吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

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 中島みゆき縛りで映画ができるとは! まるで「マンマ・ミーア!」みたいではないか。しかしよく考えてみたら、中島みゆきの曲にはドラマがあるし人生が語られているし哲学や思想が宿っているのだから、十分物語を作ることは可能なのだ。

 してこの物語は、北海道で出会った13歳の少年少女が恋に落ち、駆け落ちを試みるが大人たちに引き裂かれ、その後二人は何度も出会ってはすれ違い、遠く離れて別々の人生を歩み、最後には深く結びつく、という涙なしには見られない大河ドラマ

 話を盛り上げるために少々作りすぎている部分もあるけれど、映画なんだからこれぐらいはやらないとね! 平成元年生まれの二人が平成の終わりを迎える時に、というテーマや時間軸の設定はありがちかもしれない。瀬々敬久監督がこんな「年号」にこだわった作品の監督を引き受けるとは意外だったが、しっかり稼いでいただかないと! 自主製作映画の資金も必要だしね。

 で、演出が万全で、脇役・端役に至るまで役者たちがとてもいい演技を見せているため、長さを感じさせない。中島みゆきの歌も要所要所でうまく使われている。成田凌がカラオケで熱唱した「ファイト!」なんか上手いのか下手なのかわからないぐらいに迫力があって、聞かせた。

 ストーリーにうまく経済・社会状況を織り込んでいるため、この30年の歴史を振り返る仕様にもなっている。児童虐待、バブルとその崩壊、グローバリズム、ネイル事業の流行、子ども食堂まで、盛りだくさんだ。

 ラストシーン、エンドクレジットと共に流れる映像に思わず涙。こういう話に弱いよ、わたしは。(レンタルBlu-ray

2020
日本 Color 130分
監督:瀬々敬久
企画プロデュース:平野隆
脚本:林民夫
撮影:斉藤幸一
音楽:亀田誠治
   中島みゆき 『糸』
出演:菅田将暉小松菜奈斎藤工榮倉奈々山本美月高杉真宙、馬場ふみか、倍賞美津子、永島敏行、竹原ピストル二階堂ふみ松重豊田中美佐子成田凌

スーパーノヴァ

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 あっという間に公開が終了してしまった残念作。渋くてよかったのに。

 「スーパーノヴァ」は超新星のこと。

 役者二人の演技を見る映画だから、ストーリーにはあまり関心がなかったのだが、それでもちょっとどうかと思えるほどに情緒的な内容だ。特にラストシーンのピアノの切なさがたまらない。こういうのが好きな人は好きだろう。

 さて物語は。芸術家同士の同性愛カップルが長年一緒に暮らしてきた。些細なことで言い合いになったりしながらも互いの長所や特技を生かして共同生活を続けてきたのだ。このまま一生ずっと一緒だと思っていたのに、思わぬことに一方が記憶の問題を抱えることになる。作家のタッカー(スタンリー・トゥッチ)は若年性認知症を患い、パートナーのピアニスト、サム(コリン・ファース)の全面的な介護を受ける日も間近いと思われる。そんな二人が休暇を利用してイングランド北部の湖水地方へとキャンピングカーに乗って旅することになった。この旅はサムのピアニスト復活の旅でもあるのだ。しかし、タッカーには心に決めた覚悟があった……。

 本作は風景がひたすら美しく、静かに沈みゆくような深い緑の景色を見ているだけで、この映画を映画館で見てよかったと思わせる至福感がある。中高年男性二人のカップルは別に美しくもなく、静かに枯れていきつつ、このまま静かに生涯を分かちあうはずだったのだ。

 愛の終わりはいつも切ない。心変わりが引き金だろうが、死が二人を分かつのであろうが、甘く美しかった日々はもう遠く、やがて愛した人のことも自分自身さえもわからなくなる日が間もなくやってくる、その日をただ黙って待っていることはタッカーには耐えられない。しかし、サムはいつまでも一緒だ、と強く主張する。どんな姿になってもタッカーを介護し、最後まで一緒だ、と。

