吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

羊飼いと風船

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 チベットを舞台にした映画はあまり見る機会がないので、その雄大な美しい風景を見ているだけでも引き込まれていく。と同時に、チベットとモンゴルの区別もつかない自分自身の無知が恥ずかしい。バター茶を飲む遊牧民という文化や風習は同じでも民族まで同じかどうかはわからない。細かいところはまったくわからない、だからこそチベットの歴史とモンゴルの歴史、それぞれに思いを馳せる。

 チベットは現在、中国の自治区として存在している。その歴史は今まで映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」などで描かれてきた。そして今、中国の一人っ子政策の弊害がこの地にも押し寄せ、その政策に翻弄される家族の物語が本作で描かれる。

 映画のタイトルとなっている「風船」は、コンドームのことである。子どもたちが、それが何かを知らずにコンドームを膨らませて遊ぶ、そのシーンから始まるこの映画は政府が配給したコンドームを一つの象徴として描いていく。

 ヒロインは、大地の中でひれ伏す様に生きている女・母・妻であるドルカル。彼女にはすでに3人の息子がいるので、もはや4人目を産むことになるとは望んでもいない。しかし、望まない妊娠が発覚した時、ドルカルは悩む。女医には「不妊手術をしてください」と頼んでいたのに、その手術が実現するより前に4人目を孕んでしまったのだ。女医は当然のように「堕ろしなさい! 次産んだら罰金よ」と言う。

 彼女の妊娠がわかるとほぼ同時に夫の父が亡くなった。夫は、「腹の中の子どもは俺の父の生まれ変わりだ。絶対に産んでくれ」という。それは輪廻転生を信じるチベットの民の素朴な願いだった。

 果たしてドルカルは4人目を出産するのか? 彼女は悩む。そして、尼になって出家している彼女の妹の物語がここにサイド・ストーリーとして絡んでくる。

 この映画は女性監督が撮ったのではないかとわたしは思っていたのだが、そうではなかった。本作で描かれていることは、声高に中国政府の政策を批判するものではない。ましてや女性差別を告発するものでもない。にも拘わらず、その二つの批判が観客の心にずっしりと伝わってくるのだ。

 広がる草原、飼われている羊たちの愛らしくも慌ただしい動き、羊を飼う人々の日常生活、町の病院、尼になった女性とかつての恋人、捨てられ燃やされた小説、その小説を炎から救い出す人。さまざまなアイコンがこの映画を彩り、深い洞察へと導く。見終わった後の感想や解釈は一通りではないだろう。それはとりもなおさず、かの国では政府をあからさまに批判する映画が作れないという事情を反映している。ゆえにこそ、解釈は多様性へと開かれていく。

 映像感覚が素晴らしく、巻頭のシーンといい、ラストへとつながるその場面の構成のセンスに感嘆した。どこまでも続く草原を舐めていくカメラと、市井の人々のユーモアや苦悩に寄りそうアップと、全編ほとんど手持ちカメラながらも、撮り方を変えてリアリズムと幻想のはざまをあぶり出すような詩的な映像が映画的感動を生み出す。伝統的な旋律と抒情的なピアノが重なり合う音楽も美しい。

 いくつものほのめかしと静謐な決意を湛えた作風は、監督のその思いを受け止めたヒロインの瞳に宿っている。近代化は伝統的な家族制度を破壊したかもしれないし、それは女性の自立と引き換えに家族の解体を招いたかもしれない。しかしそれが一概に近代の悪とも言えないはず。誰が犠牲になっていたのか、これまでの伝統的な家族制度の下では。そのことを厳しく問いかけるとともに、「革命」には犠牲がつきものであると、背筋を伸ばして宣言しているのかもしれない。

 白い風船に始まった物語は赤い風船が空に放たれて終わる。鮮烈な赤は解放の象徴か、それとも血の涙か、それとも。

2019
気球
中国 Color 102分
監督:ペマ・ツェテン
脚本:ペマ・ツェテン
撮影:ルー・ソンイエ
音楽:ペイマン・ヤズダニアン
出演:ソナム・ワンモ、ジンバ、ヤンシクツォ