吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ドント・ルック・アップ

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 大笑いしながら見た。近年まれにみるあほらしいドタバタコメディ。でも役者が豪華な分、いろいろと見せ場があって、最後はすごくシリアス。ラストの長い長いエンドクレジットが終わってからボーナスカットがある。これも笑える。

 物語は、地球に彗星が衝突するという人類滅亡もの。この手の話は珍しくないから、既視感のある場面がたくさん登場するのだが、そういった過去作の数々も総動員しながら笑える。ことの発端は天文学を研究する大学院生(ジェニファー・ローレンス)が彗星を発見したこと。彼女の指導教員(レオさまですよ)はちゃちゃっと軌道を計算した瞬間に息を飲んでしまう。この場面も真面目な話のはずなのに笑える。そう、計算の結果は、6か月後に彗星が地球に衝突するというもの。あれまあ、どうしよう。大統領に知らせなくては! マスコミ発表しなくては! でも誰もまともに二人の話を聞いてくれない。アホ大統領(メリル・ストリープ、楽しそう)は彗星の衝突よりも中間選挙の行方のほうが気になる。巨大企業は彗星が希少金属の塊であることに目を付けてこれを独占しようとする。

 どうやら、地球人類が絶滅するというあまりにも絶望的な情報の前には「そんなものはなかったことにしたい」という情報処理偏向が働くのだろう。マスコミのあほニュースキャスターたちもおふざけでこのニュースを笑い飛ばし、深刻になっているのは彗星発見者の院生ケイトと指導教員ミンディ博士だけ。せっかく核物質を積んだロケットを発射して惑星にぶつけて軌道修正させようとしたのに、レアアース回収のためにそれも中止してしまう。

 いろいろと悪だくみと私利私欲しか考えていない人間ばかりが集まって、人類は破滅への道を一直線~! なかなか楽しかった。(Netflix

2021
DON'T LOOK UP
アメリカ  Color  145分
監督:アダム・マッケイ
製作:アダム・マッケイ、ケヴィン・J・メシック
脚本:アダム・マッケイ
撮影:リヌス・サンドグレン
音楽:ニコラス・ブリテル
出演:レオナルド・ディカプリオジェニファー・ローレンスメリル・ストリープケイト・ブランシェット、ロブ・モーガンジョナ・ヒルマーク・ライランスティモテ・シャラメ、アリアナ・グランデ

パーム・スプリングス

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 去年劇場で見たのだけれど、結末を忘れてしまったし途中経過もかなり忘れているので、Amazonプライムで配信が始まったのをよい機会に再見。もちろんiPadで、夜寝る前にベッドの中で小刻みに見た。

 タイムループものは珍しくないんだけれど、同じ1日を繰り返すという点ではエヴァ・グリーン主演の「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」、タイムループではないけれど、ヒロインの記憶が一日しか持たない「500回目のファーストキス」とか、けっこう馴染がある。

 物語の粗筋は――妹の結婚披露パーティで飲んだくれていたサラは、ナイルズという男と意気投合するが、二人はなぜかタイムループの中に取り込まれてしまう。実はナイルズは既にとっくにこのタイムループに巻き込まれていて、何度も何度も同じ一日を過ごしており、もう元の世界に戻ることを諦めてしまっている 。二人が同じ一日を過ごすといっても、その一日は毎回微妙に設定が異なっている。この設定の変更がとても面白くて笑いのツボである。 

 とにかく脚本がなかなかにしゃれている。もちろんタイムスリップで永遠に11月9日を繰り返すという設定じたいに説得力はない。これは思考実験なのだ。「時よ止まれと願う恋人たちが同じ一日を永遠に繰り返し、明日は永遠に来なくて歳もとらず死にもせず、そのまま過ごすとしたら本当に幸せなのか?」という問いかけ。

 人は老いていく。それが未来というものだ。一度犯した失敗は取り消せない。それが過去というものだ。過去も未来もあってこその人生なのだ。そして、取り消せないはずの失敗だって、未来に向けてやり直せる。そう信じることで人は前を向いて生きていける。

 というわけで、「なんでそんなタイムループが可能なんだ!」などという真っ当で野暮な疑問さえ抱かなければ楽しめるコメディ。笑いながら見終わってけっこう深い意味があったと思わずにはいられない。ラストシーンには目を疑ったと同時に笑ってしまった。別の世界へと「戻った」のか? そしてエンドクレジットの途中でボーナスカットが挿入される。最近こういう作りの映画が増えたね。そのボーナスカットもよかった。

