吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

オッペンハイマー

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 「原爆の父」と呼ばれたロバート・オッペンハイマーの伝記映画にして、見ごたえのある作品だった。冒頭に、神から火を盗んで人類に与えたプロメテウスが罰として拷問を受けたということが提示される。核爆弾がまさにプロメテウスの火であったことが描かれる作品だ。であれば、オッペンハイマーが拷問のように聴聞会で陰湿に追及されるのは当然のことなのだろうか。プロメテウスは誰なのか? ノーラン監督の意図はどこにあるのか、そしてその意図通りにそのことが観客に伝わっているだろうか。

 その答えを探る前に、まずは作品のあらすじを。

 ユダヤアメリカ人で天才的な頭脳の持ち主である若きオッペンハイマーが、留学先のケンブリッジ大学では実験に失敗ばかりしている場面から始まる。彼は精神的に不安定で、常に妄想・幻想にさいなまれている。その彼が見る幻影が宇宙の爆発であったりするのだから、常人とは全く異なるのだ。天才学者の頭の中っていっぺん覗いてみたいわ。して、その彼がその後アメリカに戻って教職に就くと、親友となる物理学者アーネスト・ローレンスと知り合う。演じているジョシュ・ハートネットが人の良さを前面に押し出しているのが好ましい。

 その後、次々と天才的な理論を発表して有名になるオッペンハイマーに、原子爆弾製造の主任にと白羽の矢が立てられる。1942年に始まるその極秘プロジェクトこそが「マンハッタン計画」だった。砂漠の中に町を作り、優秀な研究者を全米、そして海外からも招き、一刻も早くナチスよりも早く原爆を完成させようと奮闘するオッペンハイマーだった。しかし彼は戦後、水爆開発に反対し、核兵器反対を唱えたために「赤狩り」の憂き目に遭う。映画は彼が赤狩り聴聞会で厳しく追及される場面と、過去の栄光の場面とが矢継ぎ早に交差する。そのうえ、戦後彼をプリンストン高等研究所に招いた野心家の軍人ストローズ(ロバート・ダウニー Jr.)との確執の場面がモノクロで挟まり、目まぐるしい展開についていけない観客が多そうだ。だからといってストーリーが分かりにくいわけではなく、登場人物が多すぎて覚えるのに苦労する、ということ。

 本作は役者陣が豪華で圧倒される。一人ずつが登場するたびに、「この人物は映画の中ではさほどの出番がなくても重要人物である」ということがわかるので、こういう贅沢な配役はとてもよい。しかし一方で、あまりにも説明不足が目に付いて、よくこれでアメリカで大ヒットしたものだと不思議に思う。最低限の歴史的事実を知っていなければ、映画の中で何が起きているのかさっぱりわからないし、物理学者たちの名前ぐらいも知っていないと誰が何をもくろんでいるのかもわからない。アインシュタインなんか、登場した瞬間に遠目にもそれとわかるから笑えるが、それがわからない人にはどうしようもなくわかりにくい映画かもしれない。

 しかし、映画を見慣れた人間には時系列の飛び飛びもついていけるだろうし、何よりもオッペンハイマーの脳内で繰り返されるフラッシュバック映像の巧さに、さすがはノーラン!と快哉を叫びたくなる。

 本作について広島・長崎の惨禍を描いていないという批判が噴出しているが、それはオッペンハイマー自身が直視できなかったということを映画の中で再現しているからなのだ。原爆投下30日後の映像が上映されている場面では彼は思わず目を閉じ、顔を背けている。それは1960年に訪日した際に広島にも長崎にも立ち寄らなかった彼の一貫した態度を示しているといえる。恐ろしすぎて見ることを拒絶した大虐殺の張本人としての苦悩は十分に伝わる。だからこそ、戦後は反核平和を訴え続けたのだ。

 広島・長崎の犠牲者だけではなく、原爆実験を行ったロスアラモス研究所の関係者や周辺住民も多くが被曝したはずだが、本作ではその犠牲についてもまったく言及されていない。そこもまた批判点として挙げられるだろう。しかし、一つの作品ですべてを表現するのは不可能なのだ。あれもないこれもないと批判するよりも、やっとハリウッドの大作で核兵器反対が堂々と述べられたことを評価したい。ハリウッド映画の核兵器の扱いの杜撰さは目に余るのだから、そのことに異を唱える作品がこれからも作られることを願う。

 ところで、オッペンハイマーは女性にもてたようで、そんな彼の性生活の奔放さも描かれているのだが、聴聞会の場面での描き方には疑問符が付く。あの場面は必要だったのか? まあとにかく一度見ただけではストーリーを追うだけで精いっぱいなので、細部の表現に目が行くには2度3度と鑑賞する必要があるだろう。IMAXで見ると没入感が半端ないということなので、もし二度見するなら次はIMAXで見たいが、無理かな。

2023
OPPENHEIMER
アメリカ  Color  180分
監督:クリストファー・ノーラン
製作:クリストファー・ノーランほか
原作:カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン
脚本:クリストファー・ノーラン
撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ
音楽:ルートヴィッヒ・ヨーランソン
出演:キリアン・マーフィエミリー・ブラントマット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネットケイシー・アフレックラミ・マレックケネス・ブラナーゲイリー・オールドマン