吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

スーパーノヴァ

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 あっという間に公開が終了してしまった残念作。渋くてよかったのに。

 「スーパーノヴァ」は超新星のこと。

 役者二人の演技を見る映画だから、ストーリーにはあまり関心がなかったのだが、それでもちょっとどうかと思えるほどに情緒的な内容だ。特にラストシーンのピアノの切なさがたまらない。こういうのが好きな人は好きだろう。

 さて物語は。芸術家同士の同性愛カップルが長年一緒に暮らしてきた。些細なことで言い合いになったりしながらも互いの長所や特技を生かして共同生活を続けてきたのだ。このまま一生ずっと一緒だと思っていたのに、思わぬことに一方が記憶の問題を抱えることになる。作家のタッカー(スタンリー・トゥッチ)は若年性認知症を患い、パートナーのピアニスト、サム(コリン・ファース)の全面的な介護を受ける日も間近いと思われる。そんな二人が休暇を利用してイングランド北部の湖水地方へとキャンピングカーに乗って旅することになった。この旅はサムのピアニスト復活の旅でもあるのだ。しかし、タッカーには心に決めた覚悟があった……。

 本作は風景がひたすら美しく、静かに沈みゆくような深い緑の景色を見ているだけで、この映画を映画館で見てよかったと思わせる至福感がある。中高年男性二人のカップルは別に美しくもなく、静かに枯れていきつつ、このまま静かに生涯を分かちあうはずだったのだ。

 愛の終わりはいつも切ない。心変わりが引き金だろうが、死が二人を分かつのであろうが、甘く美しかった日々はもう遠く、やがて愛した人のことも自分自身さえもわからなくなる日が間もなくやってくる、その日をただ黙って待っていることはタッカーには耐えられない。しかし、サムはいつまでも一緒だ、と強く主張する。どんな姿になってもタッカーを介護し、最後まで一緒だ、と。

 この二人の死への向き合い方が正反対なのが興味深い。タッカーは逝く身だから淡々としていられるのか。遺されるサムは動揺し、おろおろと涙する。愛の終わりは立ち去る者だけが美しいと中島みゆきも歌っていたではないか。

 この映画を見ると、自分がどちらの立場にいるのだろうと想像し、とても他人事とは思えなくなる。もうこの歳になると、健康で過ごせる残された日々のほうが圧倒的に少ないとわかっているから、せめて穏やかにと願わずにはいられない。この映画は同性愛の二人を描いているが、これが男女の恋愛でもまったく同じだろう、という意見をネットのどこかで読んだ。いや、同じかもしれないし、違うかもしれない。少し前までイギリスでは同性愛は犯罪として処罰されていたのだ。まだまだ偏見が根強い時代に二人は互いを終生の相手として出会ったのだから、男女の愛とまったく同じとは言えないのではなかろうか。

 超新星は爆発することによって宇宙へと拡散し、やがて別の星の一部となる。それが巡り巡って地球へも届くかもしれない。わたしたち人類は地球から生まれたのだから、超新星は新たな生命の誕生へと連なる壮大な旅の第一歩なのかもしれない。タッカーはそういう意味のことを語り、達観しているようだ。まるで仏教徒のように。

 死を見つめる静かな旅の物語だというのに、なぜかわたしは映画の中に登場する食卓の料理が気になって仕方がなかった。イギリス料理はまずいというもっぱらの評判なのに、この映画では何度も食事の場面が登場し、そのたびに皿の上の料理がたまらなくおいしそうに見えた。ここ数年、とにかく食に対する欲がものすごく強くなっていることを自覚しているのだが、今回もそれを痛感した。すっかり食いしん坊になってしまったみたいだ。

2020
SUPERNOVA
イギリス Color 95分
監督:ハリー・マックイーン
製作:エミリー・モーガン、トリスタン・ゴリハー
脚本:ハリー・マックイーン
撮影:ディック・ポープ
音楽:キートン・ヘンソン
出演:コリン・ファーススタンリー・トゥッチ、ピッパ・ヘイウッド