吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

2020年の映画マイベスト

 今頃なんだけれど、去年の映画の振り返り。ベストを選ぼうと考えて数えていったら、劇場で見た作品はわずか29(試写会場を含む)。DVDやネット配信で見たのは120で、合計149本だった。

 それ以外にテレビドラマの「愛の不時着」にはまりまくっていたのと、「サバイバー」にプチはまり、という状態。かつての第一次韓流ブーム「冬のソナタ」はまったく肌が合わなかったのであるが、今回ははまりまくり。あと、ドラマで面白かったのは「ROMA」であった。「下町ロケット」もよかった、泣きながらみたよ~。テレビ放送はビタ1分も見ないため、ドラマもすべてDVDかネット配信で一気見している。

 毎年言っていることだが、あくまでも個人的好みのベストなので映画の完成度とはまったく無縁。さらに言えば、ベスト10といった序列をつけること自体に反対される方もいると思うし、そういう意見には賛同している。

 また、ここに挙げた映画は全部感想をアップするつもりで、まだ掲載していない分については映画を見た時点に遡って記事を投稿するので、感想を読みたいという奇特な方がおられたら、記事検索をして探してください。

◆最も感銘を受けた映画、繰り返し見たい作品
男と女 人生最良の日々
パブリック 図書館の奇跡
レ・ミゼラブル
昔々、アナトリア
荒野の誓い
在りし日の歌

◆笑った!
最高の花婿 アンコール
エクストリーム・ジョブ

◆これは極上サスペンス
9人の翻訳家 囚われたベストセラー
スパイの妻
工作 黒金星と呼ばれた男

◆頭を空っぽにできる
アナ

◆頭が混乱する
TENET テネット

◆悲惨さに絶句
赤い闇 スターリンの冷たい大地で

◆作品のうまさに舌を巻く
パラサイト 半地下の家族

◆美しい映画
黒衣の刺客
ディリリとパリの時間旅行

◆お薦めの伝記、実話
ジュディ 虹の彼方に
ピータールー マンチェスターの悲劇

◆戦争映画
レバノン
1917 命をかけた伝令

◆ドキュメンタリー
僕は猟師になった

痛くない死に方

映画「痛くない死に方」監督・脚本:高橋伴明、原作:長尾和宏、主演:柄本佑、出演:

 自宅で死にたい、過剰な医療を排除して、なるべく痛くないように死にたい。患者と家族が願う、そんな「平穏死」を提唱する、尼崎の「けったいな町医者」長尾和宏医師の原作本を元に、高橋伴明が脚本・監督した作品。終末期在宅医療問題を真正面からとらえる力作だ。

 この映画には二人の末期癌患者が登場する。一人目が亡くなったとき、その凄絶な苦しみ方に重苦しさだけが募り、息も詰まるようだが、二人目が登場した途端に一転明るく楽しく、これから来る「死」さえも浮き浮きと迎えられるような気分になる。

 一人目の患者を演じた下元史朗の鬼気迫る演技が素晴らしく、死人の役は体力的に大変だとつくづく感じる。末期癌患者である父親を病院から自宅に引き取った娘は、自分が父を殺したのではないかと自責の念に駆られ、若い在宅医河田を恨みに思う。平穏死を迎えられるはずだったのに、実際は違ってしまったのだ。河田は激務ゆえに妻に去られ、私生活を犠牲にして患者に尽くしているはずなのに、この有り様。悩んだ末に先輩の在宅医・長野を訪ねる。長野は、「病を見るのではない、人を見るんだ。大病院では医者は臓器の断片を見るが、俺たち町医者は物語を見る」と河田を諭す。

 そして2年、河田は変わった。彼が担当することになった患者、団塊世代の元全共闘という本多と出会うことにより、その屈託のないキャラクターに惹かれていく。「救対」だの「獄入り意味多い(591-1301)」という電話番号だの、久しぶりに聞いた。さすがは高橋伴明の脚本だ。

 本多は川柳をメモ帳に書き綴っている。その川柳がまた諧謔に富んでいて、楽しい。河田医師も本多に影響されて五七五を口にするようになり、すっかり本多夫妻と意気投合する。この川柳には、最後にほろりとさせる巧みな仕掛けが施されていて、泣かせる。本多を演じた宇崎竜童が大変いい役をもらって嬉々として演じているところも微笑ましい。

