吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

百姓の百の声

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 本作は、全国の農家を訪ねて、お百姓さんたちの創意工夫に触れていくドキュメンタリー。

 いきなりの業界用語連発! 農業用語がわからない! 画面には疑問符が躍る。そう、わたしたちは農業を知らなさすぎる。これが巻頭に提示された問題だ。

 ふだん何気なく食べている野菜や米がどのように栽培されているのか、百姓たちのどれほどの努力と創意工夫の元に提供されているのか、知っているだろうか。わたしは少なくとも完全循環農法を実践し続けている農家の友人がいるから、ほんの片鱗ぐらいは知っていたが、ここで取材された多くの百姓たちの様々な努力や生き様を知ってものすごく農業に興味がわいた。明日から農業を始めるぞ! とおっちょこちょいの血が騒いだ。この映画は日本に住むすべての人に見てほしい。

 以下、映画に登場する人々について紹介する。できれば映画を見たあとで読んでほしい。

 

 「うちのりんごは色が茶色くならない」と自慢する薄井勝利さん。もう84歳なのに引き締まった上半身をカメラの前で嬉しそうに披露している。なんだかひょうきんなおじいさんだ。次に登場する若梅さんは93歳。もう驚くばかりの元気な百姓さんたちの姿に見ているほうが恥ずかしくなってくる。

 横田修一さん、46歳。子どものころから百姓になりたいと思っていた。百姓には百の仕事という意味があり、転じて何でもできる人、という意味があるというのが横田さんの持論。両親、夫婦、子ども6人の10人家族。子どもたちも農作業を手伝う。従業員もおり、大規模農場だ。真っ平らな農地が広がる風景には驚く。なかなか本州でこんなに広い平面農地にお目にかかれることはない。東京ディズニーランド3つ分の田圃が広がる壮観には感動するのだが、実際にはそう甘いものではなく、機械を導入して田植えをするからといってそれほど儲かるわけでもなく、大規模化に必ずしもメリットはないと従業員も横田社長も異口同音に語る。近隣の農家が後継者不足で廃業していくのを助っ人する横田さんたちの負担が増えていく。農家の工夫と底力がどこまで通じだろうか。「農家力」と農文協が言う、農家の創意工夫に期待がかかる。

 山口県の秋川牧園。飼料米を作る農家の人々も登場。害虫対策は近隣農家みんなで調査し情報を共有する。しかし百姓人生初めてというウンカの被害に遭ってしまう。大量の稲が枯れて倒れている様子がまた息をのむような悲惨な光景だ。

 山口さんキュウリ農家。名人芸のキュウリ作りに飽き足らず、今もどんどん新しいことに挑戦している。そして次々と研修生を受け入れる。技術を人に教えてしまっていいのか? 「いいんだ、それでよそがうまくいけば、また新しい技術の情報が自分たちにも戻ってくるから」「これ以上キュウリ農家が減ったら困るんだ。作付け面積が減ると短期的には値段が上がって儲かるけど、長期的にはそうじゃない」。短期的な利益は長期的な利益にならない。百姓たちはよく知っている。

 秋田県減反政策に抗う農家、斎藤さん。自分たちで米を売ることにした。世間からは「闇米屋」と揶揄される。これまで百姓が手にすることがなかったもの、それは米ぬか。これまでは籾で出荷していたのに、自分たちで精米するようになると大量の米ぬかが残ることとなった。これをどうすればいいのか? これを農地に撒くことによって発酵し、豊かな土へと生まれ変わることがわかった。この米ぬかはほかにも活用方法があり、トマトの苗木専門農家で利用されている。減反に抗する農家の中には赤米や黒米などの在来米を栽培し始めている者もいる。日本では1200種類もの米が栽培されているのだ。

 魚住さん夫妻登場。キュウリの種や南瓜の種を育て、大切に守る。2020年12月「種苗法」改正。百姓国の知(助け合い教え合う)とグローバル企業の知(特許で囲い込む)がせめぎ合う。イチゴやブドウの高給種が中国や韓国に流出して日本の農家が大打撃を受けているというのが種苗法改正の理由として農水省が述べているが、マスカット農家の深谷さんは「そうではない」と自信を語る。百姓は被害者なばかりではない、百姓を舐めてはいけないと監督は語る。

 各地で行われる「タネ交換会」。よい種を百姓たちが交換する会。種は世界中を旅してやってきている。「国連百姓宣言」19条 「百姓は種子(たね)への権利を有する。」採択されたが、日本は棄権した。

 原発事故により避難を余儀なくされた南相馬市の細川さん。久しぶりに戻ったら完全に荒れ果てている。細川さんは震災直後から山梨県に移住した山菜名人。福島から持ち出したタラを植えたところ、とても増えた。さらにはある偶然から、8月にもタラの芽が生えてきた。日本初、真夏に栽培できたタラの芽。その株を全国に分けるという細川さん。百姓の知恵は共有財産なのだ。

 清友さんは野菜作り農家。害虫に悩んでいた。害虫駆除のためには別種の苗を植えてそちらに虫を「移住」させる。これはすごいアイデアだ。農薬不要。

 有機農業に消極的だった農水省が2021年に方針転換。「みどりの食料システム戦略」。しかし農水省はほとんど百姓の声を聴いていないという。

 

 農業を「問題」や「課題」としてとらえるのではなく、かといって「ユートピア」として謳いあげるのでもなく、二極化二元化された農業ではないものを知りたかったと監督は言う。ちなみに「百姓」は放送禁止用語だそうな。その差別的な響きを逆手にとって、百姓の矜持と哲学をみせる本作に胸がすっとするね、スダチが丸ごと入った酎ハイを飲んだ時の気分にさせてくれる映画。

  ゆったりした女声ナレーションにほっこりするし、トライアングルやピアノの清冽な音楽もシンプルで美しい。

2022
日本  Color  130分
監督:柴田昌平