吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

教育と愛国

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 非常に抑制の効いた撮り方に感動する一作だ。

 冒頭、”「おはようございます」という挨拶とお辞儀は同時にするのがよいのか” を問う場面が現れる。信じがたいことにこれは道徳の教科書に載っていることなのだ。なんでそんなどうでもいいことが道徳の教科書に載っていて、なんでそれに「正解」かどうかが三択で示されているのだろう? それが「道徳」なのか? もうここでわたしは目が点になってのけぞりそうだった。

 「道徳」が正式な科目として完全復活したのは2018年。その道徳の教科書がどのようなものであるのか、どれほど多くの人たちが知っているだろう。伝統と文化を育てよという観点から「子どもたちの好きなお店としてパン屋をとりあげる場面は不適切」との検定意見がつき、教科書の内容がパン屋ではなく和菓子屋に変わってしまった。

 そこからはずっと社会の教科書がどのように書き換えられていったか、どのような教科書が使われているのかという現状を示す場面が連なっていく。以下、本作に記録された映像を再現してみる。

 倒産した教科書会社である日本書籍株式会社の元社員が登場する。なぜ彼の会社はつぶれたのか。それは権力側・右翼の圧力だということが示唆されている。他方、右派の新しい歴史を作る会も分裂して二つのグループがそれぞれに教科書を作っている。

 安倍晋三が登場して「教育の一丁目一番地に道徳を持ってくる。当然だ」と発言しているシンポジウムの場面。こういう話になると維新の会の松井一郎も登場して仲良く一致した意見を発言している。

 実証主義を標榜する歴史学者伊藤隆が登場して、「僕は愛国教育をやれと言っているのではなく、左翼史観に覆われているような歴史を教えるのではなく…」と語る。「ちゃんとした歴史を教える」という伊藤に素早く「ちゃんとした、というのは?」と質問する斉加監督。「左翼ではない」と即答する伊藤。「歴史に学ぶ必要はない」という伊藤の言葉にわたしは思わず耳を疑った。歴史学者が歴史に学ぶ必要はないというのか?

 場面は沖縄へ。集団自決から生き延びた老人がフィールドワークの案内役、語り部となって若者に体験を語る。沖縄戦での自決強要について言及した教科書に対して、「沖縄戦に対する誤解を生じる」という教科書検定意見がついた。この「物言い」に対して、沖縄のすべての市町村が検定撤回を求める決議を挙げた。

 教科書検定の基準が大きく変えらたことに衝撃を受ける歴史学者従軍慰安婦問題では日本政府代表が国連女性委員会で慰安婦は性奴隷ではないと発言して物議をかもした。

 「学び舎」という教科書会社を教師たちが創った。学び舎の教科書は難関私立高校を中心に採用されていった。しかし取材を受け入れてくれる学校がない。その理由は? それらの学校にはいずれも「反日教育をやめろ」という大量の抗議葉書が届いていた。その抗議葉書の発信者の中には何人かの著名人の実名が見える。その一人が森友学園理事長籠池泰典だった。もう一人実名で葉書を送ったのは山口県防府市松浦市長である。本作には2017年のインタビューが収録されている。この年は、自治体首長が教育方針に口出しできるように法律が変わったときだ。

 恐ろしいことに、従軍慰安婦問題を授業で取り上げた中学教師・平井美津子が新聞記事で取り上げられると、学校には脅迫状が届き、吉村洋文大阪市長(現・府知事)がTwitterで批判を述べ、記者会見でも平井を批判する。ついには平井は文書訓告を受けることになった。その理由は「許可なく学内で取材を受けたこと」だ。

 平井の教え子は訊く。「先生は戦争が好きなん? 戦争の授業になったら気合入ってる」。平井はこう答えているという。「戦争のことを知らんかったら、また戦争を繰り返すよ」

「戦争中の加害の話をすると、自分たちも責任があるのかなと真面目な子ほどそう思う。自分たちが何も悪いことをしていないのに、なんでいつまでも戦争責任を言われなあかんのかと思う子もいる」「ナチス時代のドイツ人たちがどうしてユダヤ人排斥へと取り込まれていくのか、そういうことがわかるような授業をしている。当時の人々がそこでどう生きてきたかどう考えたかを知ること。それが、次に同じようなことが起きたときに歯止めをかけることになるのではないか」
 慰安婦の問題はずっと時事問題になり続けている。歴史の問題だけではなく、今が問われている問題だと感じる。
「平井先生、二度と慰安婦の授業はしないでください、と校長らから言われた」

「学習指導要領に基づいて授業してくれていますよね、とよく校長や教育委員会に訊かれる。もちろんそうですよ、と答えている」。これまでの授業は適切だったと教育委員会から結論づけられている。それなのにそれなのに。

 様々な圧力、忖度、物言えば唇寒し、なんでも「反日」のレッテル貼り、政治介入。本作を見れば、もはや歴史教科書は学問の成果から記述されるのではなく、政府の圧力によって書き換えられていく時代になってしまっていることがよくわかる。

 慰安婦問題を研究している女性研究者たちにも非難の矛先が向いた。杉田水脈議員が「科研費を使って従軍慰安婦の研究をするとはけしからん」と議場で自分たちの研究に介入する発言をした。これにたいして研究者たちは裁判で名誉棄損を訴えている。

 というように内容を列記していくと、この映画が実によくできた教育映画だと気づく。ではその内容を書籍にして読めばそれでいいと思えるかというと、そうではない。語り手の間合いや表情などをカメラが的確にとらえる、映像ならではの力があるからだ。と同時に、淡々と語られるナレーションの落ち着いた声が染みてくる。その声が語り上げていくのは学問と教育をめぐるおそるべき事実の数々だ。それをわたしたちはどこまで知っているだろう。

 恥ずかしながら知らないことが次々と登場する本作を見て、わたしは震撼した。我が身の無知を恥じた。わたしの子育てが終わったのはほんの10年ほど前だ。それまでの我が子たちの教科書をわたしはちゃんと読んだか? 否。親がわが子の教科書に関心を持たず、忙しさにかまけて読むこともしていなかった。そのことを今は恥じる。

 次の世代を育てる教科書、教育、これを私たち親の世代はどこまで知っているのだろう。と同時に、教科書に書いてあることをそのまま鵜吞みにするような”優等生”がほとんど存在しないのならば、教科書の内容のいかんを問わず、大事なのは現場の教師の裁量なのではないかと思う。たぶんもう何十年も前から「論争」があったのではないかと思うが、ほとんどの生徒が教科書などまともに読まず、したがって内容も把握・記憶していないのだから、教科書に目くじらをたてる必要もないのでは、という意見があった(はず)。

 しかし、教科書の内容がどんどん書き換えられていく状況を看過していたら、いずれ近現代史の書き換えが当たり前のように起きるだろう。日本が世界から孤立し、中国への侵略を糾弾されたことに逆切れして国際連盟を脱退したという1933年の史実が今のロシアによるウクライナへの侵略とアナロジーで語れることの恐ろしさを思う。この映画は静かにそれを教えてくれているように感じた。

2022
日本  Color  107分
監督:斉加尚代
プロデューサー:澤田隆三、奥田信幸
撮影:北川哲也
語り:井浦新