吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

人魚の眠る家

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 脳死状態になった6歳の少女の両親の葛藤を描き、人の死とは何かを考えさせる社会派作品。とはいえ、社会派にしては情緒的な作りなので、娯楽作として多くの観客を得られそうである。映画館では周囲の客がズルズルと鼻をすする音が聞こえ、わたしもハンカチを取り出して涙を拭きながらの鑑賞。
 わが子が脳死状態になったら、と考えるだけでも恐ろしく息が止まるような思いがする。そんな立場に立たされた母親を篠原涼子が熱演していて、この人は素晴らしい女優だと感動した。
 人魚ならぬ7歳の少女、瑞穂は水難事故により脳死状態に陥る。脳死を宣告されたが、母親の薫子はその事実を受け入れられず、父親の和昌も自らが社長を務める医療機器メーカーの力を使って娘の回復のために全力を尽くす。かくして、離婚寸前であった夫婦は脳死の娘をめぐって助け合うこととなり、別居状態は続きながらもそれぞれが懸命に娘の回復を願うこととなる。壮絶な介護の日々は続くが、なにしろ瑞穂は社長令嬢だから、金に飽かせて手厚い介護を受けることができる。さらに社長である和昌は自社の若手研究者・星野を娘の介護のために「私用」することとなる。星野の研究は、脳に直接刺激を与えて、意識のない人間の手足を自由に動かせるというものであり、瑞穂の身体を健康に保つためには不可欠な技術だった。
 事故から1年がすぎても脳死状態が続く瑞穂。母の薫子は仕事も辞めて瑞穂の介護のために生活のすべてを費やす。実家の母の手伝いや妹の助けも受けて、介護士・看護師の派遣により自宅介護の日々は続く。これは金がなければ絶対にできないことで、貧乏人の家庭に生まれた子どもにはこんなことは無理だ。人間の寿命に貧富の格差が反映されることが如実に見て取れる描写に心が痛む。
 そして、科学技術の力によって意識不明の瑞穂が手足を動かせるようになると、途端にホラーの味わいが。「死体が動く」という不気味さが漂う演出にはぞっとさせられた。だが、母の薫子にとって瑞穂は絶対に死んではいないし、死体などではない。その気持ちは母たるわたしにも痛いほどわかる。
 時が経つほどに母子は追い詰められていく。瑞穂の弟も成長してやがて小学生になる。姉が脳死状態であることが理解できるようになると、弟の苦悩もまた子どもなりに生起してくる。

 臓器移植によって助けられたはずの命が失われたのではないのか? 脳死を受け入れられないことは罪ではないのか? 人の死とはなにか? 薫子が包丁を振り回すクライマックスシーンでその問いは究極の緊張を以て観客に突き付けられる。瑞穂は「生きている死体」なのか? このシーンの緊迫感はただならぬ高さを持つ。

 子役の演技力にも脱帽だ。ずっと眠り続ける演技はかなり厳しいと思うが、6歳の稲垣来泉がよく耐えた。弟役も従姉役も素晴らしい。堤幸彦監督作の中ではもっとも演出力を感じた作品だ。
 少年たちがキャッチボールに興じる巻頭のシーンになんの意味があるのかと思いつつも物語が始まってしまえばそんなシーンがあったことも忘れていたが、ラストシーンでそのつながりの不思議な因縁を感じてもう一度巻頭に戻って見直したくなる、そんな輪廻の物語だった。そう、人の生と死は大いなる輪廻のもとにあるのだろう。
 人の死とは何かを考えさせる作品だと書いたが、この物語には一つの解答が用意されている。そして、子どもの死を受け入れられない感情的な母親と冷静な父親というステレオタイプも気になる。西島秀俊の脱力系熱演もまた一種独特の雰囲気を与えていて、篠原涼子の熱量の高い演技との対比が面白い。しかし映画のテーマは「面白い」と言えるような軽いものではない。一つの解答へと導く結果となる結末には疑問符もつくが、いずれにしても技術の力で生命を操作することじたいに疑問を持つわたしには、重い重い物語だった。

120分、日本、2018
監督:堤幸彦、原作:東野圭吾、脚本:篠崎絵里子、撮影:相馬大輔、音楽:アレクシス・フレンチ
主題歌:絢香『あいことば』
出演:篠原涼子西島秀俊、坂口健太郎川栄李奈山口紗弥加田中哲司斉木しげる稲垣来泉、斎藤汰鷹、荒川梨杏、田中泯松坂慶子