吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

わたしたちの国立西洋美術館

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 東京は上野公園にある国立西洋美術館は、日本で唯一の西洋美術史が俯瞰できる美術館だ。著名な建築家ル・コルビュジエが設計した建物は、2016年に世界遺産に登録されたのを機に創建当時の姿に復元されることとなった。カメラは工事が始まる直前の2020年6月からリニューアルオープンする2022年6月まで、工事中の美術館の裏側を記録し、学芸員たちの仕事ぶりを取材する。

 映画では淡々と静かな音楽は流れるけれど、最小限の字幕が「章」の区切りに使われるだけで、ナレーションはない。その作風はフレデリック・ワイズマン監督を想起させる。実際、ワイズマンの「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」のような映画を西洋美術館を舞台に作ってみたかったと大墻監督は言う。

 国立西洋美術館といえば、松方コレクション。もともと松方幸次郎のコレクションを収蔵するために作られた美術館である。松方は自身のコレクションリストを作成していなかったため、その再現のために情報資料室長の川口雅子さんが世界中から資料を集めた。それらがきちんとファイルされている場面が映ると、私なぞはすっかり嬉しくなる。美術館の中に図書室があることは知られているかもしれないが、そのスタッフがどれだけ優れた仕事をしているかはほとんど知られていないだろう。美術館を動かしているのは学芸員だけではないのだ。

 本作では、修復担当、企画担当、研究者、のみならず美術品輸送専門業者、ジャーナリストや海外在住の展覧会プロデューサーも登場する。来館者からは見えない多くの専門家が美術館を支えているのだ。”休館中は暇” なのではなく、その時にしかできない多くの仕事が待ち受けている。

 映画の冒頭では屋外の彫刻が丁寧に梱包されてクレーン移動される様子が映り、ラストではその梱包が解かれるのだが、頭に手ぬぐいを巻いているようにも見えるその姿にはどこかしらユーモアが漂う。ロダンの「考える人」も「カレーの市民」も大きな画面で、それも普段の展示では見ることのできない角度から見られることは驚異だ。

 国立美術館の予算が半減され、企画展が今後開けなくなるかもしれないという危機的状況が館長たちから語られるとき、この国の文化政策の行方を案じざるをえない。芸術が金とバーターされる風潮は、社会が豊かさを失っていく暗闇への一歩ではなかろうか。

 ところで、映画のなかでは松方幸次郎のことはあまり説明されなかったのだが、彼は川崎造船所(現・川崎重工業)の初代社長であり、1919年の労働争議の最中に突如として8時間労働制を宣言し、世間を驚かせた。その記録冊子は日本労働ペンクラブ「労働遺産」に認定され、神戸大学付属図書館と大阪公立大学杉本図書館が1冊ずつ所蔵している。おそらく現存するたった2冊だろう。また、神戸ハーバーランドに「八時間労働発祥之地」記念碑が立っている。こちらは1993年に兵庫労働基準連合会が設置したもの。松方幸次郎が遺したものは様々な形で現在に引き継がれている。

 急いで追記すれば、戦前最大の争議と言われた神戸三菱・川崎造船所争議のときの社長も松方幸次郎である。その後、経営破綻した川崎造船所を立て直すためにコレクションを売却した、波乱万丈の人生といえよう。

(機関紙編集者クラブ「編集サービス」2023年6月号に掲載した記事に加筆)

 #ミュージアム映画

製作・監督・撮影・録音・編集:大墻敦
録音・照明:折笠慶輔

録音:梶浦竜司

音楽:西田幸士郎

日本/105 分