吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

海難1890

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 日本人偉い! という映画が立て続けに公開されているので、どちらも見たいと思って、まずはこれ。紀伊大島にあるトルコ記念館を何年も前に訪ねたことがあるので、エルトゥールル号遭難事件のことは知っていたが、まさか映画が作られるとは思わなかった。エルトゥールル号遭難事件については、長崎県口之津歴史民俗資料館・海の資料館でも簡単な説明図が展示されていた(と思う)。

 1890年に起きたトルコ軍艦の座礁爆発沈没事件は、当時世界最大の海難事故として新聞でも大きく報道された。当時のオスマン帝国から日本への親善訪問の旅を終えて帰国の途にあったエルトゥールル号は、600人以上の将兵を乗せていたが、和歌山県串本町沖で台風のために難破した。532人が死亡、69人が大島の村民たちの必死の救助によって救われた。映画は明治時代のエルトゥールル号事件を描く前半と、その95年後に起きたイランからの日本人救出作戦を描くイラン編とに分かれている。イラン・イラク戦争のさなか、自国からの救援機が来ない絶望的状況の中を、日本人を救出してくれたのはトルコ政府だった。
 この映画は、日本とトルコ、両国の人々が利他的なふるまいによって互いの命を救った素晴らしい実話を日本トルコ合作で描いた大作である。地元自治体協賛の映画には時として残念な出来の作品も見受けられるのだが、本作に関しては、船の難破シーンといい、その後の阿鼻叫喚の治療現場といい、大変な迫力である。ただ、残念なことに1985年編が極端に短すぎて、どうしても日本側の美談が長くなっているのは公平ではない。後編の演出もややおざなりな感じを受けた。 

 この映画を批判するのは大変簡単なことで、このようなお涙頂戴(じっさい、わたしは後半ずっと泣き続けていた)の感動物語は「日本大好き」なナショナリストを喜ばせるだけ、という見方もできる。この素晴らしい自己犠牲によって見も知らぬ外国人を救った村人たちが、ひょっとしたら50年後には中国や東南アジアで無辜の人々を虐殺する側に回っていたかもしれないと思うと、「その後」を描いてほしかった気がする。

 1890年に食べる物もほとんどないような貧しい漁村の人々が自分たちの非常用食料まで遭難者に与えたことは素晴らしいが、それよりも戦火がまじかに迫っているときに自分たちよりも日本人を優先して飛行機で脱出させた1985年のトルコ人のほうがよっぽど困難なことを実行したのではなかろうか。

 トルコ大統領が、「わが国民はずっと困っている人を救ってきたのだ」と誇らしげにいうセリフには「ちょっと待ってよ、アルメニア人の虐殺をいまだに認めないのはどう解釈する」と思ったけれど、この映画ではそういう不都合な真実には触れない。あくまで美談にまとめているところが不満といえば不満だが、助け合うのが人間どうしの本筋なのだという思いを素直にかみしめたい。

 ところで遊女と堕落した医者のくだりなどは演出上必要があったのだろうか? 色物が必要という製作サイドの判断かもしれないが、村が貧しすぎるのでなんだか不自然に思えた。

 いくつかの瑕疵や不満点があれども、この映画はぜひ大勢の人に見てほしい。平和は他者どうしが助け合うことから始まる。トルコの人々が日本人によって助けられた恩義を100年も忘れず、教科書にも載せていた事実をわたしたち日本人こそが知るべきではないか。日本人も、素晴らしいことをした人々が大勢いた。そのことを素直に喜びたいし誇りたい。だからこそ、戦争中のさまざまな残虐行為についてはもっと真摯に向き合って反省し、二度と過ちを繰り返さないようにしたい。エルトゥールル号事件で亡くなった無念の兵士たちが、無謀な航路(国威発揚という目的があった)の犠牲者であったことにも思いを馳せつつ、彼らを悼む。

132分、日本/トルコ、2015 

監督: 田中光敏、エグゼクティブプロデューサー: 村松秀信、脚本: 小松江里子、音楽: 大島ミチル
出演: 内野聖陽ケナン・エジェ ムスタファ、忽那汐里、アリジャン・ユジェソイ、小澤征悦、藤本源太郎、宅間孝行大東駿介渡部豪太徳井優小林綾子螢雪次朗、かたせ梨乃、夏川結衣、永島敏行、竹中直人笹野高史