吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

オン・ザ・ミルキー・ロード

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 巻頭いきなりの動物たちの喧騒は、「ああ、やっぱりクストリッツァ!」と思わせる。どこかわからないが山間の村で、豚が屠殺され、豚の血のバスタブにガチョウが飛び込み、血まみれガチョウにハエがたかり、、、と、あっという間に観客を映画の世界に驚きとともに引きずり込む腕力はさすがだ。
 やがて突然銃声と爆音がとどろき、そこが戦場であることがわかる。どうみてものどかな山村なのに、高台にある建物の壁には土嚢が積まれて、兵士たちが撃ち合いをしている。敵兵の姿は見えないが、ひたすら銃弾が降って来る。だがどういうわけか緊迫感もなく、その銃撃の合間を縫って牛乳を入れた缶をロバに積み、黒い傘をさしてゆうゆうと野原を行く中年男がいる。彼がこの映画の主人公であり、監督のエミール・クストリッツァが演じているコスタだ。寡黙なコスタに思いを寄せるのは美女のミレナ。ユーゴの元新体操チャンピオンだったという彼女が無意味に側転や倒立やらを見せるのも可笑しい。登場人物たちはセルビア語を話すので、戦争は当然にもユーゴ紛争をイメージさせるが、映画内では国名などは明示されない。
 爆音、山肌に張り付く農家、のどかな草原、ロバに乗った牛乳運搬人、壊れた時計台、というさまざまな寓意を秘めた小道具大道具を面白おかしく見せながら物語はファンタジーとリアルの世界を軽く架橋しながら進む。やがて絶世の美女が花嫁としてやってくるのだが、これがモニカ・ベルッチ。もう50代だけれど、相変わらず美しい。いや、美しいけれどやっぱり歳とりました。この映画では若者がほとんど登場しない。訳ありの花嫁はミレナが難民キャンプから「拾ってきた」女性であり、ミレナの兄の軍人と結婚することになっていた。ミレナ自身はコスタに夢中で、強引に口説き落としてコスタと結婚することになった。しかしコスタは「花嫁」を一目見るなり恋に落ちてしまったのだ。ミレナとの結婚に煮え切らない返事を繰り返すだけのコスタ。やがてミレナとコスタの結婚式の日がやってきた。その日はミレナの兄と「花嫁」との2組同時結婚式の予定なのだ。村は祝宴に湧き、大騒ぎ。しかもその最中に「花嫁」を奪還にやってきた兵士たちが乱入し。。。
 という、喜劇だか悲劇だか、戦争映画なのかラブロマンスなのか、真面目なのかふざけているのかわからない、ごった煮の作品。しかし、乱雑でもなければ手抜きでもない、残虐なシーンですら笑いの種にしてしまうようなクストリッツァの独特の世界観が映画を映画たらしめている素晴らしい作品だ。つまり、これは映画でなければ表現できない作品、ということ。動物の使い方にも巧みで、ガチョウもロバも熊までもが愛らしい。蛇と人間の対峙は緊張感あふれるシーン。最後の羊の爆裂にいたっては、その凄まじさと突き抜け感の半端なさに胸がスカッとする。これは必見の場面ですぞよ。
 映画前半のドタバタコメディぶりから、後半の殺戮シーンを超えて、最後は恋の逃避行になるあたりからは一層目が離せない展開になる。こんなお話だとは思っていなかったので驚くと同時にラストシーンには深い余韻が漂って、感動のあまり涙がにじんだ。石を積む僧の姿には気高さと切なさが深い皺とともに刻まれている。わたしには、震災後に福島県南相馬市の海岸で出会った「石を積む夫婦」(拙ブログ記事

ginyu.hatenablog.com

の姿と重ねて見えてしかたがなかった。意外な感動作。

ON THE MILKY ROAD
125分、セルビア/イギリス/アメリカ、2016
監督・脚本:エミール・クストリッツァ、製作:パウラ・ヴァッカーロ、エミール・クストリッツァほか、撮影:ゴラン・ヴォラレヴィッチ、マルタン・セク、音楽:ストリボール・クストリッツァ
出演:モニカ・ベルッチ、エミール・クストリッツ、プレドラグ・マノイロヴィッ、スロボダ・ミチャロヴィッツ