 この映画のアイデアの元となった「恋はデジャ・ブ」(1993年)より捻りがあって、話も大人向けにエロくて悪乗りも度もアップしており、ずっと面白い。(Amazonプライムビデオ)

2020
PALM SPRINGS
アメリカ Color 90分
監督:マックス・バーバコウ
製作:アンディ・サムバーグほか
脚本:アンディ・シアラ
撮影:クィエン・トラン
音楽:マシュー・コンプトン
出演:アンディ・サムバーグ、クリスティン・ミリオティ、ピーター・ギャラガー、J・K・シモンズ、メレディス・ハグナー

ジュラシック・ワールド/新たなる支配者

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 ふつうの映画2本分の内容はたっぷり入っているので、1本で二度おいしいお得な映画! その分、とっても疲れるけどそれはそれでまあ良しとしよう。

 このシリーズは全部映画館で観ているわたくしは、ジュラシック・パーク三部作も全部DVDを持っているのである。そしてまだ幼かった息子たちと繰り返しこのシリーズを見たので、すっかり台詞も覚えてしまった。と思いきや、実は細部は全然覚えていないことが発覚した今作でありました。やっぱり第1作が一番面白かったねぇ。

 で、本作は過去作へのオマージュシーン、オマージュカットがふんだんにあり、ファンを喜ばせることに余念がない。と同時にそれはマンネリをも意味していて、「この印籠が目に入らぬかっ」と叫ぶ水戸黄門と同じ構造。だから、どういう展開になるかは過去作のファンならもう先が見えているし、恐竜三つ巴大戦なんて、ほんと飽き飽きしているのに観ていて飽きないという語義矛盾を生むような面白さ。

 本作の最大の悪人、バイオシン社の社長を演じたキャンベル・スコットがアップル社のCEOトム・クックに似ているのか似せているのか、とにかくティム・クックを髣髴させてしまうので、これはアップル社からクレームが来ないのかと心配になったが、まあ、そこは偶然なんでしょうね(知らんけど)。

 本作はこれまでの2つのシリーズを統合して最終完結させる物語なので、「ジュラシック・パーク」第1作の主要3人が登場することが不可欠であった。それが実現したことがなによりの慶賀である。しかし、映画のストーリーとしてはじらせるのが目的なのか、第1シーズンの3人と第2シーズンの2人がなかなか遭遇しない。ずっとこの二つの部分が並走するので、そのぶん上映時間が長くなる。第1シーズンの3人はもはや老人だからアクション部分は演じられない。それに対して、第2シーズンのクリス・プラットは007並のカー・アクション(というか、バイク・アクション)を演じている。しかも舞台はマルタ島ですからね、アメリカ映画のテイストというよりも007に近い。

 本作は第2シーズン「ジュラシックワールド」三部作の最終話だから、第2部を覚えていないとちょっとまごついてしまう。で、わたしはその前作を完璧に忘れていたので、設定がさっぱりわからなかった。でもわからなくても楽しめたので、やっぱりこのジュラシックシリーズってお子様映画なのだ。

 とりあえず強欲な企業があって社長は金目当てでどんなことでもやる人間で、という前提がないと成り立たない物語。でもそもそも30年前の映画の、ジュラシック・パークを作ったハモンド爺さんは必ずしも金目当てではなかったはずだ。少年のようなキラキラした目で、恐竜を蘇らせたいという夢を語る爺さんだった。そして、自分の孫を喜ばせることに生きがいを感じるような。孫たちを喜ばせる恐竜ランドを作るんだ! でもそれには巨額を投資せざるを得ないから、やっぱり金は儲けなくては困る。という感じであったが、今度の最終話では、金儲けしか考えていないCEOが登場する。ここに時代の流れを感じるのだ。もはや夢を語る資本家が生き残る余裕がないのだろうか。そこまでアメリカの、世界の資本主義は末期にきているということを示唆しているのではなかろうか。

 などと余計なことを考えなければ大変楽しめる映画であった。前作では最後に恐竜たちは世界に放たれてしまっていた。メイジーという10歳の少女は主人公たちに引き取られることになる。それから4年。世界はどうなったのか…… というのが、この最終話。

 巨大イナゴの大発生によって食糧危機が目前に迫るとき、バイオシン社の種を使った畑だけがその被害を免れた。これって変よね。というわけで、その真相究明に乗り出したエリー・サトラー博士は、旧知のアラン・グラント博士の発掘現場を訪ねる。懐かしいねえ、この二人、結局結婚しなかったのね。

