ロバート・レッドフォードがすっかりおじいさんになっているのには驚いた。特に、手。手に老化が現れていて見るに忍びない。しかし、おじいさんはお爺さんなりに素敵な歳のとりかただ。かっこいい男はいくつになってもかっこいい。ふと自分の手を見たら、わが手もおばあさん化していることに気づいた。がっくり。
本作は、ヨットでただ一人インド洋沖で遭難した男のサバイバル物語。登場人物はロバート・レッドフォードだけ。台詞はほぼ無い。BGMもほぼ皆無。しかし、強度の高い映画は登場人物が一人だろうが台詞がなかろうが、観客の目を画面に釘付けにして離さない。
映画はタイトルにもなった「すべて失われた」という手紙を男が書いている(読んでいる)独白から始まる。全力を尽くしたけれど、もうおしまいだ、と。自分は自信過剰であった。そのことを今は悔いている。みなに会えないのは寂しい、という最後の手紙を書いた男はなぜそのような境遇に陥ったのだろう。そして画面は8日前にさかのぼる。
男はヨットの中で眠っていたが、突然の衝撃で目覚めた。なんと、ヨットは大洋を漂うコンテナにぶつかり、わき腹に穴を開けられて浸水しているのだ。しかし、初老のその男はさほど驚く様子も見せずに淡々と穴の応急修理を始める。このまま漂い続けるのかと思いきや、嵐がやってきて致命的に浸水が始まる。やがて制御不能になったヨットから救命ボートへと乗り移った男の漂流が始まる。
さすがは「マージン・コール」の脚本家だけはある、緊迫感に満ちた脚本と演出が見事だ。台詞がないのだから脚本にはひょっとしたら何もかかれていないのかもしれない。
この映画は、「127時間」にも共通する、「危機に遭ったとき、たった一人で人は何を思うか、何をなすか」という主題を描いている。単なる危機ではない、生命の危機に瀕しているとき、誰も助けが来ないとき、人は何をなすのだろう。
この映画に感動するのは、危機に瀕した個人が全力で自らの経験と知恵を傾けてその危機を脱しようと努力する、その姿にこそだ。これも「127時間」に共通する。主人公は危機を誰のせいにもしない。その状況を淡々と受け入れて自らの英知と経験ですり抜けようとする。そこにわたしは人間の尊厳を感じる。と同時に、たった一人で闘う限界も感じる。絶海の孤島で他者の助けを借りたり連帯を模索する余裕はない、そんなときにあってこそ、人はそれまでの人生に培った知恵と勇気のすべてを試されるのだろう。
カメラは、ロバート・レッドフォードが乗ったボートを真下から捕らえる。真下、ということは海中である。このショットが繰り返される。やがてこのショットの繰り返しに意味があることを知った観客は、大きな感慨に胸打たれるだろう。
レッドフォードが乗っているボートは最新鋭の機器を備えた快適なものだ。相当なお金がかかっていると思われる、その設備もまったく役に立たないところが皮肉である。彼は筏に乗って無防備に外洋に出たわけではなく、最新のIT機器と食料などを積み込んだ高級船に乗っていた。それが慢心を生み、油断を生んだといえよう。だから彼は最後に痛烈な反省をする。しかしもう遅いのだ、すべては失われた。最新の設備もすべて消えうせた。ここにいたって万事休す、そのときに人はどれほど大きな絶望に襲われるだろう。科学技術をもってしてもかなわない大自然の力。いっぽう、彼の小さなヨットを貫いたのは商品を大量に積み込んだコンテナだったではないか。この大いなる皮肉に彼はたった一言、そしてたった一度、Fで始まる四文字ワードを吐き捨てる。それは彼が絶望に陥った瞬間、そして天とわが身を呪う瞬間。
人生には何が起きるかわからない。何も落ち度がなかったはずの人生にも思わず災難は降りかかるし、まさかと思っていた会社がつぶれたり失業したりもする。そんな思わず絶望に遭ったとき、人はどう再生するだろう? そのことを考えさせられる作品だった。
これほど寡黙でこれほど感動的な映画をわたしは知らない。今のところ、今年のベスト1。
ALL IS LOST
106分、 アメリカ、2013
監督・脚本: J・C・チャンダー 、音楽: アレクサンダー・イーバート
出演: ロバート・レッドフォード