 この二人の死への向き合い方が正反対なのが興味深い。タッカーは逝く身だから淡々としていられるのか。遺されるサムは動揺し、おろおろと涙する。愛の終わりは立ち去る者だけが美しいと中島みゆきも歌っていたではないか。

 この映画を見ると、自分がどちらの立場にいるのだろうと想像し、とても他人事とは思えなくなる。もうこの歳になると、健康で過ごせる残された日々のほうが圧倒的に少ないとわかっているから、せめて穏やかにと願わずにはいられない。この映画は同性愛の二人を描いているが、これが男女の恋愛でもまったく同じだろう、という意見をネットのどこかで読んだ。いや、同じかもしれないし、違うかもしれない。少し前までイギリスでは同性愛は犯罪として処罰されていたのだ。まだまだ偏見が根強い時代に二人は互いを終生の相手として出会ったのだから、男女の愛とまったく同じとは言えないのではなかろうか。

 超新星は爆発することによって宇宙へと拡散し、やがて別の星の一部となる。それが巡り巡って地球へも届くかもしれない。わたしたち人類は地球から生まれたのだから、超新星は新たな生命の誕生へと連なる壮大な旅の第一歩なのかもしれない。タッカーはそういう意味のことを語り、達観しているようだ。まるで仏教徒のように。

 死を見つめる静かな旅の物語だというのに、なぜかわたしは映画の中に登場する食卓の料理が気になって仕方がなかった。イギリス料理はまずいというもっぱらの評判なのに、この映画では何度も食事の場面が登場し、そのたびに皿の上の料理がたまらなくおいしそうに見えた。ここ数年、とにかく食に対する欲がものすごく強くなっていることを自覚しているのだが、今回もそれを痛感した。すっかり食いしん坊になってしまったみたいだ。

2020
SUPERNOVA
イギリス Color 95分
監督:ハリー・マックイーン
製作:エミリー・モーガン、トリスタン・ゴリハー
脚本:ハリー・マックイーン
撮影:ディック・ポープ
音楽:キートン・ヘンソン
出演:コリン・ファーススタンリー・トゥッチ、ピッパ・ヘイウッド

花束みたいな恋をした

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 恋の始まりから終わりまでの5年間を丁寧に、かつテンポよく描いていく青春物語。見ていて恥ずかしくなるような場面も多いが、なかなか小気味よかった。「500日のサマー」にも似ている。

 別れた二人が偶然再会してしまう冒頭、二人の出会いの時の5年前に時計は戻る。最後は再び現在に戻り、気まずい再会の後に黙ってまた別れていく。ただそれだけのことだ。ここには難病も戦争も出生の秘密もなにもない。ごく普通のカップルがごく普通に出会って意気投合し、ごく普通に暮らしていてなんでもないことにつまずいていく。あまりのあきりたりに呆れるほどなのだ。リアルと言えばリアルすぎるし、偶然にしては出来過ぎている設定。リアリティと作り物の絶妙の淡いが心地良いドラマだ。しかも主演二人に若さがあふれ、愛らしさに好感が持てるため、観客も感情移入しやすい。

 二人がお互いに好きな小説のことを語り始めるマシンガントークの場面がとても微笑ましく、読書好きな二人は最高にイカしている。こんな若者ばかりだと出版不況も起きないのにねぇ。(レンタルBlu-ray

2020
日本 Color 124分
監督:土井裕泰
脚本:坂元裕二
撮影:鎌苅洋一
音楽:大友良英
出演:有村架純菅田将暉、清原果耶、細田佳央太、オダギリジョー戸田恵子岩松了小林薫韓英恵押井守

罪の声

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 グリコ森永事件を基にしたフィクション。緊迫感に満ちて、なかなかよくできたサスペンスだ。これは原作がしっかり描けているからだろう。