 いずれ誰もが迎える死、それをどのように迎えるのか。わたしは在宅で最期を迎えることが最適だと個人的には思っていない。むしろ病院で死にたいと思っているのだが、それでも延命治療はご免こうむりたいので、本作を見終わってただちに「リビング・ウィル」を書かなくては、と決意した。どう死ぬのかはどう生きるのかを問うこと。笑ったり泣いたりしながら、しみじみとその答を考えさせるのがこの映画である。

 長尾医師を追ったドキュメンタリー「けったいな町医者」と同時公開だが、さてどちらを先に見るか? 2作とも大変見ごたえがあるので、どちらも劇場で見てほしい。(機関紙編集者クラブ「編集サービス」2021年2月号に掲載したものに加筆)

2020
日本 Color 112分
監督:高橋伴明
原作:長尾和宏 『痛い在宅医』『痛くない死に方』(ブックマン社)
脚本:高橋伴明
撮影:今井哲郎
音楽:吉川忠英
医療監修:長尾和宏
出演:柄本佑、坂井真紀、余貴美子大谷直子、宇崎竜童、奥田瑛二、下元史朗

けったいな町医者

けったいな町医者,画像

 けったいな町医者は「いちびり」でもある。「けったい」も「いちびり」も関西人でなければその微妙なニュアンスは伝わりにくいが、「けなしつつ褒める」という独特の語法どおり、この町医者は普通の町医者と違うことを飄々と、そして演出過剰とも思えるフレンドリーさでこなしていく。

 その医者は尼崎市の開業医、長尾和宏さん。患者に圧迫感を与えたくないから、白衣は着ない。長尾医師の哲学は簡潔だ。枯れるように死ぬ、それもできるだけ自宅で。終末期は患者が思うように過ごし、医者は投薬やむやみな延命措置は取らない。そのような理想の死のために医者は存在するのだ。たとえば、癌患者に酸素や栄養を与えることは癌細胞にも栄養を与えることになる。だから、むやみな点滴は避けるべきだ、という理屈になる。

 長尾医師は在宅患者の往診要請に24時間体制で応じている。だから、愛車のベンツに乗っているときも常にハンズフリーで電話し続けている。長尾医師があまりにもユーモラスで楽しい人なので、見ているこちらもついつい画面に向かってツッコミを入れたくなる。何度も登場する運転場面では「あー、頼むから片手運転はやめて! うわ、今度は両手を離したやんか! 長尾せんせい、安全運転してやあ」。

 診察室で「今度、コンサートするねん。来てや」と、「一人紅白歌合戦」の宣伝チラシを患者に配っている場面では、「診察室で宣伝してどうするねん! やりすぎやろ」。で、そのコンサートにはしっかりステージ衣装を着てカツラも着用する様子に、「うわ、マジで歌手のつもりか、ハンパないなあ」と、満席の観客の大喜びの様子を見ながら私も笑う。全編こんな感じの楽しいドキュメンタリーだ。

 しかし、エンタメ映画ばりの場面ばかりではない。カメラは患者の自宅に入り込み、たった今亡くなった老人の遺体を映すし、医療の現状に警鐘を鳴らし、なぜこのような在宅診療の道を選んだのかという長尾医師の自説も開陳していく。

 映画はエンドクレジットの後、16分も続く。ここがまさにクライマックスだ。目の前で亡くなっていく患者とその家族の表情を映し出すカメラ。家族が臨終に間に合うようにと懸命に心臓マッサージを続ける長尾。この緊迫の場面は必見のうえにも必見。身内を亡くした人にはその記憶が呼び覚まされてつらいだろうが、人が死んでいくという尊厳ある時間をカメラが追った貴重なドキュメントだ。年老いて病を得て命を終える、そんな当たり前のことを静かに見据えた。長尾医師をモデルにした医師が登場するドラマ「痛くない死に方」と同時上映されているので、ぜひ両方とも映画館で見てほしい。(初出:機関紙編集者クラブ「編集サービス」2021年2月号)