 いっぽう、メイジーを引き取って山奥で育てていたオーウェンとクレアは、14歳になったメイジーが好奇心と自由を求める気持ちから自分たちに逆らうことに難儀していた。そんなオーウェンの前になんと、ベラキラプトルのブルーが子どもを連れて現れる。ブルーはかつてオーウェンが調教したラプトルであり、たいへん知能が高い特異種であった。

 バイオシン社の悪だくみを暴こうとする人々の動きが二つの流れを作って物語は動く。観客はハラハラドキドキしながらその様子を見るのだが、とりあえず主役は死ななということはわかっているので、そこは安心してよい。あとは、いろいろ納得できないご都合主義の展開にどこまで目をつぶれるかが勝負の物語。

 しかし先にも書いたように無駄に話が長い。ちょっとだれかけるのであるが、でもアクションに次ぐアクション、恐竜に次ぐ恐竜。イナゴにつぐイナゴ。このあたりの過剰さが本作の特徴であり、観客を眠気から救う仕掛けである。もちろん最後はハッピーエンド(かな?)なので、家族そろって安心して見に行きましょう~。

 で、わたしは本作を見終わってから、全然覚えていなかった第2シリーズ第1作と第2作を慌ててAmazonプライムビデオで復習しました(飛ばし飛ばし観)。そうかあ、そういう話だったのかあ(←あほ)。

2022
JURASSIC WORLD: DOMINION
アメリカ  Color  147分
監督:コリン・トレヴォロウ
製作:フランク・マーシャル、パトリック・クローリー
製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグほか
脚本:エミリー・カーマイケル、コリン・トレヴォロウ
撮影:ジョン・シュワルツマン
音楽:マイケル・ジアッキノ
テーマ曲:ジョン・ウィリアムズ
出演:クリス・プラットブライス・ダラス・ハワードローラ・ダーンジェフ・ゴールドブラムサム・ニール、ディワンダ・ワイズ、マムドゥ・アチー、BD・ウォン、オマール・シー、イザベラ・サーモン、キャンベル・スコット、ダニエラ・ピネダ

エルヴィス

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 ロックの帝王エルヴィス・プレスリーの伝記映画なのだから、さぞや大ヒットかと思いきや、予想に反して苦戦しているらしい。その理由はなんとなくわかる。「ボヘミアン・ラプソディー」が伝説のコンサート「ライブ・エイド」で盛り上げて終わったのに対して、この映画はエルビスの死で終わるから、暗すぎる。さらに、主人公はエルビスよりもむしろ彼のマネージャーであり彼の搾取者であったトム・パーカー大佐かもしれない。それほどこのパーカーが出ずっぱりになるので画面が見苦しい。カメラワークもド派手好きのバズ・ラーマンにしてはおとなしい。

 とはいえ、エルビスファンのわたしにとっては十分感動できる作品だった。

 エルビスの伝記を何種類か読んでいずれにも書いてあることは、彼が恐怖のマザコン男であったことだ。母親を愛していたことじたいは悪いことではない。しかし、母親に溺愛された息子というのはこんな風に育つのかという典型のような男になったようだ。42歳(追記:46歳の間違い。かつてどこかで、「エルビスは母が亡くなった年齢である42歳に自分がなったときに、同じ年齢で死ぬのではないかとひどく恐れていたが、実際にその通りになってしまった」という文言を読んだことを覚えていたのでそう思い込んでいたが、8月9日に英語版Wikipediaでそれは間違いであることを確認した)で亡くなってしまった母の死がエルビスに落とした影は深い。

 しかし、そもそもエルビスがサン・レコードからデビューできたきっかけというのが「ママの誕生日に自分の歌を吹き込んだレコードをプレゼントする」という動機だったのだから、マザコンもどこでどう転ぶかわかったものではない。世紀のスターが誕生するきっかけなんてそんな偶然かもしれない。メンフィスのレコード会社が素人のレコードを作るという商売を行っていたのであり、歌を吹き込みたい素人が何ドルか払って自分のレコードを作ってもらっていたわけで、その中には才能ある若者もいるに違いないと社長はにらんでいたのだ。これは新人発掘のよいアイデアであった。この映画ではそこまで詳しいいきさつは全然描かれないのだが、すでに地元レコード会社からデビューしていたエルビスのステージを見たトム・パーカーが、若い女性たちの熱狂ぶりに目を見張り、「これは売れる!」と確信するところから本作は動き始める。