 星野源は関西出身でもないのにかなり上手に関西弁を操っているし、小栗旬はいかにも人の良い文屋らしい演技で、先日見た「人間失格」での破滅型作家役とは打って変わった雰囲気に、さすがの役者のなりきりぶりに感動したものだ。

 ストーリー的にも見どころ満載だし、セリフも演出もよくできている。中之島やイギリスのロケでもたいそう良いアングルを狙ったカメラが秀逸で、総合的に見ごたえのある作品だ。

 グリコ森永事件の詳細はすでにわたし自身も忘れてしまっている。子どもの声の脅迫音源があったことも完全に失念していたが、この映画を見て思い出した。映画の中ではギンガ・萬堂事件と呼ばれ、「大日新聞」大阪本社文化部記者・阿久津英士がとっくに時効となったこの事件を今さらのように追いかける、というストーリーである。その子どもの声の主が星野源、役名曽根俊也である。既に35年が過ぎて公訴時効となったこの事件の「子どもの声の脅迫音源」を偶然見つけてしまった曽根俊也は、長らく消息不明になっている叔父の曽根達雄が事件にかかわっているという疑いをもって真実を追い求め始める。

 巻頭、俊也が父の遺品の中から自分の声を吹き込んだカセットテープを見つける場面から始まる。しばらくは俊也と阿久津記者は別々に事件を追っている。映画はこの二人の動きを並行して描いていき、やがて当然のように二人は交わり、共に事件を追うことになる。この過程がスリリングかつ説得力がある。

 物語のテーマは、脅迫文朗読に使われた複数の子どもたちは今どこでどうしているのか、彼らの人生はどのように展開したのかということである。大人たちの欲望と復讐心の犠牲となった子どもたちのその後、こそがこの映画が描きたかったことだ。その点では、涙なしには見られないドラマが展開する。これをお涙頂戴物語と思うかどうかは観客によるだろう。

 何人もの役者が非常にいい味を見せてくれるので、安心して見ていられる。過去の学生運動の場面だけがなんだか違和感があったが、小さな瑕疵に過ぎない。宇崎竜童は最近、全共闘世代の代表みたいな役が続いている。

 それにしてもあの事件は、この映画のように何人もの出自の異なる人間たちが起こしたことなのだとしたら、なぜ今までボロが出なかったのか、不思議だ。犯人たちの海外逃亡、死亡、といった条件が重なったと想像するしかなさそうだ。いつか真相は明かされるのだろうか。

 重いテーマの社会派作だが、見終わった後は一抹の清々しさも漂う。(レンタルBlu-ray)

2020
日本 Color 142分
監督:土井裕泰
原作:塩田武士
脚本:野木亜紀子
撮影:山本英夫
音楽:佐藤直紀
出演:小栗旬 阿久津英士
星野源 曽根俊也
松重豊 水島洋介
古舘寛治 鳥居雅夫
市川実日子 曽根亜美
火野正平 河村和信
宇崎竜童 曽根達雄
梶芽衣子 曽根真由美
宇野祥平 生島聡一郎
浅茅陽子
佐川満男
宮下順子
正司照枝

 

カミーユ

カミーユ (Camille)

 劇場未公開作。

 戦場カメラマンだった若きフランス人女性の生きざまを追う。

 巻頭、アフリカ中部の草原が写る。トラックの荷台に積まれた「荷物」を検問のフランス人兵士が見る。「5人の遺体を発見した。その中に白人の女性が」。そして物語は過去にさかのぼる。遺体として見つかった若き女性がいかに生き急いだかを記すために。

 2013年、カミーユは志に燃えて中央アフリカの紛争地域に足を踏み入れる。ジャーナリストとして紛争の実態をカメラに収め、フランスを始めとする先進国に訴えようとするのだが、彼女の青い正義感は空回りしていく。