2020
日本 Color 116分
監督:毛利安孝
ナレーション:柄本佑
出演:長尾和宏

私は確信する

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 骨太の法廷劇で、未解決の実話を元にして作られている。よく見るフランス映画のようなおしゃれな台詞があるわけでもなく、恋愛の機微が描かれるわけでもない。あくまでも法的な解釈に則って緻密な事実調べが行われ、被告弁護士にボランティアで協力する女性シェフの身を切る犠牲的な作業の尊さ、さらにはその彼女の正義感の危うさもまたずっしりと心に残る。

 その事件とは、2000年に起きたスザンヌ・ヴィギエ失踪事件である。死体なき殺人事件と呼ばれ、不仲であった夫のジャックが2009年になって殺人犯として法廷で裁かれることとなる。一審無罪、しかしただちに検察側に控訴されて二審が始まる。映画はここから本格的にモレッティ弁護士の活躍を描く。

 なにしろ実在の事件であり、のちに法務大臣になった有名弁護士が主役で、つまりは実名で登場する人たちが多いという状況下、よくぞこの映画を作ったと感心する。一歩間違えれば本作の中で怪しいと言われた人物たちの名誉棄損にもなる。

 証拠の電話の音声テープを懸命に文字に書き起こしてゆく絶望的とも思えるほどの作業に没頭するノラは、自分の娘の家庭教師がスザンヌの娘であったという縁でスザンヌ一家に同情を寄せ、そこから彼女の献身が始まる。しかし、彼女の自己犠牲と正義感もまた暴走の恐れがあるのだ。モレッティ弁護士は正義に燃えるノラを叱ったりたしなめたりする。「推定無罪」という法律用語の大切さを語るその言葉に、観客の何人もが納得したりできなかったりするのではないか。映画の中であれほど「こいつが怪しい」と言わんばかりに描かれたスザンヌの愛人を真犯人として名指しすることはあくまで避ける。

 何かあれば真犯人探しに熱中し、ネット上で罵詈雑言を浴びせても平気なわが国の歪んだ正義感溢れるSNS住民たちと違って、この映画では先入観と偏見を持つことの危険性をしっかりと描いている。ここが何よりも感動する点だ。主人公ノラでさえ、加速度的に裁判にのめり込むあまりに偏見に凝り固まってゆく人物として描かれている。映画はそこを冷静に見つめるものとなった。

 しかし正直言ってすっきりしない。じゃあ誰が犯人なのか? そもそもスザンヌの遺体は見つかっていない。気の毒なスザンヌとその子どもたちは今頃どうしているのだろう。

 法学者でフランス刑法に詳しい島岡まなさんが劇場用パンフレットにフランス司法の解説を書いている。たとえ裁判で自分に不利になっても、正義のほうが大事だと「一般市民である年配の母親さえ知っている。フランス社会には、それだけ「法律的な正義観念」や「人権意識」が浸透しているのだ! 私利私欲のために法を曲げて文書を改ざんするどこかの国の政治家にも、ぜひこの映画を見てほしい」と結ばれている。

2018
UNE INTIME CONVICTION
フランス / ベルギー  Color  110分
監督:アントワーヌ・ランボー
製作:カロリーヌ・アドリアン
脚本:アントワーヌ・ランボー、イザベル・ラザール
撮影:ピエール・コッテロー
音楽:グレゴワール・オージェ
出演:マリナ・フォイス、オリヴィエ・グルメ、ローラン・リュカ、ジャン・ベンギーギ、フランソワ・フェネール、フィリップ・ドルモワ

チャンシルさんには福が多いね

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 映画が好きで好きで、だからプロデューサーという仕事を選んだのに、一緒に働いていた監督が急死したために映画製作は頓挫し仕事を失ったチャンシルは40歳の独身女。やむなく家賃の安い下宿へと引っ越すことになり、その場所はソウルの高台にあるといえば聞こえがよさそうだが、車も入ってこられない急な階段を登り切った果てにある小さな家だ。

