ドイツには「グッバイ・レーニン」(2003年)のような、傑作政治コメディがある。本作もその一つ。ミュンヘンに住む裕福なインテリ一家がある日、アフリカ難民を家に受け入れることになることから始まるドタバタコメディであり、難民問題のみならず、家族の問題を描いて最後は大団円を迎えるというハッピーな映画だが、キャラの立った登場人物一人一人の抱える問題が笑いとともに際立ってくる、という社会派作品でもある。
巻頭に映し出される主人公ハートマン一家の自宅がとにかく素晴らしい。大邸宅というほどではないが、花々に飾られた明るく美しいファサードにうっとりしていると、この家の女主人アンゲリカが登場する。退職した元教師であるアンゲリカは、難民センターから難民を家に引き取ると言い出す。大病院の勤務医である夫のリヒャルトは最初大反対するが、しぶしぶ難民を家に受け入れることにする。そうしてやってきたのは、ナイジェリアから亡命を申請している独り者のディアロだった。
というところから異文化の軋轢が起こり、ディアロ歓迎パーティのどんちゃん騒ぎで警察沙汰になったり、あれこれあれこれ色々あって、ハートマン一家の問題が浮き彫りになるという辺りは多少演出がもたつく部分もあるがコメディタッチで進む。
上海に移住して大儲けをしようと考えている長男はワーカーホリックの弁護士で妻には離婚されてシングルファザー、その妹で31歳のゾフィはいまだに学生で自分探しをしている、というある意味贅沢な問題を抱えた彼らと、難民であるディアロの凄惨な過去との対比が鮮明になると、笑ってはいられない現実がのしかかってくる。
ハートマン一家の三世代に加えて、難民支援に取り組むけたたましいおばさんが登場し、ゾフィに付きまとう排外主義者の男がからんで、左右両派の対決でまたもやドタバタの大騒ぎ。というように、この映画には様々な考えや意見をもつ人間が大勢現れて、現実社会の縮図を見せてくれるのだ。
難民を自宅に受け入れて同居することを選んだアンゲリカの善意を観客はどう解釈するだろうか。豊かな先進国の人間がアフリカからやって来た不幸な人間に向けるまなざしは、知らぬ間に跳ね返されていることに気付くだろうか。この映画の中で一番品があって知性的で落ち着いていたのはディアロではなかったか。言語を絶する体験を持つ彼の笑顔こそがまぶしい。
WILLKOMMEN BEI DEN HARTMANNS
116分、ドイツ、2016
監督・脚本: ジーモン・ファーフーフェン