吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

消えた画 クメール・ルージュの真実

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 虐殺を描く手法に「人形」があったとは!

 13歳で家族もろともクメール・ルージュ(カンボジア共産党)の粛清に遭って僻地の労働キャンプに移動させられるが、2年後に脱出、かろうじて虐殺を生き延びた後はフランスで映像を学んでドキュメンタリー作家となったリティ・パニュの作品。彼の映画は日本初公開だ。

 淡々とフランス語のナレーションで語られていく虐殺の様子をじっと見つめているのは小さな泥人形たち。その人形は犠牲者が埋められていた土を練って作ったものだという。彩色された人形は素朴な作りで、静かに動かず何も語らず、ただ悲しげに往時を再現する。

 一方でクメール・ルージュによって作られたプロパガンダ映画の中でポル・ポトは常に扇子を離さず、満足しきった微笑みを周囲にふりまく。そのふくよかな表情は毛沢東金正日の肥満した姿に似ている。少年少女たちは黙々と農作業に勤しみ、その様子が誇らしげに映し出されているが、どう見ても国連が禁止する児童労働ではないか。

 全国民700万人のうち150万人が粛清されたというクメール・ルージュの虐殺は、これまで「キリング・フィールド」などの映画に描かれてきた。最近ではインドネシア共産主義者を虐殺した張本人たちへのインタビューを描いた「アクト・オブ・キリング」というドキュメンタリーが封切られたが、それとは逆に「消えた画」は共産主義者による虐殺を描くもの。これらの映画から見えてくるのは、殺す側からすれば被害者は数字でしかないが、殺される側にとっては唯一の、名前を持ち顔の見える、個別具体性をもった悲劇だということ。

 だから本作でリティ・パニュ監督はひたすら自分たちの家族とその周辺に起きたことを語り続ける。戦争前の楽しい日々が終わり、軍隊がやってきて一家は農村に強制移住させられる。教師だった父は餓死し、母もきょうだいも過酷な労働と飢えで死んでいった。死んだ従兄弟はもしも生きていたらどんな人生を送っただろうか? 「消えた画(え)」とは、未来を奪われた人々の記憶を蘇らせ、失われた未来を示す「画」にほかならない。

 インテリを憎み恐れたポル・ポトの虐殺はなぜ起きたのか? 絶滅収容所となったある高校では図書館で豚が飼われていた。本は敵(ブタ)のものだからだ。二十世紀最大の虐殺と呼ばれた粛清の背景をこの映画は語らない。イデオロギーという大きな物語を解説するのではなく、身近な出来事を淡々と語る。イデオロギーはその合間に挿入されるプロパガンダ映像が雄弁に物語る。やがては全体主義の恐怖が浮かび上がるようになっているのだ。人形を通して語られる凄惨な記憶がどこか夢のようにも思え、直截的な描写がないので、重苦しさが多少は緩和される。 

 

クメール・ルージュマルクスとルソーの子ども」

 

 その極端な共産主義政策は一切の売買を禁止し、通貨を廃止した。「新人民」(旧支配層)は農村に送られ、重労働に従事して飢え死にした。まるで敗戦間近な大日本帝国のようだ。ファシズム国家はどこも姿が似ている。 

 兄弟と思われる3人の幼い子どもたちの写真が映し出される。幸せだったころの思い出、今はもう決して取り戻すことのできない――。胸に迫る切ない姿、その記憶を紡ぎ、二度と起きては・起こしてはならない出来事をわたしたちはもう一度反芻する。憎悪を繰り返してはならない、と人形たちは瞬きもせず訴えかけてくる。

 一編の詩を読んだかのような作品。カンヌ映画祭「ある視点部門」グランプリ受賞。(機関紙編集者クラブの「編集サービス」8月号に掲載したものに加筆)

L'IMAGE MANQUANTE

95分、カンボジア/フランス、2013

監督・脚本: リティ・パニュ、製作: カトリーヌ・デュサール、音楽: マルク・マルデル