 今日からここで暮らすチャンシルは仕事がないので、知り合いの若い女優の家政婦になる。その女優は何かと習い事で忙しくおまけに片づけられない人なので、チャンシルがせっせと働くわけ。で、その女優ソフィーが個人レッスンを受けているフランス語の教師ヨンがソフィーの家にやってきて、なんと彼の本業は短編映画の監督というではないか。同じ映画人同士チャンシルと仲良くなり、彼女はヨンに熱を上げるのだったが……。

 チャンシルという名前は「燦実」という漢字が当てられる。これを知っていないと、チャンシルさんが果樹の熟れた実を見上げながら「腐って落ちるだけ」と溜息をもらすシーンの悲哀とユーモアがわからない。などとえらそうに書いているが、実はわたしも映画を見終わってからパンフレットを読んで知ったのであった。

 がむしゃらに働いてきて、ふと気づくと40歳になっていた。結婚も出産もしていない、金も家もない。すべてを映画に捧げたのに、今はその映画の仕事もない。ないない尽くしのチャンシルさんには「福が多い」って?

 そんなチャンシルの周囲に配置された人物がユニークで楽しい。大家のおばあさんは夫と娘を亡くして一人暮らしだが暗い影は見えず、今まで教育を受けてこられなかった人生だったので、いまさらのように字を習い始めている。老女になっても懸命に字を書く練習をして、しかもそれをチャンシルがいつの間にか手助けするようになっているという、あらかじめ奪われていた女の人生を取り戻す静かな営みがじんわりと観客の心に響く。

 ランニングシャツと短パン姿のレスリー・チャンの幽霊もチャンシルにとっては思いを吐き出す格好の相手だ。この幽霊がケッサクで、そういえば時々画面の中を短パン姿の男が横切っていたなぁと後から思い出すのだが、ある日突然チャンシルの前に登場して「俺はレスリー・チャンだ」と言い張る。「似てないやんか!」とチャンシルに言われても動じない。この幽霊を演じたのが大ヒットドラマ「愛の不時着」で「耳野郎」役だったキム・ヨンミンである。なんと今年50歳! 25歳にしか見えない驚異の童顔俳優だ。

 このようなファンタジー色もまぶして、映画は淡々と進む。それはチャンシルが好きだという小津安二郎監督の作品のようでもある。

 エンドクレジットと共に流れる主題歌の歌詞を見ていたら、「男がいない、仕事がない、家がない、子どももいない」という否定形と「チャンシルさんには福が多い」という肯定文との間には、接続詞が置かれていないことに気づいた。つまり、「それなのに」なのか、「それゆえに」なのかが判然としないわけだ。そこがまた面白い。

 チャンシルが恋した短編映画の監督は小津が嫌いで、クリストファー・ノーランがいいと言う。小津だろうがノーランだろうが、それは人それぞれの好みなのだ。だから、チャンシルの「福」はチャンシルのものであって、それは他人がとやかく言うことではないだろう。何が福なのかは誰にも決めてほしくないし、強制できるものでもない。

 主演のカン・マルグムの見事な演技がチャンシルという女性に存在感を与えた。いい映画を見せてもらったという心持ちでほっこりし、さらにラストシーンに胸が熱くなる。

2019
韓国 Color 96分
監督:キム・チョヒ
脚本:キム・チョヒ
撮影:チ・サンビン
音楽:チョン・ジョンヨプ
出演:カン・マルグム、ユン・ヨジョン、キム・ヨンミン、ユン・スンア、ペ・ユラム

羊飼いと風船

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 チベットを舞台にした映画はあまり見る機会がないので、その雄大な美しい風景を見ているだけでも引き込まれていく。と同時に、チベットとモンゴルの区別もつかない自分自身の無知が恥ずかしい。バター茶を飲む遊牧民という文化や風習は同じでも民族まで同じかどうかはわからない。細かいところはまったくわからない、だからこそチベットの歴史とモンゴルの歴史、それぞれに思いを馳せる。

 チベットは現在、中国の自治区として存在している。その歴史は今まで映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」などで描かれてきた。そして今、中国の一人っ子政策の弊害がこの地にも押し寄せ、その政策に翻弄される家族の物語が本作で描かれる。