 わずか半年余りしか、彼女の戦場カメラマンとしての仕事は成し遂げられなかった。いや、成し遂げられたのだろうか? 懸命に生き、必死に現場を撮影し、命を賭してアフリカの現状を母国に知らせようとした。しかし彼女の志はどこまで届いたのだろうか。雑誌に掲載された彼女の写真を見た兄は、「家族の誇りだ」と舞い上がったが、現状は変わらない、とカミーユは冷静に応える。

 次々と新しい話題を求めるマスコミにあっては、カミーユが追い求める中央アフリカの戦闘など「商品」にならないのだ。「アフリカはもういいから、ウクライナに取材に行かないか? 」と言われて憮然とするカミーユ。結局彼女はアフリカに「戻り」、命を落とした。2014年5月のことだった。短い戦場カメラマンの命を燃やして彼女が伝えようとしたことは何なのか? 考えさせられる映画だ。それはフランスの白人女性という立ち位置からアフリカを見つめる視線の危うさも含めて。(Amazonプライムビデオ) 

カミーユ
2019
CAMILLE
フランス 92分
監督:ボリス・ロシキーヌ
脚本:ボリス・ロシキーヌ
出演:ニナ・ミュリス、ブリュノ・トデスキーニ、グレゴワール・コラン

 

ファーザー

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 個人的にはこれ以上ないぐらいに身につまされた作品だ。認知症の人間の感覚をこんなふうに描けるとは、驚く以外にはない。あまりにも素晴らしい脚本に感嘆して、映画を見ている途中で「これはすごい、この脚本はきっとアカデミー賞を獲っただろう」と確信していた。で、やっぱり。というか、アカデミー賞の脚色賞を獲ったことを知っていたから見に行ったはずなのに、そのことを忘れているわたしこそ認知症だな。

 アンソニー・ホプキンスの名演は今さら言うまでもなく、認知症になった本人の動揺や不安や猜疑心を余すところなく表現していて、可哀そうすぎて涙が出そうだ。身近に認知症の人がいる観客なら、あまりのリアリティに胸が痛むだろう。認知症は単なる記憶力の低下とは異なり、世界の認識に変化と混乱が起きるのだ。認知症とはよく名付けたもので、この病気の特徴をよく表している。

 この作品を見れば、認知症本人の苦悩がとてもよく理解できるはずだ。まるでホラー映画の主人公になったような気分に違いない。ひょっとしたら周りの人間が寄ってたかって自分を嵌めようとしているのではないか、という疑いすら持っても不思議ではない。ホプキンスとオリビア・コールマンという主演二人の演技が素晴らしすぎて、わたしも一緒になって泣いていた。アンソニー・ホプキンス自身も自分の亡父を思い出しながら演じていたという。あまりにも父を思い出さされて、演技を中断せざるを得なくなるほどだったとか。

 物語の基本構造は、年老いて一人暮らしをしている父親が介護人と揉めて一人暮らしを続けられなくなる、というところから始まり、認知症の症状が悪化していく父親を一人娘のアンがしばらく引き取って面倒を見ることになるが、やがて疲弊しきって結局は父を施設に入れることになる、というもの。ところがこの基本のあらすじがしばしば混乱する。父であるアンソニー・ホプキンスの視点で描かれていくため、アンが誰なのか、その夫が誰なのかも混乱の極みを深めていく。同じ物語が何度も繰り返され、その都度何が本当なのか、観客にもわからなくなる。とても悲しいホラー映画と言ってもいいだろう。

 わたしはこの映画を見ながら、何度も母を思い出した。母が肺炎で入院した時に病室で「ここどこ? あんたのマンション?」と尋ねられたこと、「え?病院?誰が入院してるの?!」と驚かれたこと、母が毎晩病院を徘徊するため、わたしは何日か泊まり込んで母を見張っていたこと…。父母共に体力が衰え、二人そろって失禁・便漏れを起こし始めて、その後始末を泣きながらしたこと…。

