吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

僕がいない場所

 「誰も知らない」を彷彿とさせる物語。ストリートチルドレンの話の舞台がフィリピンだったらもっと明るくたくましい物語だったかもしれない。これが日本だと「ホームレス中学生」のような湿度の高い話になる。ところがポーランドだと、こんなふうに枯れた物語になるとは驚きだ。何よりも、水墨画のような枯れた色を魅せるカメラが素晴らしい。光、色、影、すべてのシーンが絵に描いたように美しく寂しく、まさにヨーロッパ映画の真髄を見せ付けられた思い。


 母に捨てられ、孤児院でも孤立を深めて居場所を失くしたクンデルは、子ども一人で生きていく。暖かい国ならともかく、ポーランドでは冬が越せないだろうに、とハラハラするが、クンデルの孤独なホームレス生活は淡々と日々が過ぎていく。空き缶を拾い集めたり、金属くずを拾ったりして、買取業者に売る生活を続けているうちに、金持ちの家の少女クレツヅカと友達になる。クンデルがどんどん汚くなっていく様子がリアルで、いかにも臭ってきそうな姿になっていくのだが、子どもの癖に酒の臭いをさせているクレツヅカに「あなただって臭いよ」と言われれば、寒さにもめげずに池の水で身体を洗ったりするけなげなクンデルである。クレツヅカの家に呼ばれて風呂に入れてもらったときのクンデルの幸せそうな顔!


 彼らは子どもだけで完結した世界を構築し、たくましく生きていく。クンデルは何度も母を求めるが、若い母は子どもを愛しながらも、子どもより男がいいとみえて、クンデルに冷たくあたる。冷たく当たられてもなお母を求め、しかし決然と母の元を去る、その脳裏には自分がまだ赤ん坊だったころの暖かい記憶がよみがえる。それは実際の記憶とはおそらく異なるであろう、夢幻の世界だ。


 クンデルは子どもでありながらそしてホームレス生活を続けながらも大人を頼らないし、物乞いもしない誇り高き少年である、密かにクレツヅカの美しい姉に憧れている。このぞっとするほど美しい少女がクンデルにそっと食べ物を与えたりするが、何を考えているのかよくわからない。彼女が最後にみせた行動は、残酷な大人の仕打ちと同じだ。善意からなのか冷たい悪意からなのか、クレツヅカの姉はその美しい横顔で孤独な者たちを引き離すことをためらわない。大人たちが子どもに無関心なのに、子どもであるクレツヅカの姉だけがクンデルに関心を示すのが皮肉だ。


 壊れた玩具、サンドイッチ、犬、いろんな小道具や<物たち>が少ない台詞のかわりにクンデルの思いを語る。寒々とした光景が見る者の心まで冷やすが、クンデルの子どもながらに天晴れな自由と自立の精神にふれると、その哀れな境遇から彼を「救い出す」ことの意味を考えさせられる。かの境遇にあるからこそか、クンデル少年の矜持が切なくまた切っ先鋭く大人の視線を切り裂く。


 ナイマンの音楽は相変わらずのナイマン節。どこかで聴いたことのあるようなナイマンらしい旋律と、繰り返しを多用したシンプルな音楽がこの映画の淡々とした侘びの世界を際立たせる。(レンタルDVD)

JESTEM
98分、ポーランド、2005
監督・脚本: ドロタ・ケンジェジャフスカ、製作: アルトゥル・ラインハルト、撮影: アルトゥル・ラインハルト、音楽: マイケル・ナイマン
出演: ピョトル・ヤギェルスキ、アグニェシカ・ナゴジツカ、バジア・シュカルバ、エディタ・ユゴフスカ、パヴェウ・ヴィルチャック」<<