 映画のタイトルとなっている「風船」は、コンドームのことである。子どもたちが、それが何かを知らずにコンドームを膨らませて遊ぶ、そのシーンから始まるこの映画は政府が配給したコンドームを一つの象徴として描いていく。

 ヒロインは、大地の中でひれ伏す様に生きている女・母・妻であるドルカル。彼女にはすでに3人の息子がいるので、もはや4人目を産むことになるとは望んでもいない。しかし、望まない妊娠が発覚した時、ドルカルは悩む。女医には「不妊手術をしてください」と頼んでいたのに、その手術が実現するより前に4人目を孕んでしまったのだ。女医は当然のように「堕ろしなさい! 次産んだら罰金よ」と言う。

 彼女の妊娠がわかるとほぼ同時に夫の父が亡くなった。夫は、「腹の中の子どもは俺の父の生まれ変わりだ。絶対に産んでくれ」という。それは輪廻転生を信じるチベットの民の素朴な願いだった。

 果たしてドルカルは4人目を出産するのか? 彼女は悩む。そして、尼になって出家している彼女の妹の物語がここにサイド・ストーリーとして絡んでくる。

 この映画は女性監督が撮ったのではないかとわたしは思っていたのだが、そうではなかった。本作で描かれていることは、声高に中国政府の政策を批判するものではない。ましてや女性差別を告発するものでもない。にも拘わらず、その二つの批判が観客の心にずっしりと伝わってくるのだ。

 広がる草原、飼われている羊たちの愛らしくも慌ただしい動き、羊を飼う人々の日常生活、町の病院、尼になった女性とかつての恋人、捨てられ燃やされた小説、その小説を炎から救い出す人。さまざまなアイコンがこの映画を彩り、深い洞察へと導く。見終わった後の感想や解釈は一通りではないだろう。それはとりもなおさず、かの国では政府をあからさまに批判する映画が作れないという事情を反映している。ゆえにこそ、解釈は多様性へと開かれていく。

 映像感覚が素晴らしく、巻頭のシーンといい、ラストへとつながるその場面の構成のセンスに感嘆した。どこまでも続く草原を舐めていくカメラと、市井の人々のユーモアや苦悩に寄りそうアップと、全編ほとんど手持ちカメラながらも、撮り方を変えてリアリズムと幻想のはざまをあぶり出すような詩的な映像が映画的感動を生み出す。伝統的な旋律と抒情的なピアノが重なり合う音楽も美しい。

 いくつものほのめかしと静謐な決意を湛えた作風は、監督のその思いを受け止めたヒロインの瞳に宿っている。近代化は伝統的な家族制度を破壊したかもしれないし、それは女性の自立と引き換えに家族の解体を招いたかもしれない。しかしそれが一概に近代の悪とも言えないはず。誰が犠牲になっていたのか、これまでの伝統的な家族制度の下では。そのことを厳しく問いかけるとともに、「革命」には犠牲がつきものであると、背筋を伸ばして宣言しているのかもしれない。

 白い風船に始まった物語は赤い風船が空に放たれて終わる。鮮烈な赤は解放の象徴か、それとも血の涙か、それとも。

2019
気球
中国 Color 102分
監督:ペマ・ツェテン
脚本:ペマ・ツェテン
撮影:ルー・ソンイエ
音楽:ペイマン・ヤズダニアン
出演:ソナム・ワンモ、ジンバ、ヤンシクツォ

ジョゼと虎と魚たち

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 ジョゼと名乗る足の不自由な少女と大学生恒夫との淡い恋物語。ではなく、実はジョゼは幼く見えるが恒夫より2歳年上の大人の女性なのだ。しかも、ガラの悪い大阪弁で横柄にしゃべる。とてもじゃないが「ジョゼ」という愛らしい響きにぴったりの乙女ではない。

 原作は1984年に書かれた田辺聖子の短編で、それが2003年には実写映画化され、心に残る名作となった。それから15年以上が経って今度はアニメになることにより、実写ならではの生身の人間から立ち上る悪意やエロスがすっかり脱色されている。他方、アニメならではのファンタジー表現が心地よく楽しい。どちらがいいかは好みによるが、観客の対象年齢がぐっと下がったと思える一方で、大人が見ても楽しめる爽やかな作品に仕上がった。

