類は見せられないと拒絶された。

 今さらのように東ドイツとは何だったのかを問う作品であると同時に、ミュージシャンの複雑な生きざま、短い半生を描いた作品として一見の価値あり。ドイツ映画賞で6部門の優秀賞を獲得した。 

 GUNDERMANN

 2018 ドイツ 128分

監督:アンドレアス・ドレーゼン

脚本:ライラ・シュティーラー

音楽:イェンス・クヴァント

出演:アレクサンダー・シェーア

アンナ・ウンターベルガー