吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

タクシー運転手 ~約束は海を越えて~

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 1980年の光州事件を世界に向けて報道したドイツ人ジャーナリストを、ソウルから光州までの乗せて走ったタクシー運転手の実話を基にした作品。
 光州蜂起が起きたとき、私は大学4回生で、ちょうど文学部学生大会の時期であった。光州蜂起を支持し韓国民主化運動に連帯しようという特別決議案8000文字を一晩徹夜で書きあげて謄写版印刷した日の夜明けのことを思い出す。朝の大学構内に入る前に「毎日新聞」だったか、新聞を読んだ。そこには民衆が蜂起してトラックに若者たちが乗り込んで気勢を上げている写真が写っていた。朝ぼらけの薄暗い中、その大見出しのトップ記事を興奮して読んだことを覚えている。
 その後、文学部では学生大会が成立してストライキに突入した。その年の12月には金大中氏への死刑判決に抗議して全学集会を開いて教養部のバリケードストも行った。そんな特別な思い出がいろいろと去来する光州事件である。
 さて、物語は。
 父子家庭の父親であるキム・マンソプはタクシー運転手として日々の糧を稼いでいた。民主化運動が激化するある日、光州までの報酬が10万ウォンという高額なのにつられて、他人の仕事を横取りしたキン・マンソプはドイツ人記者を乗せて走ることとなる。陽気なマンソプは学生運動に否定的で、社会的関心も薄いごく普通の運転手だったが、やがて到着した光州でとんでもないことが起きていることを知り、愕然とする。動乱に巻き込まれたマンソプは無事にソウルに戻れるのか? ドイツ人記者は稀代のスクープを世界に伝えることができるのか?
 という、サスペンス。最初はコメディの様相を見せた映画だが、いつしか危機感あふれるサスペンス、アクションへと変わっていく。当時の光州の様子が非常にリアルに描かれて手に汗握る攻防戦が展開する。名もなき市民が銃を持ち、戒厳軍に立ち向かう様は震えを覚えるほどだ。
 同胞に対して「アカめ!」と平気で銃を向ける兵士たちの姿は朝鮮戦争時を彷彿とさせる。いまだに北朝鮮が送り込んだ扇動部隊が光州事件を起こしたという陰謀説がまことしやかにネットで流れるのだから、真相究明までには実はまだ遠い日々なのかもしれない。

 この映画では保守的なオヤジであった運転手キム・マンソプがいかにして変わっていくのかが見どころとなる。ソン・ガンホがいつものようにユーモラスなちょっと大げさな演技をして見せるかと思うと、光州市内に入ってからの彼は戒厳軍の暴力という事実を目撃することによって自己変革を遂げる運転手役を誠実に感動的に演じている。韓国映画はとかく大げさな演出で辟易することも多いのだが、この映画ではラスト近くのカーチェイスを除けばさほどの盛り盛り感もなく、光州のタクシー運転手たちの団結心の素晴らしさに胸が熱くなる。こういう非常時には人間の本性が出るもので、それまで政治に興味がなかったオヤジさんたちも、学生たちが目の前で命を落としていく様子を見れば、人は変わるのである。
 この作品に対して、ドイツ人記者の視点が描けていないという批判は当然のことと思う。わたしも映画を見ている途中でとても不思議なことと思ったのは、彼がいつも「蚊帳の外」にいるように見えたことだ。それは実際のところ事実だったのだろうから否定のしようがないのかもしれない。だから、本作があくまで韓国人運転手の主観描写に徹底していることじたいは非難されるようなことではないだろう。ただ、ドイツ人記者の視点を入れれば、もっと視野が広がって深い作品になったであろうことは容易に想像できる。
 驚くべきことに、本作が公開されて映画を観た運転手の遺族が名乗り出たことだ。映画の設定とはかなり異なって、運転手は金に困ってドイツ人を乗せたわけではないことも判明しているという。https://kban.me/article/7423
 とまれ、多くの人にみてもらいたい作品。 

A TAXI DRIVER
137分、韓国、2017
監督:チャン・フン、製作総指揮:ユ・ジョンフン、脚本:ウム・ユナ、音楽:チョ・ヨンウク
出演:ソン・ガンホトーマス・クレッチマン、ユ・ヘジン、リュ・ジュンヨル、パク・ヒョックォン