吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

マルクス・エンゲルス

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 二人の出会いから「共産党宣言」が書かれるまでを描く、青年マルクスエンゲルスの物語。今年が生誕200年になるのを記念してカール・マルクスを主人公に映画を作ってみました、というもの。ひょっとしてマルクスが主人公の映画って初めて見たかも。これまで作られてこなかったのだろうか。プルードンバクーニンも登場するから、もうそれだけでついつい興奮してしまうわたくし。
 こういう時代劇はわたしの大好きなジャンルで、当時の紡績工場の内部や機械、さらには「共産党宣言」が印刷機にかけられて刷り上がっていくシーンなどはゾクゾクする。「ペンタゴン・ペーパーズ」の輪転機にも興奮したが、こちらはさらに100年以上前の機械が動いている。いったいどこの博物館から借りだしたのだろう、と興味深い。「共産党宣言」を入稿する直前の作業は夜を徹してマルクスエンゲルス、それぞれの妻によって清書されていく様子が印象深かった。彼らはランプを使わずに蝋燭の灯りで本を読んだり書いたりしている。映画全体がととても暗いのは室内の描写が多いからだ。この時代は鯨油に代わって石油ランプが登場するころのはずなのだが、マルクスたちはランプではなく暗い蝋燭を使っている(この描写で現代メディア史の佐藤卓己先生の講義を思い出した。非常に興味深い読書の歴史を教えてくださったのだが、既に忘れている(;'∀'))。彼らはそれだけ貧しかったということなのだろう。

 共産主義者同盟(ブント)を結成する場面が本作のクライマックスであり、胸が熱くなってしまった。その時の弁士はマルクスではなくエンゲルスだ。エンゲルスのほうが演説がうまかったのだろうか。党大会でそれまでの穏健主義から共産主義へと脱皮することに賛成した多数派はみな労働者であった。 
 しかし、世の中は資本家と労働者の二大階級対立しかないと単純化できた時代は遠く200年近くも前の話。今やそんな時代じゃないのだ。彼ら二人が残した思想がその後どんな悲劇を生んだか、知らずに死んで幸せだったかもしれない。マルクス主義じたいは間違っていないかもしれない(わたしには判断できない)が、この映画を観る限り、マルクスは独善的で独裁的な素地を持った人間である。彼らの「息子たち」がやがて全体主義国家を構築したのもむべなるかな。デリダの『マルクスの亡霊たち』『マルクスと息子たち』を読み直してみたくなった。
 映画に登場する「ライン新聞」の現物が法政大学大原社会問題研究所に所蔵されている。大原社研には『資本論』初版も3冊あって、そのうち一冊はマルクスの署名入り。「稀覯本中の稀覯本」と同研究所のWEBサイトで紹介されている。こういうものをついありがたがるわたしもやっぱりマルクスの息子なんだろうか。
 そうそう、マルクスって身体が弱かったんだ。痛飲したら二日酔いになってなかなか立ち直れなかったらしい。だからエンゲルスより早死にしたんだね。飲みすぎはよくないと肝に銘じました。

 閑話休題

 青年マルクスを演じたアウグスト・ディールは40歳を過ぎているから、とても二十代には見えなくて、じじむささが目に付いて苦しかった。エンゲルスのほうはまだしも若さがあったのだが、キャンスティングは理解に苦しむ。一方、彼らの妻を演じた女優二人はとても魅力的で、役柄の上でも夫たちと対等に議論を交わし、彼らの著作の清書に携わるところが現代的な解釈である。マルクスの妻イェニーは貴族出身で、一方エンゲルスの妻はアイルランド出身の労働者。出身階級の差を感じさせない二人の賢明な女性の姿が神々しかった。

 映画のなかではドイツ語・英語・フランス語が飛び交う。マルクスはドイツを追放されてヨーロッパ諸国を転々としていくわけだから、自然と数か国語に堪能になるのだろう。しかし、映画の中では「上手だ」と褒められていたフランス語は実はひどくドイツ語訛りで、とても聞いていられないというのが映画を観たフランス人の意見である。それはともかく、マルクスは故国を追われてイギリスで亡くなっているし、墓もイギリスにあるのだが、映画の中では郷愁に悩まされている様子がない。やはり労働者には祖国がないということだろうか。

 と、とりとめもないことをあれこれと思いながら見つ、見終わってからも反芻してはエンゲルスの人物像についてWikipediaで読んで好色漢であったことを知り、マルクスの隠し子とどっちがひどいのか、などとあれこれ楽しめる、一粒で何度もおいしい映画でした。

LE JEUNE KARL MARX
118分、フランス/ドイツ/ベルギー、2017
監督:ラウル・ペック、製作:ニコラ・ブランほか、脚本:パスカル・ボニゼールラウル・ペック、音楽:アレクセイ・アイギ
出演:アウグスト・ディール、シュテファン・コナルスケ、ヴィッキー・クリープス、
オリヴィエ・グルメ、ハンナ・スティール