吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

リンドグレーン

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  「やかまし村の子どもたち」の原作者、アストリッド・リンドグレーンの若き日を描いた伝記映画。実はわたしはリンドグレーン出世作の「長くつ下のピッピ」を読んだことがない。そもそも子どものころに絵本をほとんど読んでいないし、児童文学もあまり好きではなかった。そんな子供だましの本は好きじゃなかったのだ、おませだったから。もちろんいくつもの名作は読んだけれど、「長くつ下のぴっぴ」には惹かれなかったのだろう、読んだかどうかも不明だ。

 この映画はそのリンドグレーンリンドグレーンになる前の、つまりリンドグレーンと結婚する前の十代後半から二十代半ばのことを描いている。アストリッドは18歳のとき、友人の父親が経営する地方新聞社に雇われることになる。編集長兼経営者は若くして才能の見いだされる彼女を高く評価し、いつしか二人は歳の差を超えて愛し合うようになる。しかし、妻帯者である編集長とは簡単には結婚できない状態だ。にもかかわらずアストリッドは妊娠してしまう。密かにデンマークに渡って出産し、生んだばかりの子どもを里親に預けて帰国する。近いうちに編集長と結婚して乳児を引き取ることを夢見て。

 しかし現実は厳しい。出産したばかりのつらい体調で、胸はパンパンに張って乳が垂れて、服は乳まみれになってぼとぼとに濡れる。その匂いや痛みはこれはもう経験した者にしかわからないだろう。わたし自身も乳が張って乳腺炎になった経験があるから、その痛みはよくわかる。飲ませる乳児がそばにいてさえそのような病気になったのだから、ましてや生んだ子どもを手元から離してしまった母親のつらさは想像に余りある。

 しかし不倫相手の編集長はそんなアストリッドの苦悩がまったく理解できない。彼自身も妻との離婚協議がうまくはかどらずにイライラが募るのだが、アストリッドが感じているつらさや疎外感など、女性にだけ強いられた倫理や性差別の実態に無自覚なままだ。やがてアストリッドがそんな恋人の態度に切れてしまう日がやってくることは当然だろう。

 物語は成功譚ではない。主人公が成功する前のつらい日々を描いているわけだから、物語は暗く静かで鬱々とした気分が蔓延してくる。見ていて何も楽しくない。実際その通りだからしょうがないのかもしれないが、観客の方もその状態を心して見るべき映画だろう。心が落ち込んでいるときやしんどい時に見て元気が出るわけではない。しかし、観客は知っている。この若く才能に満ちてまだ社会に認められずに悶々としている彼女がいずれ世界的ヒットメーカーとなって大成功することを。それだけが本作の救いだ。だからこそ、この映画の撮影の美しさ、光の美しさに恍惚となる。そう、ここには光があるのだ。

 成功し年老いたアストリッド・リンドグレーンが映画の巻頭と、ところどころに登場する。アストリッドばあさんは子どもたちからのファンレターを読んでいる。「なぜあなたは子どもの心がわかるのですか」と無邪気に問うその手紙に彼女は何を思うのだろう。画面では年老いた彼女の後姿が写るばかり。(レンタルDVD)

2018
UNGA ASTRID
スウェーデンデンマーク Color 123分
監督:ペアニル・フィシャー・クリステンセン
脚本:キム・フップス・オーカソン、ペアニル・フィシャー・クリステンセン
撮影:エリク・モルバリ・ハンセン
音楽:ニクラス・スミット
出演:アルバ・アウグスト、マリア・ボネヴィー、トリーヌ・ディルホム、サムエル
ヘンリク・ラファエルソン

ウォーム・ボディーズ

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 異色のゾンビもの。

 どういう経過か知らないが、世の中にゾンビ病が蔓延して8年後という設定になっている。もはや世界中に生き乗った人々はわずかにNYに居るのみ。ていう設定からしてもう全然意味不明なんですけど。なんでガソリンあるんですか。なんで電気が通じているんですか。なんで自動車が運転できるんですか(キーはどうしたの)。とか、いろいろありえない設定だらけなのだが、そんなことは気にせずグイグイと前に進みましょう。

