吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

さよなら僕のマンハッタン

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 マーク・ウェブ監督の演出はさすがだ。ちょっと退屈な話かな、と思わせておいて後半ぐいぐいと思わぬ展開を見せる。ラストに至るまでの波乱が爽やかに収束するのが小気味よい。
 本作は劇場で予告編を見たときにとてもそそられたのだが、結局映画館で見ることは叶わなかった。そして今般はiPadにダウンロードした動画を通勤電車の中で小刻みに見るという不規則な見方であったけれど、それでも十分楽しめた。そしてラストシーンが終わったとき、慌ててもういちど巻頭に戻って見直してみた。なんだ、ここをちゃんと覚えていれば全然違う見方が可能だったのに。そうなのだ、巻頭のナレーションはジェフ・ブリッジスの声だ。なぜ彼が主人公のことを語るのか? そして物語が動き出したとき、観客はそのナレーションのことを忘れてしまっている。そしてまんまと騙されるわけ。
 ストーリーはそれほど複雑ではない。大学を卒業したけれど、自身の将来をはっきり描けないモラトリアム青年トーマスが主人公で、彼が恋するミミという22歳の美しく聡明な女性とのデートの最中にたまたま父親の浮気現場を目撃してしまう、そこから始まる物語。父親の浮気相手は若くて美しいジョハンナ。トーマス自身もジョハンナの魅力に一撃されてしまう。トーマスは物書きになりたいと思っていて、彼の父親が出版社の社長だから、なにかとコネを使ってトーマスを引き立てようとしてくれているのだが、トーマス自身は親の七光りを良しとしていない。
 そんなこんなのある日、家を出てマンハッタンの下町で一人暮らししているトーマスのアパートに新しい隣人がやってきた。いつも酔いどれているその初老の男は不思議とトーマスを魅了する。若きトーマスの成長譚がこれから始まるのだ…
 どこまでがフィクションでどこまでが事実なのか? もちろん映画そのものがフィクションであるわけだが、そのフィクションの中でも事実と虚構は描き分けられてしかるべきもの。そのような映画文法のもとにこの物語は紡がれるが、巻頭のナレーションが謎を解く鍵であると同時に謎をしかける元でもある。劇映画というフィクションはおよそどのようなリアリティを観客のに提示するのであろうか。虚実の閾(しきい)が曖昧な、夜明けのまどろみのような語りの中にこそ、実は真実が宿っている。そしてわたしたち観客はそのあわいを楽しむ。映画的な微笑ましいトリックを仕込んだ本作は、わたしの新たなお気に入りとなった。青年の成長譚は爽やかで、ニューヨークのさまざまな「顔」(セントラル・パーク、ダウンタウンのレストラン、ギャラリーなどのロケ)とともに魅力的な画を魅せてくれる。(U-NEXT)

THE ONLY LIVING BOY IN NEW YORK
88分、アメリカ、2017
監督:マーク・ウェブ、製作総指揮:ジェフ・ブリッジスほか、脚本:アラン・ローブ、音楽:ロブ・シモンセン
出演:カラム・ターナーケイト・ベッキンセイルピアース・ブロスナンシンシア・ニクソン、カーシー・クレモンズ、ジェフ・ブリッジス