吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

私の知らないわたしの素顔

f:id:ginyu:20200302223908j:plain SNSの世界で他人になりすまし、疑似恋愛の深みにはまっていく中年女性を描いたスリリングな物語。

 映画の巻頭まもなく、都会の夜景を見下ろす高層マンションの天井高の窓にはりつくセックスシーンにぎょっとしていると、次のシーンではこの裸の女性が50代の大学教授であることがわかる。この冒頭のシーンは性依存症の男を主人公とする映画「SHAME -シェイム」を彷彿とさせる、ある意味おしゃれな場面だ。

 女性教授の名はクレール。演じたジュリエット・ビノシュは55歳で体当たり演技を見せている。多少老けたとはいえ、十分美しい。夫と離婚したクレールは年下の恋人とつきあっていたが、あえなく振られてしまう。恋人とどうしても連絡をつけたいと思ったクレールは恋人の友人であるアレックスに近づくため、Facebook若い女性になりすまして言葉巧みにアレックスの関心を引き、彼と懇意になる。

 ところが、もともとの目的から逸脱してクレールはすっかりアレックスに夢中になってしまう。アレックスもまたクレールが送ってきた偽のプロフィール写真に魅せらる。電話番号を交換した彼らは頻繁に電話をかけあうようになり、互いにどんどん惹かれあい、アレックスはクレールに会いたいと熱望するようになる。だが、年齢も顔も名前も偽っているクレールはアレックスと会うわけにはいかない。逢いたいのに逢えない、その気持ちが募り、やがて二人は深みにはまりつつも破局へと向かい……。

 他人になりすまして連絡を取り合うという基本コンセプトはなにもインターネット時代に特有の事象ではないだろう。手紙による文通でもなりすましは十分可能だから。しかしネット時代は容易に二人の距離を近づけてしまう。アレックスに見つからないように彼の姿を覗き見するクレールの熱いまなざしが切ない。見つかりそうで見つからない、会えそうで会えないスリルが映画を盛り上げていく。

 クレールは自分のこのような姿を主治医の精神科医に赤裸々に告白して相談している。精神科医はクレールよりさらに年を取った女性であり、クレールの挑発的な態度に怒りを見せることもなく冷静に患者として彼女を扱っているが、患者と医者との間の緊張感もまたこの映画の見どころだ。

 幾重にも張り巡らされた緊迫の糸が観客を画面に引きずりこむ。高い位置からのカメラが絶妙の緊張感と息をのむ美しさを醸し出すカメラも凝っている。ドローン撮影によるポンピドゥセンターやドーバー海峡の場面は誰もが息をのむだろう。

 クレールのような知性も美貌も併せ持った稀有な女性ですらも、「捨てられた」という衝撃には耐えることができないのだ。そして、その原因が自分には抗うことのできない年齢のせいだと思うことによって、彼女の絶望感はいや増す。

 緊迫の巻頭からスリリングな中間部、そしてどんでん返しが続くラストへと観客を騙しながら進む物語は、一人の女の哀しい自分語りと自己防御の物語へと転がっていく。これは中年を過ぎた女だけのことではなく、孤独にさいなまれるすべての人々にとって大きな陥穽をあけて待ち構える「つながる歓喜と装う悪戯心」を刺激するSNSの底知れなさを垣間見せる恐るべき作品だ。しかし、本当に怖いのはSNSではない。クレールの心の傷が最後に明かされるとき、愛を失うことの絶望と復讐に観客は震撼するだろう。

 頭のいい人間はさほど罪悪感もなく人を利用する。そのしっぺ返しがいずれやってくることもしらず。いや、知っていてもさらに狡知を使って次の手を打つ。しかしその狡知はいずれわが身を蝕む。。。。

 テーマ音楽は物悲しく美しく、映画が終わってからも切なさと戦慄が尾を引く。 (機関紙編集者クラブ「編集サービス」誌に執筆した記事に加筆)

2019
CELLE QUE VOUS CROYEZ
フランス / ベルギー   101分

監督:サフィ・ネブー
製作:ミシェル・サン=ジャン
原作:カミーユ・ロランス
脚本:サフィ・ネブー、ジュリー・ペール
撮影:ジル・ポルト
音楽:イブラヒム・マールフ
出演:ジュリエット・ビノシュ、フランソワ・シヴィル、ニコール・ガルシア、マリー=アンジュ・カスタ、ジュール・ウプラン、ギヨーム・グイ、シャルル・ベルリング