吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

昔々、アナトリアで

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 オープニングクレジットが終わったあとの巻頭ロングショットの美しさには息を飲む。薄暮アナトリアの丘陵地帯。画面のど真ん中に少し寂しそうな、それでいて存在感のある木が1本。くねくねと曲がった道をライトを輝かせながら走ってくるのが3台の自動車であることが間もなくわかる。これはもうタルコフスキーへのオマージュに違いない。この壮大な画面を劇場のスクリーンで見たかった。

 この3台に車に乗っているのが被疑者、警察官、検事、医師、土堀人、軍警察官たちであることがやがてわかる。しかし、被疑者は被害者を広大なアナトリアの野原のどこに埋めたのか言を左右にするため、一向に死体は見つからない。このままずっと永遠に広野をさすらう映画なのかも、と思い始めたころには深夜になっていて、この一行はとある村に食事を求めてやってくる。村長の自宅で歓待を受けた彼らは村長の末娘のあまりの美しさに息をのみ、犯人は被害者の幻影すら見るようになる。

 アナトリアの美しい風景、そこは家も人も動物も何も見えないただ広いだけのうねった大地なのだが、吹きすさぶ風にさらされる木々の揺れ動くさますらも踊るように美しい。監督はカメラマンだったそうで、この風景を撮りたいためだけにここを撮影場所に選んだのではないかと思われるほどだ。

 物語は何も進まず、ただ退屈な会話が続くのみだが、その会話が実は後からすべて生きてくるから油断ならない。犯人捜しのミステリーではなく、真相を明らかにするすっきり感もみじんもない、とんでもない作品だ。日本で劇場未公開はある意味当然の悲しむべき結末と言えよう。

 登場人物たちが交わす雑談の中に垣間見える彼らの現在の悩みや過去の傷、そういったものが実にさりげなく物語全体を覆う。そしてそのすべてがこの事件の結末に響いてくることがわかるラストが衝撃的だ。しかも、そのラストシーンには悲しみとともにかすかな希望も見える。どんな画面もロングショットで魅力あふれる画を見せるジェイラン監督が、ラストシーンを医師の横顔のアップで終わらせたことには大きな意味がある。

 悩める医師、サッカーボールを蹴る元気な少年、夫の死に涙する若い妻、犯人をかばおうとする被疑者、誰もかれもが少しずつの罪を犯し、決して悪人ではなく、しかしその罪がそれぞれの人生にとって大きな瑕疵となっている。そんな複雑な人生模様をほとんど説明的なセリフもなく、淡々と、BGMもなく撮り終えた監督の手腕に脱帽する。アナトリアの大地を映した美しい画面はいつまでも見ていたいと渇望させる魅力にあふれていた。(Amazonプライムビデオ) 

2011
BIR ZAMANLAR ANADOLU'DA
トルコ / ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 157分
監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
脚本:アルジャン・ケサル、エブル・ジェイラン、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
撮影:ゲクハン・ティリヤキ
出演:ムハンメト・ウズネル、イルマズ・アルドアン、タネル・ビルセル、アーメット・ムンターズ・タイラン