 シャイな若者がしかし、身体を動かさずには歌えないというぐらいに身体の深いところに根付いた黒人音楽のリズムと体感は、彼が極貧の少年時代を送ったことにそれを獲得できた要因がある。1950年代当時、人種隔離政策がとられていたため、黒人地区と白人地区は厳格に区別されていたのだが、あまりにも貧しいエルビス一家は黒人居住地区の中に住んでいた。自然と黒人教会に顔を出すようになったエルビスは、その強烈なゴスペルやリズム&ブルースの洗礼を受ける。黒人の曲を歌える白人がいれば売れるのに!と考えていたパーカー大佐はその人物が目の前に居ることに感動したのであった。そこからあとはエルビスがトントン拍子にスター街道に乗り、下半身を動かし過ぎる(性交を思わせる腰の振り方)ことに”世間”の顰蹙を買い、テレビでは下半身を映してもらえないとか警察から逮捕するぞと脅しをかけられたりする場面へと一気に駆け抜ける。

 で、とうとう反逆児エルビスにも召集令状が来て、彼は2年間の兵役に就くことになる。これがエルビスの運命を変えた。兵士として駐屯したドイツで運命の女性プリシラに出会うのだ。出会ったとき彼女は14歳。なんとまあ! エルビスより10歳年下であった。

 ……などと書いていたらエルヴィスの伝記を延々書くことになってしまう。映画に描かれたなかったことまで含めてわたしは伝記本を読んだり他の映画を見たりして情報を仕入れているので、妙に語りたくなるではないか。

 で、それは禁欲して、映画の話に戻そう。

 この映画の白眉はエルビスが歌手として復帰した1968年のクリスマス特集テレビ番組からラスベガスの公演へと至るくだりだ。彼が歌手として最も脂の乗り切っていた時期、声も素晴らしい。とりわけラスベガスのインターナショナルホテルのステージのためにバックバンドの編曲を指示する場面などは鳥肌が立つほどだ。

 わたしはエルビスが1973年1月にハワイから衛星中継したステージを自宅のテレビで見た。当時中学2年生だったわたしが画面にへばりついているのを見た母が、「目を潤ませて観てるよ、この子は」と笑ったのを覚えている。日本の若きアイドルなんてまったく興味がなかったわたしのアイドルは、自分の親ほど歳の離れたエルビスだったのだ。

 そんなこんなのいろいろを思い出しながらこの映画を見たわたしにとっては、ヒットしていなかろうがどうだろうが、とにかくあと何回も劇場で見たいと思わせる映画だった。画面編集は十分素晴らしかったし、パーカー大佐との確執をパーカーの視点で語らせたという演出も見ごたえがあった。しかし、それゆえ映画作品としてはヒットから縁遠くなってしまったのではないか。パーカーが出ずっぱりになることによって、エルビスを見たいというファンにとっては欲求不満を呼び、さらにエルビスの死で終わるという暗い結末はつらい。そのうえ、エンドクレジットで本人の歌をもっと出せばよかったのに、へたにカバーを流したのがいかん。「ボヘミアンラプソディー」があれほどヒットしたその要因をもっと学ぶべきだ。

  この映画が、ロックという音楽が生まれるその瞬間を再現した作品であるということが観客に伝わっているだろうか? それまで「ロック」は存在してなかったのだ。エルビスが登場することによって世界に「ロック」は生み出された。黒人たちの音楽と白人のカントリーがエルビス・プレスリーの身体を通してロックへと融合したのだ。その瞬間の戦慄を目撃できるのがこの映画である。だから、黒人ミュージシャンたちの半端ない才能と迫力にも圧倒される。歴史的瞬間を後から知る人間にはその感動が伝わりにくい。その点もこの映画が「鳥肌が立つ感動」を観客に伝えきれなかった残念な点だろう。

 とはいえ、とはいえ、とはいえ、エルビスを愛しすぎているわたしにとってはこの作品は十分感動作だったのだ。なんどでも見直したい。オースティン・バトラーの熱演も特筆すべき。だからお願い、もっと劇場でかけつづけてほしい!! 上映終了はもうちょっと待って!! エルビスの映画を見に行く人がみんな暇を持て余しているシニア世代だと思い込まないでぇ~! ま、わたしもシニアですが現役で貧乏暇なし、映画館に行く時間を作るのも四苦八苦しておりますので~。

 8月9日追記:で、今夜2回目の鑑賞。1回目よりも感動が強くて、エルビス生前最後の熱唱を聞きながら涙。オースティン・バトラーの色気もムンムンと伝わり、よくぞこれだけの演技を魅せてくれたと感謝感謝の感激。その色気は半端ない!! あの流し目、あの唇を少し歪める、照れたような笑い方。エルヴィス本人よりも本人らしい! なんという素晴らしさ。アカデミー主演男優賞を3回分ぐらいあげてほしいです!