 それから、ゾンビにも2種類あって、いちおう人間の姿を残しているゾンビと、完全に人間であることをやめた骸骨とがいる。で、ガイコツたちが勿論狂暴であり、どうしようもなく論理とか話し合いが通じない相手だ。人間と似た姿を残しているゾンビの青年であるRは、ある日、食糧収集のための人間狩りの途中で、ジュリーという名の娘に一目ぼれしてしまう。しかし、彼は自分がかつて人間だった時の名前が「R」で始まる綴りであるということしか覚えていないようなゾンビであり、ろくに言葉も話せない。なのに、ジュリーを助けようと躍起になる。しかし、実はRは空腹を満たすためにジュリーの恋人を食ってしまったのだった。人間の脳を食うとその記憶を体感できるゾンビとして、Rはジュリーの恋人の記憶を所有してしまう。。。

 という、妙な設定から始まって、人間のジュリーをなんとかしてゾンビたちからかくまおうとするRの孤軍奮闘が描かれ、さらにはゾンビRが徐々に変化していく様子に驚かされるという話。

 これは異文化理解のメタファとしてとらえることができる物語であるが、変化するのが人間のほうではなくゾンビの方だというのがインチキくさい。ゾンビが徐々に人間らしくなっていく、ということなのだ。だから異種であるゾンビと人間とが交流可能になっていくという設定なのだが、大いに疑問が残る。結局のところ、人は自己変革を遂げることなく、一方的にゾンビに人間化を強要する話ではないのか? 異文化理解というよりも融和を促す話である。生き残った人間たちが高い壁を築いて自分たちの居住区を守っている様子は「アメリカ、ファースト」と叫んでメキシコ国境に壁を設置したトランプ大統領を想起させる。

 ゾンビたちがどんどん人間に戻っていくラストシーンで、「人間に戻れてよかったね」というハッピーエンドになるのだが、自分の恋人を食ってしまったゾンビを愛することができるのか? そんなええかげんなものなのか、人間の心理は。納得できない。

 とはいえ、ここには異文化コミュニケーションのあり方など、いくつも示唆に富んだ点があって、映画を見終わった後にいろいろ語り合いことがある含蓄多い作品である。もちろん全体としてコメディなんだけどね……。(レンタルDVD) 

2013
WARM BODIES
アメリカ Color 98分
監督:ジョナサン・レヴィン
製作:ブルーナ・パパンドレアほか
原作:アイザック・マリオン 『ウォーム・ボディーズ ゾンビRの物語』(小学館刊)
脚本:ジョナサン・レヴィン
撮影:ハビエル・アギーレサロベ
音楽:マルコ・ベルトラミ、バック・サンダース
出演:ニコラス・ホルトテリーサ・パーマー、ロブ・コードリー、デイヴ・フランコジョン・マルコヴィッチ

昔々、アナトリアで

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 オープニングクレジットが終わったあとの巻頭ロングショットの美しさには息を飲む。薄暮アナトリアの丘陵地帯。画面のど真ん中に少し寂しそうな、それでいて存在感のある木が1本。くねくねと曲がった道をライトを輝かせながら走ってくるのが3台の自動車であることが間もなくわかる。これはもうタルコフスキーへのオマージュに違いない。この壮大な画面を劇場のスクリーンで見たかった。

 この3台に車に乗っているのが被疑者、警察官、検事、医師、土堀人、軍警察官たちであることがやがてわかる。しかし、被疑者は被害者を広大なアナトリアの野原のどこに埋めたのか言を左右にするため、一向に死体は見つからない。このままずっと永遠に広野をさすらう映画なのかも、と思い始めたころには深夜になっていて、この一行はとある村に食事を求めてやってくる。村長の自宅で歓待を受けた彼らは村長の末娘のあまりの美しさに息をのみ、犯人は被害者の幻影すら見るようになる。

 アナトリアの美しい風景、そこは家も人も動物も何も見えないただ広いだけのうねった大地なのだが、吹きすさぶ風にさらされる木々の揺れ動くさますらも踊るように美しい。監督はカメラマンだったそうで、この風景を撮りたいためだけにここを撮影場所に選んだのではないかと思われるほどだ。

 物語は何も進まず、ただ退屈な会話が続くのみだが、その会話が実は後からすべて生きてくるから油断ならない。犯人捜しのミステリーではなく、真相を明らかにするすっきり感もみじんもない、とんでもない作品だ。日本で劇場未公開はある意味当然の悲しむべき結末と言えよう。

