吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

フリーダ

 メキシコの女性画家フリーダ・カーロの描く絵のようにシュールな演出が冴え、目が覚めるような色彩に溢れた快作。


 フリーダ・カーロは高校生のときバス事故にあって瀕死の重傷を負い、その後遺症で常に痛み続ける体を持つことになる。身動きできない彼女の慰めは絵を描くことだった。奇跡的に歩けるようになったフリーダは、著名な壁画家ディエゴ・リベラのところに「わたしの絵を見て」と押しかける。フリーダの才能に気づいたディエゴは、21歳の歳の差もなんのその、フリーダと3度目の結婚をした。女たらしの共産主義者ディエゴは放蕩の限りを尽くし、フリーダと諍いが絶えない。一方フリーダも自由奔放な性を謳歌する。二人の自由で、激しく、新しい夫婦生活は数々の危機や別離を生むが、またそれを乗り越えていく。


 「私の人生でひどい事故は二度ある。バスとディエゴよ」の台詞が示すように、フリーダの人生は事故の後遺症の痛みに耐え、夫ディエゴの浮気に悩まされるという、暗い、だがそれ以上にエキセントリックなものだった。彼女の強い意志、明るく困難にくじけないバイタリティ、内側からあふれ出す熱情がカンバスにぶつけられ、それはスクリーンを通して観客にも伝わる。ジュリー・テイモア監督の演出も力があるが、強いインパクトをもたらしたのはほかでもない、フリーダの絵そのものだ。


 写真でもわかるように、フリーダの容貌の特徴は一文字につながった眉だ。フリーダが描く多くの自画像がその意志の力や絶望・怒りを眉からみなぎらせ、独特のシュールな画風と深い色合いが見る者に強いインパクトをもたらす。


 ディエゴとフリーダはスターリンの迫害を逃れて亡命してきたトロツキー夫妻をフリーダの実家にかくまうことになるのだが、トロツキーとフリーダはやがて互いに惹かれあい求め合うようになる。
 このときフリーダ29歳。トロツキーは58歳、当時なら老人だ。老いらくの恋ともいえるこの恋はまもなくトロツキー夫人の知るところとなり、トロツキーは妻ともどもフリーダの家から出て行く。個人的趣味を言えば、このトロツキーとフリーダの恋をもう少し長く描いてほしかった(ここで川上弘美センセイの鞄』を思い出すのは場違いだろうか)。


 社会主義革命の夢を語る芸術家たち。革命と芸術がこんなにも退廃的に同じ地平で語られるとは、なんという牧歌的、なんという輝ける日々!
古きよき懐かしき時代へと戻るノスタルジアが漂う。その時代も雰囲気も何もかもわたし自身が体験したわけではないのに。優れた映画には、このように、観客が実際に体験していない過去への郷愁を掻き立てる力があるのだ。


 フリーダとかかわりをもった多くの魅力的な人物(ティナ・モドッティ、ダヴィッド・シケイロスアンドレ・ブルトンなど)がもうちょっと濃く描かれていればもう言うことなしだったが。そうそう、どうせなら英語じゃなくて全編スペイン語で演じてほしかったね。


 映画を見たらもっとフリーダを知りたくなり、『フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像』(堀尾真紀子著)を読んだ。これを読むと映画が事実をかなり変えていることがわかる。(レンタルDVD)

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113分、アメリカ合衆国、2002年
監督: ジュリー・テイモア、製作: リンゼイ・フリッキンジャーほか、原作: ヘイデン・エレーラ著『フリーダ・カーロ 生涯と芸術』、脚本: クランシー・シーガルほか、音楽: エリオット・ゴールデンサール
出演: サルマ・ハエックアルフレッド・モリナジェフリー・ラッシュアシュレイ・ジャッドアントニオ・バンデラスエドワード・ノートン