 私ははもう、映画館の座席でこっそり拍手したり踊ったりと、一人でなにやってるんこのおばさんは!状態。あー、この映画を見ながら思い切り踊りたいわ。最近は家でエルビスの曲をかけて踊り狂っているので、すこしぐらいは痩せたかも?

2022
ELVIS
アメリカ  Color  159分
監督:バズ・ラーマン
製作:バズ・ラーマンほか
脚本:バズ・ラーマン、サム・ブロメル、クレイグ・ピアース、ジェレミー・ドネル
撮影:マンディ・ウォーカー
音楽:エリオット・ウィーラー
出演:オースティン・バトラー、トム・ハンクス、オリヴィア・デヨング、ヘレン・トムソン、リチャード・ロクスバーグ

ベイビー・ブローカー

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 原題は「ブローカー」。製作会社のロゴが漢字とハングルの組み合わせで「家」という意味のマークを作字しているのが面白い。

 さて巻頭、ポン・ジュノ監督の「パラサイト」へのオマージュかと思わせる、夜の大雨が打ち付ける急坂の階段が映る。「パラサイト」でソウルが洪水に遭って半地下の人々たちの住む家が天井近くまで浸水してしまった、あの夜のシーンを想起させるではないか。思わず舞台は同じくソウルかと勘違いしたが、すぐにハングルで「釜山」という文字が見えるので、「あ、ここはプサンの坂道か」と納得。

 主人公が「パラサイト」と同じくソン・ガンホなのでついつい「パラサイト」を思い出してしまうのだが、この映画を見終わったあと、「ポン・ジュノがこれを撮っていたらもっとダークなユーモア溢れる作品になっただろうなぁ、そしてもっとエグイ作品に」と思った。ソン・ガンホ主演でコメディタッチにしないと損だよ。彼が出てくるだけで笑えるんだから。もちろんそこは是枝さんも十分わかっていて、ソン・ガンホらしさを引き出してそこはかとなく面白可笑しく切ない作品に仕上げている。

 して物語は。ある雨の夜、若い女性が赤ん坊をキリスト教会の「赤ちゃんボックス」の前に捨てた。その赤ん坊をこっそり拾って養子を求める親に闇で売り飛ばすブローカー二人組がいて、彼らは赤ん坊をできるだけ高値で買ってくれる夫婦に売ろうとしていた。しかし、気が変わった女が赤ん坊を取り戻しにやってきたから話がややこしくなる。少しでもいい条件で養子にしてくれる相手を探して、実母も一緒に養親に会いに行くことになり、ここから先は三人組のロードムービーとなる。いや、三人じゃなくてあと一人追加されるのであった。そのうえ、その四人組の後ろには彼らを現行犯逮捕しようと尾行する女性警察官二人組の姿も。かくして、4人対2人ののんべんだらりとした追いかけっこが始まる……。

 この映画の特徴は、主な登場人物がみな「それなりの善人」であるところだ。赤ん坊を売り飛ばそうとするブローカー二人組だって悪人ではない。彼らなりに赤ん坊を大事に世話しているし、赤ん坊の将来をけっこう真剣に案じている。それというのも、二人組の若い方は自身が「捨て子」であったという事情もある。この悲しい境遇を演じるのがカン・ドンウォンで、彼の哀切を込めた表情が観客の心をくすぐる。

 ソン・ガンホは気のいいクリーニング屋が本職のおじさんで、金に困って赤ちゃんブローカーをやっているのだ。そして自分の赤ん坊が売り飛ばされたらその分け前をもらおうと付いてきている若い女はイ・ジウン。実にスタイルがよい。足が長い。彼らを尾行している警官がペ・ドゥナで、かつて是枝監督と「空気人形」で仕事をしているから、息もあっている様子がよくわかる。