 登場人物たちが交わす雑談の中に垣間見える彼らの現在の悩みや過去の傷、そういったものが実にさりげなく物語全体を覆う。そしてそのすべてがこの事件の結末に響いてくることがわかるラストが衝撃的だ。しかも、そのラストシーンには悲しみとともにかすかな希望も見える。どんな画面もロングショットで魅力あふれる画を見せるジェイラン監督が、ラストシーンを医師の横顔のアップで終わらせたことには大きな意味がある。

 悩める医師、サッカーボールを蹴る元気な少年、夫の死に涙する若い妻、犯人をかばおうとする被疑者、誰もかれもが少しずつの罪を犯し、決して悪人ではなく、しかしその罪がそれぞれの人生にとって大きな瑕疵となっている。そんな複雑な人生模様をほとんど説明的なセリフもなく、淡々と、BGMもなく撮り終えた監督の手腕に脱帽する。アナトリアの大地を映した美しい画面はいつまでも見ていたいと渇望させる魅力にあふれていた。(Amazonプライムビデオ) 

2011
BIR ZAMANLAR ANADOLU'DA
トルコ / ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 157分
監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
脚本:アルジャン・ケサル、エブル・ジェイラン、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
撮影:ゲクハン・ティリヤキ
出演:ムハンメト・ウズネル、イルマズ・アルドアン、タネル・ビルセル、アーメット・ムンターズ・タイラン

ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語

 子どもの頃に大好きだった「若草物語」。わたしはもちろん自分自身を次女・ジョーに重ねて読んでいた。男勝りで活発で気の短いジョー、文才があって男に頼りたくないと思っている彼女がわたしの目指すべき憧れの存在に思えたものだ。

 だから、50年ぶりに本作に出会ったとき、懐かしいような、新たな物語が紡がれているような感動を味わえた。若草物語の主人公たちが登場する本作は原作を大胆に組み替えて、「現在」の時制をニューヨークに出てきたジョーの1886年に設定している。出版社に持ち込んだ原稿が評価されたのかされないのか微妙な感じ。編集者は言う、「女主人公が結婚しない物語は売れない」と。だからジョーはしぶしぶ自分をモデルとする主人公を結婚させることになるのだ。しかしそれは結末の話であって、物語はまず7年前に飛ぶ。

 ここから、わたしたちがよく知っている「若草物語」を基本的になぞっていくのだが、映画では縦横に時間軸が操作される。うっかりしていると、今が「現在」なのか「7年前」なのかわからなくなる。これはもう、原作を読んでいるかどうかで勝負は決まりだね。原作ファンにだけ送る映画といってもいいのではないか。だからこそ、この映画の物語が「若草物語」なのか、ジョーの物語なのか判然としなくなり、「現実」と「映画内物語」が混然一体となっていく。その演出が実に見事だ。

 そしておなじみの4姉妹、しっかり者で結婚願望の強いメグ、自立心旺盛なジョー、病弱で心優しいベス、お茶目でわがままで可愛いエイミー、この4人の仲のよさと喧嘩っ早さを笑って見ていることになる。なんとまあ、かしましい娘たちよ!

 それなりの長さがあるはずの作品なのにまったく退屈することがなく、非常にテンポのいい演出と、アメリカの大地と邸宅、四人姉妹のささやかな、しかし堅実な生活ぶり、パリでの瀟洒な部屋と調度品といった美術や撮影にも陶然とする。

 マーチ家の四人姉妹は「金がない」とか「隣の金持ちがうらやましい」といったセリフを吐くが、どこが?というぐらいに立派な家に住んでいるのだから、21世紀の日本の都会に住んでいるウサギ小屋の住民からは十分贅沢な生活ぶりに見える。それぐらいアメリカ白人の家庭はもともと裕福だったのだろう。南北戦争のせいで没落して生活が苦しくなったということだろうが、それはあくまでも「裕福だった以前と比べて苦しい」というだけのこと。

 この時代のアメリカ白人の中流階級の習慣もよくわかってとても興味深い。姉妹の父は従軍牧師として出征しているのだが、無事に帰還できるかどうかが彼女たちの一番の気がかりだ。そういった歴史的な事情がいろいろと呑み込めてとても楽しめる映画である。

