吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

あさがくるまえに

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  脳死・心臓移植をめぐる二組の家族の24時間ドラマが静かに描かれる、再生と修復の物語。
 昏々と眠る若者の美しい顔がアップになる巻頭。まだ外は暗く、部屋の中もぼんやりしている。彼は恋人のベッドで目覚め、眠る彼女を置いて窓から飛び出し、地面に跳躍する。自転車を駆って軽快に走った後、波に乗って若さを堪能した彼は帰らぬ人となる。
 交通事故で脳死となる若者が最後に見た(かもしれない)広い道路と遥かな地平線の光景が波に移り変わる場面の美しさは特筆ものだ。
 脳死判定。家族が呼ばれる。臓器移植のコーディネーターがやってくる。
涙と絶望の中にあっても、意外に両親は淡々としているように見える。
 一方、もう一人の絶望を抱えた中年女性音楽家は心臓病が悪化し、死を間近なものとしてとらえていた。息子たちは心臓移植を勧めるが、他者の死と引き換えに彼女は生き延びることを選択するのだろうか。
 決して交わることのないドナーとレシピエント、二組の家族の物語が交互に映し出される。
 若者が好むテンポのいいポップミュージックが流れる巻頭と打って変わって映画の後半は、ピアノの孤高の旋律と美しいオーケストレーションが緊張感を盛り上げる。
 出演者も豪華。ロマン・ポランスキー監督の妻エマニュエル・セニエは、他の作品では妖艶な女優なのに、本作ではふつうのおばちゃん然として、息子の死を受け入れることのできない悲しい母親を好演している。事故死した若者の恋人である愛らしい少女を演じたガラテア・ベリュジは出番こそ少ないものの、強い印象を残す新星だ。
 健康な肉体がある日突然失われるという悲劇が前提となる臓器移植は、一方の極に哀しみの遺族がおり、もう一方には臓器移植に抵抗を感じながらもその希望にすがるしかない患者の葛藤がある。この映画もこの二つの極の家族を淡々と描き、脳死問題について賛否を鋭く問うことを避けて、結果的には心臓移植に賛意を示す。
 ただ、事態は粗筋を追えば理解できるような単純なものではない。若いカテル・キレヴェレ監督は美しく斬新な映像感覚でこの映画を紡いだ。理屈よりも感覚に訴え、セリフよりも表情でキャラクターに命を与えた。臓器移植が実施されるのかどうか、期限が迫っている時であるにもかかわらず、不思議なほど事態は緊迫していない。
 そして圧巻は手術の場面だ。延々と描かれる手術で映し出される大きな心臓、これこそがこの映画の中で観客に無言で語り掛けてくる力強いメッセ―ジそのものだ。
 「生者を修復する」という原題に込められたいくつもの意味をかみしめながら鑑賞したい。 
 脳死・臓器移植という、賛否が対立するテーマを扱った映画作品はいろいろあるので見比べてみるのも興味深い。名作「21グラム」(イニャリトゥ監督、03年)、「私の秘密の花」(アルモドバル監督、09年)「孤高のメス」(成島出、10年)、といったあたりがお薦め。
 ネタバレになるかもしれないけれど、ビデオリリースされたらぜひ確認したいことがある。
 「シートベルトをせずに助手席に座っていたから、脳に大きなダメージを受ける重傷となった」というセリフが二度登場するが、実際には少年は助手席ではなく後部座席に座っていたはずだ。なぜこのセリフが二度も入っているのか、謎。この場面を確かめてみたい。

 REPARER LES VIVANTSHEAL

104分、フランス/ベルギー、2016

監督: カテル・キレヴェレ、原作: メイリス・ドゥ・ケランガル、脚本: カテル・キレヴェレ、ジル・トーラン、撮影: トム・アラリ、音楽: アレクサンドル・デスプラ

出演: タハール・ラヒム、エマニュエル・セニエ