 役者が皆、いい仕事をしているので安心して見ていられる。その分、やや緊迫感や破調の面白さには欠けたうらみがある。ポン・ジュノと違って是枝監督は真面目で心温かい人だと思わせる演出ぶりだ。赤ん坊を売りに行く4人が赤ん坊を真ん中に疑似家族を形成していく様子や、ソン・ガンホのミシン踏みなどの手仕事を見せる演出に、是枝さんらしさが現れている。実に細かいところに目が行き届いており、必要最小限の台詞で観客を納得させてしまううまさは相変わらずだ。

 赤ん坊を売り飛ばすなんてとんでもない男たちだと思っていたら、実はとても赤ん坊のことを気にかけ大切に思っていて、そういう親に渡したい(売りたい)と願っているという、悪人なのか違うのかが判然としない二人、そして赤ん坊を捨てた母親にも大きな理由があり…。いろいろと観客の感情移入を誘う設定にぐいぐい惹きこまれていく。

 そうなると、警官たちのほうが悪人に見えてきたりするから困ったもの。さらに最後にはみんなが子どもの未来を願っていることがわかる麗しいラストに涙が出そうになる。笑って笑って泣いてほほ笑む。そんな映画だった。

 ソン・ガンホカンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞したのも超納得。

2022
BROKER
韓国  Color  130分

監督:是枝裕和
脚本:是枝裕和
撮影:ホン・ギョンピョ
編集:是枝裕和
音楽:チョン・ジェイル
出演:ソン・ガンホカン・ドンウォンペ・ドゥナ、イ・ジウン、イ・ジュヨン

オフィシャル・シークレット

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 長さをまったく感じさせない、緊迫感が最後まで持続する社会派作品。実話というのが驚くべきで、地味な展開にも拘わらず観客をつかんでいくのは演出の的確さの賜物だろう。キーラ・ナイトレイも渾身の演技を見せる。

 さて物語は。2001年の911テロの後、ブッシュ大統領は「イラク大量破壊兵器を隠し持っている」と決めつけ、イラク戦争を開始しようとしていた。いち早くアメリカ支持を表明したのはイギリスのブレア首相だった。ブッシュ政権の国家安全保安局(NSA=National Security Agency)では国連安保理事会で多数派工作するために、国連を盗聴しようとしていた。その行為をイギリス諜報機関であるGCHQ(Government Communications Headquarters)にそそのかす同調圧力メールが送られてきたことがこの事件の発端だ。GCHQで働き始めてまだ間もない若き翻訳官であるキャサリン・ガンがこのメールを見て、不正義が行われようとしていること知って怒りに震える。守秘義務に反することを知りながらこの情報をマスメディアにリークしたキャサリンだったが、彼女の夫であるクルド人のヤシャルの在留権も危うくなる恐れが……。

 自分の仕事に誇りを持っていたというキャサリンが、自らの信念のために国家機密をリークすることを決意する。実はわりとこのあたりがあっさりしているのだ。特段に悩んだり迷ったりしている様子もない。案外そういうものなのかもしれない。とっさの判断で深く考えていなかったことが…ということだって大いにあり得る。「ガーディアン」紙がすっぱ抜いた国連盗聴問題は、イラク戦争開戦へと馬力をかけようとしていたイギリス政府にとっては大変痛いことだった。「ガーディアン」と言えば映画「ピータールー」を思い出す。社会運動から始まった新聞がこの時代にはいつの間にか保守派になっていたのか、戦争賛成の論調を掲げていた。いやそうではなくて、労働党支持だったから、ブレア首相の戦争を支持していたのだろう。だがガーディアン紙もキャサリンのリークによって反戦の論陣を張るようになる。

 GCHQの事務所には窓がないのか、1日中真っ暗で、電灯をつけている。外光が入って来ないから昼なのか夜なのかもわからない。やたら画面が暗くて気が滅入ってくる。そんな薄暗いオフィスの中で始まるリーク犯人捜しの場面は手に汗握る。キャサリンが起訴されてからの展開も目を離せない。人権派弁護士を紹介されて弁護を依頼したところ、レイフ・ファインズ演じる弁護士がキャサリンの勇気を褒めて弁護を引き受けてくれた。この役者レイフ・ファインズもかつてナチスの将校役で世に知られるようになったんだったなあと懐かしく思い出しつつ、今や社会派弁護士として正義感溢れる役を演じているのが感慨深い。