 既に父が亡くなって2年半以上が過ぎた。母は3年前から施設に入っている。もう両親の介護をする必要もなくなってほっとしているのが正直なところだ。一番大変な介護は弟夫婦が担当してくれていたので、わたしは助っ人程度のことしかできていなかったが、それでもあのつらい日々は忘れられない。それは精神的なしんどさから来るものだった。親が衰えていき、排泄もままならなくなる、赤ん坊になっていく、そんな姿は子どもとしては切なくつらい。

 この映画では排泄の問題が描かれていなかっただけでもまだ「きれい」な話なのだが、実はその問題が示唆されている場面がある。それはドアだ。ロンドンの高級フラットが何度も写り、そこではいくつものドアが画面に映し出される。ドアは別の世界につながっており、ドアの存在がまた主人公の認知症に拍車をかけていく。このドアはどこへ通じているのだろう? 誰の家のドアなのか? おそらく父親はトイレがどこにあるのかもわからなくなっていくのだろう。ドア以外にも窓を効果的に使っている点もこの映画の優れた点と言えよう。

 これからますます増えていく認知症の人々、その名簿にわたし自身の名前が加わるのはそれほど遠い未来ではないだろう。願わくば、混乱を静かに受け止めていけますように。

2020
THE FATHER
イギリス / フランス Color 97分
監督:フロリアン・ゼレール
製作:フィリップ・カルカソンヌほか
原作戯曲フロリアン・ゼレール
脚本:クリストファー・ハンプトン、フロリアン・ゼレール
撮影:ベン・スミサード
音楽:ルドヴィコ・エイナウディ
出演:アンソニー・ホプキンスオリヴィア・コールマン、マーク・ゲイティス、ルーファス・シーウェルイモージェン・プーツオリヴィア・ウィリアムズ

顔たち、ところどころ

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 この映画の魅力を堪能するためには大きなスクリーンで見るしかない。残念ながらわたしは自宅のテレビモニターで鑑賞したのだが、それでもiPadで見るより遙かに感動することができたのだから、やっぱり画面は大きいに限る。

 ゴダールと同世代の女性監督であるアニエス・ヴァルダと、彼女の孫の世代の若いJR(ジェール)という青年アーティストとのロードムービーである。二人は意気投合して旅に出るのだが、時に衝突したりして、その様子もまたほほえましい。

 若いJRは常にサングラスを外さない。そこをアニエスは突っ込む。なんでずっとサングラスなの? ああ、そういえばゴダールもずっとサングラスを外さなかったわ。

 自分はサングラスを外さないくせに、JRは出会った人々には素の姿の撮影を求める。そして、撮影した巨大なモノクロ写真をいろいろな建物の壁に貼り付けていくのだ。その絵柄や壮観! これは言葉にして表現できるものではない。巨大な人物像の写真が壁に貼り付けられているところを想像してみてほしい。これはぜひ大きなスクリーンで見てみよう!

 また、この映画ではアニエスとJRはすでに廃墟に近くなった炭鉱社宅を訪ねていく。そこにたった一人暮らす老婦人の写真を社宅の壁に貼り付け、かつての賑わいのあった炭鉱町の記憶を呼び覚ます。ここも胸に迫るインタビューを聞くことができる。この映画の素晴らしさの一端がわかる場面だ。炭鉱映画の名作がまた一つ生まれた。

 90分未満の短い作品で、老女と青年が車に乗って移動して、行く先々で人々の肖像写真を撮っては巨大な壁画にしていく、というそれだけの映画なのだが、いや、それだけでもすごいのだが、とにかくアニエスとJRの個性が魅力にあふれているのだろう、二人の掛け合いが観客を飽きさせない。これは意外な掘り出し物だった。その後ほどなくしてアニエス・ヴァルダが亡くなってしまったことを思えば、よくぞこの映画を残してくれたものだと感謝するしかない。(Amazonプライムビデオ)

2017
VISAGES VILLAGES
フランス Color 89分
監督:アニエス・ヴァルダ、JR
製作:ロザリー・ヴァルダ
脚本:アニエス・ヴァルダ、JR
音楽:マチュー・シェディド
出演:アニエス・ヴァルダ、JR