わたしが2018年8月末~9月初めにかけて初めてフランスに行ったとき、パンオテンに祀られたばかりの人物がシモーヌ・ヴェイユだった。彼女のことはほとんど知らなかったので、こんなに人気のあった政治家だったとはと驚いたものだ。彼女の顔写真の巨大な幟が何枚も翻る様は壮観であった。それから6年近くが経ってようやく彼女の半生を描いた映画を見ることとなり、大きな感動を得た。
シモーヌという名前の有名な女性はほかにも哲学者のシモーヌ・ヴェイユ(こちらの方が先に知っていた)、シモーヌ・ド・ボーヴォワールがおり、彼女たちに共通するのは聡明さと意志の強さだ。賢くて強い。こんな女性がわたしにとっては理想であり、目指したい女性像だ。そんなことを改めて思ったわけだが、この映画で描かれたシモーヌの壮絶な人生はわたしが足元にも及ばないようなものだった。
裕福なユダヤ人家庭に生まれたシモーヌはしかし、16歳で家族ともどもアウシュヴィッツ強制収容所に送られた。この映画では自らの伝記を執筆している、老人になったシモーヌの現在と、過去の回想場面が何度も交錯する。戦後大学に進み、そこで知り合った学生と恋愛結婚して、やがて弁護士になり政治家に、という絵にかいたような立身出世をするように見える彼女の脳裏には常に収容所の悪夢がフラッシュバックする。姉とともに奇跡のように生還したシモーヌだが、収容所で両親ときょうだいを失っているのだ。
ユダヤ人だがユダヤ教徒ではなく、ユダヤ人としての教育は受けていないという彼女は、自らの父がそうであったようにフランスに「同化」して生きてきた。フランスに同化するということは、あらゆる宗教的な儀式や習俗を公共の教育の場などに持ち込まないことを意味する。だから今でもフランスではイスラム教徒がスカーフを巻いて登校することを許さないし、同じようにキリスト教徒が十字架を付けて登校することも許さない。それはある意味、国民統合の知恵なのかもしれない。しかしこの点についてわたしは評価をくだせるほどの知識がないので何も言えない。
さて、映画では政治家に転身してからのシモーヌが骨身を削って中絶合法化のために奔走する姿を描く。まだ幼い息子たちは仕事一途な母の不在に不満を持っているし、ママが何も家事をしないことを快くは思っていない。こういう場面を見ると、我が家・わがことを思い出して胸が痛む。仕事に邁進するママは結局、仕事人間のパパと同じで家庭を顧みない。それでも息子は「ママを誇りに思っている」と言って抱きしめてくれるではないか!
シモーヌは最後まで人権擁護のために闘う生き方を貫いた。その結果かどうかはわからないが、彼女の息子のうち一人はイスラエルに移住してキブツで働いている場面があった。母親にイスラエルへの移住を勧める彼だったが、シモーヌは「わたしはフランス人よ」と言って断る。その息子は今どこでどうしているのだろう。パレスチナ人たちとの戦争をどう見ているのだろう。
それはともかく、映画は戦後のシモーヌの目覚ましい活躍と、中絶合法化などの彼女の提案を阻止しようとする保守政治家(年老いた男たち)との議会での論戦を描く。シモーヌは売春婦などの底辺の女性たちに心を寄せ、あるいはレイプによって孕まされた少女を救うために、骨身を削った。のちには欧州議会の議長となった彼女はさらに女性たちの権利のために、囚人たちの権利のために保守政治家たちと渡り合う。
彼女の不屈の闘いはそれを支えた夫や周囲の政治家の力もある。そこを忘れてはならないだろう。人は一人では闘えない。必ず誰かに支えられているし、だからこそ誰かを支えることもできる。
何度もフラッシュバックする収容所の場面は、彼女にとって生涯消えない傷となったし、それゆえにこそ不屈の闘いを貫徹する源泉(怒り、鎮魂、後悔)となったのであろう。
この映画を見られてよかった。(レンタルDVD)
2022
SIMONE, LE VOYAGE DU SIECLE
フランス Color 140分監督:オリヴィエ・ダアン
製作:ヴィヴィアン・アスラニアンほか
脚本:オリヴィエ・ダアン
撮影:マニュエル・ダコッセ
音楽:オルヴォン・ヤコブ
出演:エルザ・ジルベルスタイン、レベッカ・マルデール、オリヴィエ・グルメ、エロディ・ブシェーズ、ジュディット・シュムラ