 キャサリンの夫がクルド人というのも大事な点で、彼が強制送還されるのではという恐怖に震えている様子が観客の同情をそそる。

 もちろん2020年代を生きるわたしたちは大量破壊兵器なんか存在していなかったことを知っている。英米が仕掛けた戦争は大嘘から始まったと今では世界中が知っている。だがこのリーク事件が起きた2003年、まだそれはわからなかったのだ。ただ自分の信念にのみ基づき、キャサリンは情報をリークした。彼女は「国家ではなく国民に奉仕する」公務員だと堂々と名乗る。裁判におけるその力強い言葉の数々はいずれも名言だ。こんな若い女性がいたことに拍手を送りたい。

 今こそ、この映画を見るべきだろう。日本の官僚たちがどっちを向いて仕事をしているのか、誰を守ろうとしているのか、なぜ公文書公開を請求したら海苔弁みたいなコピーが出てくるのか、さまざまに考えさせられる作品だ。日本の民主主義など吹けば飛ぶようなものだと痛感する。

 最後にキャサリン本人が画面に登場する。驚くほど若くて幼い印象を受けるその顔は、しかし知性と決意に満ちていた。キーラと違って金髪だった。(レンタルDVD)

2018
OFFICIAL SECRETS
イギリス  Color  112分
監督:ギャヴィン・フッド
製作:ゲド・ドハティほか
脚本:サラ・バーンスタイン、グレゴリー・バーンスタインギャヴィン・フッド
撮影:フロリアン・ホーフマイスター
音楽:ポール・ヘプカー、マーク・キリアン
出演:キーラ・ナイトレイ キャサリン・ガン
マット・スミス マーティン・ブライト
マシュー・グード ピーター・ボーモント
リス・エヴァンス アダム・バクリ
レイフ・ファインズ ベン・エマーソン

教育と愛国

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 非常に抑制の効いた撮り方に感動する一作だ。

 冒頭、”「おはようございます」という挨拶とお辞儀は同時にするのがよいのか” を問う場面が現れる。信じがたいことにこれは道徳の教科書に載っていることなのだ。なんでそんなどうでもいいことが道徳の教科書に載っていて、なんでそれに「正解」かどうかが三択で示されているのだろう? それが「道徳」なのか? もうここでわたしは目が点になってのけぞりそうだった。

 「道徳」が正式な科目として完全復活したのは2018年。その道徳の教科書がどのようなものであるのか、どれほど多くの人たちが知っているだろう。伝統と文化を育てよという観点から「子どもたちの好きなお店としてパン屋をとりあげる場面は不適切」との検定意見がつき、教科書の内容がパン屋ではなく和菓子屋に変わってしまった。

 そこからはずっと社会の教科書がどのように書き換えられていったか、どのような教科書が使われているのかという現状を示す場面が連なっていく。以下、本作に記録された映像を再現してみる。

 倒産した教科書会社である日本書籍株式会社の元社員が登場する。なぜ彼の会社はつぶれたのか。それは権力側・右翼の圧力だということが示唆されている。他方、右派の新しい歴史を作る会も分裂して二つのグループがそれぞれに教科書を作っている。

 安倍晋三が登場して「教育の一丁目一番地に道徳を持ってくる。当然だ」と発言しているシンポジウムの場面。こういう話になると維新の会の松井一郎も登場して仲良く一致した意見を発言している。

 実証主義を標榜する歴史学者伊藤隆が登場して、「僕は愛国教育をやれと言っているのではなく、左翼史観に覆われているような歴史を教えるのではなく…」と語る。「ちゃんとした歴史を教える」という伊藤に素早く「ちゃんとした、というのは?」と質問する斉加監督。「左翼ではない」と即答する伊藤。「歴史に学ぶ必要はない」という伊藤の言葉にわたしは思わず耳を疑った。歴史学者が歴史に学ぶ必要はないというのか?

 場面は沖縄へ。集団自決から生き延びた老人がフィールドワークの案内役、語り部となって若者に体験を語る。沖縄戦での自決強要について言及した教科書に対して、「沖縄戦に対する誤解を生じる」という教科書検定意見がついた。この「物言い」に対して、沖縄のすべての市町村が検定撤回を求める決議を挙げた。

 教科書検定の基準が大きく変えらたことに衝撃を受ける歴史学者従軍慰安婦問題では日本政府代表が国連女性委員会で慰安婦は性奴隷ではないと発言して物議をかもした。

 「学び舎」という教科書会社を教師たちが創った。学び舎の教科書は難関私立高校を中心に採用されていった。しかし取材を受け入れてくれる学校がない。その理由は? それらの学校にはいずれも「反日教育をやめろ」という大量の抗議葉書が届いていた。その抗議葉書の発信者の中には何人かの著名人の実名が見える。その一人が森友学園理事長籠池泰典だった。もう一人実名で葉書を送ったのは山口県防府市松浦市長である。本作には2017年のインタビューが収録されている。この年は、自治体首長が教育方針に口出しできるように法律が変わったときだ。

