メリル・ストリープのサッチャー首相もすごかったが、ゲイリー・オールドマンのチャーチルには戦慄を覚える。流石はアカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しただけのことはある、驚くばかりの変貌ぶり。声もずいぶん落として低く響く声、老人の声でしゃべっている。なりきりぶりもすさまじい。
イギリス議会のセットが大変細かいところまで再現されていて、美術の素晴らしさにも感嘆した。マイクなしで演説するから広すぎる議場だと声が通らないとは思うが、それにしても議場があんなに狭かったとは意外だ。そして撮影、特に照明が力を発揮していて、議場内に差し込む外光の美しさは絵画のようだ。舞い散る埃までが輝く。
戦場場面がまったく登場しない戦時下を描く映画だけに素材は地味だから、映画的な面白さを狙った演出が随所に見られて、それはそれでよかったのだが、地下鉄で乗客たちが戦争遂行に一糸乱れず賛成するなどというフィクションを入れたのはちとやりすぎかもしれない。全体にいい感じで進むなぁと思って見ていたのだが、チャーチルがダンケルクの40万人を救うためにカレーの部隊を玉砕させる場面では、どうしても許せない思いが先だった。たとえやむを得ない判断だったとしても、チャーチルがその決断を大いに悔いて悩むといった場面を入れてくれればせめて救われたのに、と思う。歴史にもしもはないのだが、あの時点でイギリスがドイツに降伏していたらどうなっていただろうか。ダンケルクの40万人を救うために降伏していたら、ナチスの暴走を一層強めただろうか?
嫌われ者のチャーチルを愛すべき老人として描き、彼の妻との微笑ましい会話や、国王ジョージ6世との漫才のようなやりとりも面白く、その点は評価したいが、この映画は観終わった後の感慨がよろしくない。すっきりしないのだ。政治とはそういうものかもしれない。すっきりさわやかに割り切れるぐらいなら誰も苦労しないのだろう。邦題も気に入らない要因かな、「ヒトラーから世界を救った男」という仰々しさが。世界を救うのは一人の政治家や一人の英雄ではなかろうに、というのがわたしの持論だからね。リーダーが力を発揮できるのは周囲が偉いからなんであって、リーダーの暴走を止められないのも周囲が悪い。その「周囲」とは誰であろう、どんなシステムなのだろう。考えさせられることがいくつもある映画だ。そういう意味では優れた映画だし、ぜひ大勢の人に見てほしい。
DARKEST HOUR
125分、イギリス、2017
監督: ジョー・ライト、製作: ティム・ビーヴァンほか、脚本: アンソニー・マクカーテン、音楽:ダリオ・マリアネッリ
出演: ゲイリー・オールドマン、クリスティン・スコット・トーマス、リリー・ジェームズ、スティーヴン・ディレイン、ロナルド・ピックアップ、ベン・メンデルソーン