 ラストシーンのジョーの一言には思わずうなってしまった。そうだよ、著作権って大事だからね。ここに女の経済的自立への知恵の泉が湧いていることをグレタ・ガーウィグ監督は見抜いている。(レンタルBlu-ray) 

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2019
LITTLE WOMEN
アメリカ Color 135分
監督:グレタ・ガーウィグ
製作:エイミー・パスカルほか
原作:ルイーザ・メイ・オルコット
脚本:グレタ・ガーウィグ
撮影:ヨリック・ル・ソー
音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:シアーシャ・ローナンエマ・ワトソン、フローレンス・ピュー、エリザ・スカンレン、ローラ・ダーンティモシー・シャラメメリル・ストリープルイ・ガレルクリス・クーパー

9人の翻訳家 囚われたベストセラー

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 プルースト失われた時を求めて』、これが本作の最大のギミックではなかろうか。実はこの世界史に残る名作といわれている小説を私は読んでいない。同時にこの映画で言及されているジェイムズ・ジョイスユリシーズ』をわたしは邦訳1巻だけ読んで途中放棄してしまった。今後、この2作については現役引退してからの楽しみにとっておこう。

 さて、本作は出版社が『ダ・ヴィンチ・コード』などのシリーズ作の翻訳版を出版するさい、実際に翻訳家たちを地下室に閉じ込めて仕事させたということにヒントを得て作られたという。本作に登場する各国9人の翻訳家の中に残念ながら日本人はいない。アジア系では中国人だけだ。世界的大ヒット作を各国語に翻訳するという設定で、内容の流出を恐れた出版社が翻訳家を閉じ込め、ネット厳禁で監視しながら毎日少しずつ原稿を渡して翻訳させていくという物語。

 舞台がフランスだから三食の料理がおいしそうで、こんなだったらわたしも缶詰にされて原稿を書きたい!と思ってしまう。豪邸の地下に閉じ込められるので、豪邸の庭も素敵、プールもあるでよ。ロシア語の翻訳家がオルガ・キュリレンコ。彼女が白いドレスで登場すると画面がぐっと華やかになる。けっこう細部が凝っていて面白いのだ、この作品は。

 しかしなにしろ登場人物が多い。翻訳家だけで9人。それぞれがそれなりにキャラが立っているからなんとなく区別はつくけれど、「あれ、この人は何国人だったけ」と途中で頭が混乱してくる。そのうえ、物語の構造が入れ子の上にさらに入れ子になっているというマトリューシカ状態。

 原稿を盗み出して複写機にかけるシーンのスリルはたまらなく面白かったけれど、それもまたやりすぎの設定であることが後から判明する。全体に話を作りこみ過ぎてリアリティに欠けてしまった。しかしこの映画はリアリティなんかどうでもいいのだ。文学を取り戻す!っていうのが裏テーマ。確かにこの映画を見ると小説をいろいろ読みたくなる。出版社の商業主義を批判する映画でもあるのだが、昨今の出版不況を見るにつけ、商業主義も発揮できない悲しい業種になりつつあると複雑な気持ちに襲われた。。。(レンタルDVD) 

2019
LES TRADUCTEURS
フランス / ベルギー Color 105分
監督:レジス・ロワンサル
製作:アラン・アタル
製作総指揮:グザヴィエ・アンブラール
脚本:レジス・ロワンサル、ダニエル・プレスリー、ロマン・コンパン
撮影:ギヨーム・シフマン
音楽:三宅純
出演:ランベール・ウィルソンオルガ・キュリレンコリッカルド・スカマルチョ、シセ・バベット・クヌッセン、エドゥアルド・ノリエガ

アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン

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 1972年に一度は劇場公開映画として(映像内では「テレビ放送用」と語られている)シドニー・ポラックによって撮影されたものの、技術的な問題が発生して完成しなかったライブ映像が、ようやく映画として完成された、というもの。よくぞこのお蔵入りフィルムが残っていたものだ。それに名監督ポラックが撮っていたとは驚く。