 恐ろしいことに、従軍慰安婦問題を授業で取り上げた中学教師・平井美津子が新聞記事で取り上げられると、学校には脅迫状が届き、吉村洋文大阪市長(現・府知事)がTwitterで批判を述べ、記者会見でも平井を批判する。ついには平井は文書訓告を受けることになった。その理由は「許可なく学内で取材を受けたこと」だ。

 平井の教え子は訊く。「先生は戦争が好きなん? 戦争の授業になったら気合入ってる」。平井はこう答えているという。「戦争のことを知らんかったら、また戦争を繰り返すよ」

「戦争中の加害の話をすると、自分たちも責任があるのかなと真面目な子ほどそう思う。自分たちが何も悪いことをしていないのに、なんでいつまでも戦争責任を言われなあかんのかと思う子もいる」「ナチス時代のドイツ人たちがどうしてユダヤ人排斥へと取り込まれていくのか、そういうことがわかるような授業をしている。当時の人々がそこでどう生きてきたかどう考えたかを知ること。それが、次に同じようなことが起きたときに歯止めをかけることになるのではないか」
 慰安婦の問題はずっと時事問題になり続けている。歴史の問題だけではなく、今が問われている問題だと感じる。
「平井先生、二度と慰安婦の授業はしないでください、と校長らから言われた」

「学習指導要領に基づいて授業してくれていますよね、とよく校長や教育委員会に訊かれる。もちろんそうですよ、と答えている」。これまでの授業は適切だったと教育委員会から結論づけられている。それなのにそれなのに。

 様々な圧力、忖度、物言えば唇寒し、なんでも「反日」のレッテル貼り、政治介入。本作を見れば、もはや歴史教科書は学問の成果から記述されるのではなく、政府の圧力によって書き換えられていく時代になってしまっていることがよくわかる。

 慰安婦問題を研究している女性研究者たちにも非難の矛先が向いた。杉田水脈議員が「科研費を使って従軍慰安婦の研究をするとはけしからん」と議場で自分たちの研究に介入する発言をした。これにたいして研究者たちは裁判で名誉棄損を訴えている。

 というように内容を列記していくと、この映画が実によくできた教育映画だと気づく。ではその内容を書籍にして読めばそれでいいと思えるかというと、そうではない。語り手の間合いや表情などをカメラが的確にとらえる、映像ならではの力があるからだ。と同時に、淡々と語られるナレーションの落ち着いた声が染みてくる。その声が語り上げていくのは学問と教育をめぐるおそるべき事実の数々だ。それをわたしたちはどこまで知っているだろう。

 恥ずかしながら知らないことが次々と登場する本作を見て、わたしは震撼した。我が身の無知を恥じた。わたしの子育てが終わったのはほんの10年ほど前だ。それまでの我が子たちの教科書をわたしはちゃんと読んだか? 否。親がわが子の教科書に関心を持たず、忙しさにかまけて読むこともしていなかった。そのことを今は恥じる。

 次の世代を育てる教科書、教育、これを私たち親の世代はどこまで知っているのだろう。と同時に、教科書に書いてあることをそのまま鵜吞みにするような”優等生”がほとんど存在しないのならば、教科書の内容のいかんを問わず、大事なのは現場の教師の裁量なのではないかと思う。たぶんもう何十年も前から「論争」があったのではないかと思うが、ほとんどの生徒が教科書などまともに読まず、したがって内容も把握・記憶していないのだから、教科書に目くじらをたてる必要もないのでは、という意見があった(はず)。

 しかし、教科書の内容がどんどん書き換えられていく状況を看過していたら、いずれ近現代史の書き換えが当たり前のように起きるだろう。日本が世界から孤立し、中国への侵略を糾弾されたことに逆切れして国際連盟を脱退したという1933年の史実が今のロシアによるウクライナへの侵略とアナロジーで語れることの恐ろしさを思う。この映画は静かにそれを教えてくれているように感じた。

2022
日本  Color  107分
監督:斉加尚代
プロデューサー:澤田隆三、奥田信幸
撮影:北川哲也
語り:井浦新