 祖母と二人きりでボロ家に住み、ほとんど引きこもり状態の自称ジョゼはある日、坂道を車椅子ごと転がり落ち、危ういところを通りかかった恒夫に助けられた。それが運命の出会いだったのだ。この日を境に、恒夫はジョゼの車椅子を押して彼女の世話をするバイトを始めることになった。しかし二人の恋はそんなにたやすく始まらないし、一直線に進むわけでもない。素直ではないジョゼは恒夫を「管理人」と呼んで命令を下し、無理難題を押し付ける。恒夫はジョゼに振り回され怒りながらもどこかでその生活を楽しんでいる。

 ジョゼは恒夫に図書館に連れて行ってもらって、女性司書と仲良くなる。彼女と出会うことによってジョゼは子どもたちに下手な読み聞かせまでして、ついには手描きの絵本で人魚姫のオリジナルなお話をするまでに成長する。これは司書の役割がきちんと描かれた、なかなかに優れた図書館映画になっている。おそらく図書館関係者がアドバイスしているのだろう。

 大阪や神戸を舞台にしたと思われる場面がいくつも登場するので、地元民にとっては懐かしい馴染みの風景が目白押しだ。「あっ、中之島公園か? これはなんばパークスシネマ! 王子動物園かな、天王寺動物園か。おっ、ここは天下茶屋ちゃうか」などと思っているうちに目まぐるしく切り替わるのが忙(せわ)しなくも嬉しい。

 ジョゼの部屋がおとぎの国の小さな少女の部屋のようで、アニメらしくて好ましい。アニメならではの海の表現、魚がジョゼと恒夫を満たしていくスケールの大きな画面がとてもよい。

 三人称で書かれた原作、主に恒夫の視点で描かれていた実写版、そして今度のアニメは原作寄りの作風になっている。今やネットの世界ではささくれ立つ言葉が溢れ、攻撃的で独りよがりな言説のほうが論理的展開よりも好まれている、そんな時代なのにこのアニメではそんなことはまったくどこにもないかのように、言葉遣いの荒いジョゼに愛すべきものを見出した恒夫が心を寄せていく。そして恒夫に守られていたジョゼが、いつしか絵本作家を目指して一人努力するようになる姿が描かれる。 

 実写は二人の出会いから別れまでを描き、ジョゼの凛とした美しさが最後に輝く映画だった。今度のアニメではやはりジョゼの成長が描かれるが、少しテイストが違う。どちらがお好みか、ぜひ見比べてみてほしい。原作の時代から40年近くが経ち、実写の時代からも15年以上が経過した。何も変わっていないと思われるようなことでも、やはり時代は確実に変わっている。MeeTooはかつては無かった。原作でちらりと言及される1980年代までの障害者解放運動も今では、かなり様相が違うのではないか。そもそも実写の2000年代ですらもはや社会運動は描かれなかった。

 時代の流れを感じさせる部分はほかにもいくつかある。実写では雀荘でバイトしていた恒夫だが、アニメではダイビングショップでバイトしているというのが今風の設定だ。アニメの恒夫にはいつかメキシコに留学して幻の魚の群れを見るという夢がある。もう一つ、原作ではジョゼと祖母は生活保護で暮らしていると書かれており、実写では障害者手帳を申請して許可され、福祉の支援によって家の改造が可能になっていく場面があった。それに対して、アニメではジョゼが使いやすいように椅子を改造するのは恒夫の役目だ。ジョゼたちが生活保護で生活しているというセリフはない。つまり、公助が描かれた実写版に対して、アニメでは自助努力が描かれている。これも新自由主義時代を反映しているのだろうか。

 図書館、映画館、公園、動物園、駅前、ダイビングショップ、その他もろもろいずれもが大阪を中心とする実在の場所を使って描かれている。それがどこか当てるのも地元民の楽しみだ。ぜひご覧あれ。

2020

日本、 98分

監督:タムラコータロー

アニメーション制作:ボンズ

原作:田辺聖子

脚本:桑村さや香

音楽:Evan Call

声の出演:中川大志、清原果耶、宮本侑芽