 画像が汚いし見苦しいところも多いのだが、アレサ・フランクリンの魅力は存分に伝わる。聴衆が共にハイになり、バックコーラスが興奮して立ち上がり、拳を突き上げ、踊る。ゴスペルとはこのように ”人々をどこかに連れていく” ものなのだ。その迫力に酔いしれる映画だ。

 もともとわたしはアレサ・フランクリンのファンというわけではないし、それどころかほとんど何も知らないのであった。にもかかわらず見に行ったのは、けっこう評判がよかったから。どんな映画なのかは事前情報無しだったので、50年前の教会でのライブ記録だったとは予想外だった。この映画を見ればゴスペルという音楽ジャンルが黒人教会でどれほど大きな役割を果たしたかが実感できる。聖歌隊からはホイットニー・ヒューストンなど優れた歌手が生まれていることを思い出す。

 アレサはゴスペルからソウルミュージックへと転向し、ソウルの女王と呼ばれた。この映画の当時は29歳、すでにいくつもヒットを飛ばしていた大スターだった。ミック・ジャガーも見に来ていた2晩に及ぶライブは、彼女の最高傑作と呼ばれている。ここで歌われた曲は教会音楽であり、信仰を歌い上げるものだが、信仰心のないわたしも大いに感動した。アレサはゴスペルからソウルに転向したと書いたが、その二つは明確な線引きは困難だし、アレサはソウルとゴスペルの区別なく魂の音楽を歌い上げている。

 教会には彼女の実父も聴衆として来席している。アレサに音楽の手ほどきをしたのがこの父であり、ゴスペル歌手であった母の血を引いたのだろう、幼いころからアレサの歌唱力は群を抜いていたという。父は有名な牧師であり、黒人解放運動の活動家であった。この映画でも突然スピーチを依頼されてアレサのことを語っている。

 映画の魅力はアレサの歌声だけではなく、彼女の師であるジェームズ・クリーブランドのピアノと低く響く歌声もまた堪能できることで一層高まる。これはもう、見るしかないでしょ! 

2018
AMAZING GRACE
アメリカ Color 91分
製作:アラン・エリオット
撮影:シドニー・ポラック
出演:アレサ・フランクリン

 

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 中島みゆき縛りで映画ができるとは! まるで「マンマ・ミーア!」みたいではないか。しかしよく考えてみたら、中島みゆきの曲にはドラマがあるし人生が語られているし哲学や思想が宿っているのだから、十分物語を作ることは可能なのだ。

 してこの物語は、北海道で出会った13歳の少年少女が恋に落ち、駆け落ちを試みるが大人たちに引き裂かれ、その後二人は何度も出会ってはすれ違い、遠く離れて別々の人生を歩み、最後には深く結びつく、という涙なしには見られない大河ドラマ

 話を盛り上げるために少々作りすぎている部分もあるけれど、映画なんだからこれぐらいはやらないとね! 平成元年生まれの二人が平成の終わりを迎える時に、というテーマや時間軸の設定はありがちかもしれない。瀬々敬久監督がこんな「年号」にこだわった作品の監督を引き受けるとは意外だったが、しっかり稼いでいただかないと! 自主製作映画の資金も必要だしね。

 で、演出が万全で、脇役・端役に至るまで役者たちがとてもいい演技を見せているため、長さを感じさせない。中島みゆきの歌も要所要所でうまく使われている。成田凌がカラオケで熱唱した「ファイト!」なんか上手いのか下手なのかわからないぐらいに迫力があって、聞かせた。

 ストーリーにうまく経済・社会状況を織り込んでいるため、この30年の歴史を振り返る仕様にもなっている。児童虐待、バブルとその崩壊、グローバリズム、ネイル事業の流行、子ども食堂まで、盛りだくさんだ。

 ラストシーン、エンドクレジットと共に流れる映像に思わず涙。こういう話に弱いよ、わたしは。(レンタルBlu-ray

2020
日本 Color 130分
監督:瀬々敬久
企画プロデュース:平野隆
脚本:林民夫
撮影:斉藤幸一
音楽:亀田誠治
   中島みゆき 『糸』
出演:菅田将暉小松菜奈斎藤工榮倉奈々山本美月高杉真宙、馬場ふみか、倍賞美津子、永島敏行、竹原ピストル二階堂ふみ松重豊田中美佐子成田凌